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戸籍時報新連載『旧市区町村を訪ねて』1「地名とアイデンティティ」岡山県倉敷市~船穂・真備~(文・写真:仁科勝介)

 こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMJです。
 皆さんは、「戸籍時報」という雑誌をご存じでしょうか。
当社から刊行されている、知る人ぞ知る月刊誌で、主に、市区町村の戸籍事務を担う方々のための実務情報誌です。
 これから、新しく、当社の月刊誌とこのnoteのページとの連携企画として、戸籍時報でスタートする新連載「旧市区町村を訪ねて」を、ここでもご紹介していきます!
 noteでは、カラー写真や著者情報なども追加してお届けします。

 本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、日本中を巡る旅を始めています。今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。
 連載の初回は、旅立つ前の、エピソードゼロ。
 今後の連載も、ぜひお楽しみに。

「地名とアイデンティティ」

岡山県倉敷市~船穂・真備~


 かつて日本に1741ある市町村を巡ったことがある。青色のスーパーカブに乗り、ナンバープレートは故郷の「倉敷市」であった。

  ぼくの故郷の岡山県倉敷市では,平成の大合併で「船穂(ふなお)」と「真備(まび)」の2地域が編入された。平成17年のことであり,ぼくは小学校3年生だった。だが,ぼくはその変遷を全く知らなかった。必ずニュースになっているのに覚えていないのは,ぼくが比較的倉敷市の中心部に住んでいて(といっても閑静な住宅街だが),編入による影響がさほどなかったからだと思う。だから,船穂や真備の地名は知っていたが,物心ついたときから船穂も真備も,最初から倉敷市だと思っていた。

▲吉備真備駅のそばにて、放課後の時間。

 市町村一周の旅をしていた2018年7月,西日本豪雨が発生した。岡山県も大きな被害を受け,特に真備は甚大な被害が全国的に報道された。岡山県で戦後最大級の水害であった。ぼくはこのとき,旅先の北海道にいた。家族にはすぐ連絡し,幸運にも無事だったが,それから被害がどんどん明るみになり,故郷が被災地になるなんて,と体が震えた。真備に住む高校の後輩に連絡したら,彼は「家は流れました」と言った。

 ぼくはこの日まで,船穂や真備という地名について深く意識することはなかったように思う。倉敷市内だが中心部ではないし,強く関心を持つ機会がなかった。しかし,西日本豪雨における報道の多くは,「倉敷市真備町」だった。ぼくは北海道から倉敷へ戻るか迷った末,旅を続けることにした。それが今できる自分の最善だと思ったからだ。だが,スーパーカブのナンバープレートは倉敷市なのだ。旅先で何度も声を掛けてもらった。北海道で,東北で,遠く離れた土地で,「倉敷は大丈夫か」「私たちは倉敷を応援している」と,何度も何度も……。
 このとき,真備が確かな存在として倉敷の中にあることを,とても大きく痛感した。そして,実家や家族に被害の無かったぼくが励まされ,実際に被害に遭った人たちに直にこの声を届けられない。もどかしさがあった。 

  地名って何だろう。土地の歴史,誇り,象徴。上手く言葉にはできないけれど,でも,どんな地名にも魂のような大切なものがある。あのときぼくはそれを知った。真備には何もできなかった。でも,日本に合併や編入を経たまちはたくさんある。それらを少しでも知り,撮り,伝えようとすることが,せめてぼくにできることじゃないだろうか。

 だから、これから旅に出る。平成の大合併前の旧市町村を巡る旅に出る。

仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
Twitter/Instagram @katsuo247


本内容は、月刊『戸籍時報』令和5年5月号 vol 839に掲載されたものです。