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【日本遺産の基礎知識】「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語(岡山県)

執筆:日本遺産普及協会監事 黒田尚嗣

岡山県の日本遺産「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」の基礎知識を紹介します。
※本記事は、『日本遺産検定3級公式テキスト』一般社団法人日本遺産普及協会監修/黒田尚嗣編著(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋・再編集したものです。


日本遺産指定の背景

いにしえに吉備と呼ばれた岡山。この地には、鬼ノ城と呼ばれる古代山城や巨大墓に立ち並ぶ巨石などの遺跡が現存します。
これら遺跡の特徴から、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が温羅(うら)と呼ばれた鬼を退治する伝説の舞台となりました。絶壁にそびえる古代山城は、その名の通り温羅の居城とされ、巨石は命(みこと)の楯となりました。勝利した命は巨大神殿に祀られ、敗れた温羅の首はその側に埋められました。
鬼退治伝説は、古代吉備の繁栄と屈服の歴史を背景とし、桃太郎伝説の原型になったとされ、吉備の多様な遺産は、今も訪れる人々を神秘的な物語へと誘ってくれます。

桃太郎鬼伝説の鬼城山

1.温羅(鬼)退治の伝説

その昔、岡山(吉備)平野が吉備の児島に囲まれた内海であった頃、人の身の丈をはるかに超える温羅と呼ばれる鬼は、平野を見下ろす山の上に城「鬼ノ城」を築き、村人を襲い、悪事を重ねていました。
大和の王から温羅退治の命令を受けた吉備津彦命は、吉備の地に降り立ち、吉備の中山に陣を構え、その西の小高い丘の頂には、温羅の矢を防ぐ巨石の楯を築きました。
弓の名手であった命は、岩に矢を置き、温羅に向かって矢を放ち、温羅も応戦して城から矢を放ちましたが、互いに放った矢は、何度も食い合って落ちました。
しかし、命が力を込めて放った矢は、ついに、温羅の左目を射抜き、温羅の目からは血が吹き出し、川のように流れました。
たまらず、雉(きじ)に化けて逃げる温羅を、鷹になった命が追い、温羅は雉から鯉に化けて血の流れる川に逃げました。命は鷹から鵜となり、鯉を食い上げ、見事に温羅を退治し、その首を白山神社の首塚にさらしました。
これら伝説の舞台は、それぞれ、鬼城山、吉備の中山、楯築(たてつき)遺跡、矢置岩(やおきいわ)、矢喰宮(やぐいのみや)、血吸(ちすい)川、鯉喰(こいくい)神社、白山(はくさん)神社の首塚として、現在も語り継がれています。

2.伝説の背景にある大和に対抗する吉備の勢力 - 巨大な墓 -

古代吉備は、大和に匹敵する勢力を誇り、しばしば大和と対抗し、屈服したことが『日本書紀』や『古事記』からうかがえます。吉備津彦命と温羅との戦いは、実は、大和と吉備の対立を反映したものといわれています。
吉備勢力の強大さを物語るのは、かつての王たちの墓で、5世紀代の造山(つくりやま)古墳・作山(つくりやま)古墳・両宮山(りょうぐうざん)古墳は、近畿の天皇陵古墳に匹敵する規模を誇り、小高い山と見間違うほどです。

3.桃太郎の原型

吉備津彦命による温羅退治の伝説は、昔話の桃太郎による鬼退治の原型となったとされます。この昔話は、川を流れてきた大きな桃から生まれた桃太郎が、村を荒らし、悪さをする鬼と戦うために、道中で家来となった犬、猿、雉とともに鬼を退治する物語です。

「桃太郎伝説」の生まれたまち「桃太郎像」

「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」の詳しい情報はこちら

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著者プロフィール

日本遺産普及協会代表監事。近畿日本ツーリストなどを経て、現在はクラブツーリズム株式会社の顧問を務める。旅の文化カレッジ講師として「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマに旅の講座や旅行の企画、ツアーに同行する案内人や添乗員の育成などを行う。また自らもツアーに同行し、「世界遺産・日本遺産の語り部」として活躍中。旅行情報誌『月刊 旅行読売』に「日本遺産のミカタ」連載中。著書に『日本遺産の教科書 令和の旅指南』などがある。日本遺産国際フォーラム パネリスト、一般社団法人日本旅行作家協会会員、旅の文化研究所研究員、総合旅行業取扱管理者

運営:日本遺産普及協会


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