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呉の海防今昔ー旧呉鎮守府への旅

日本遺産ソムリエ 中本美苗

※これはコロナ感染流行前、2018年6月に訪れたときのものです。現在の状況とは違う部分もあると思います。あしからずご了承ください。

わたしの祖父は、大日本帝国海軍呉鎮守府所属の水兵だった。陸に上がったとき、母は祖母に連れられて何度か呉に会いに行ったらしい。小さかったのでよく覚えていないから行ってみたいと言っていた。
その後、母に癌が見つかり、あっという間に亡くなってしまった。なので、母を連れていくつもりで旅に出た。

新大阪から新幹線に乗車。広島から30分ほど逆戻りして、呉に着いた。呉は戦艦「大和」の母港。だから、呉駅の発着メロディは「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ。駅に着いていきなりこれだと、ロマンが広がる。

まずはランチを。目当てはもちろん、呉の「海自(海上自衛隊)カレー」。艦船内で実際に食べているカレーの作り方や味をお店に伝授して、一般の人も食べられるようになっている。ちゃんと伝授した証拠に認定書が出て、しかも毎年更新があるようだ。
入ったお店には「海自カレー」のほかに「海軍カレー」もあった。「士官の海軍カレー」と「水兵さんの海軍カレー」。祖父にちなんで「水兵さんの海軍カレー」にしようかと思ったが、せっかくなので上級の「士官の海軍カレー」をいただくことにした。甘口でよく煮込んだルーは、子どもの頃食べたカレーのような懐かしい味がした。

士官の海軍カレー

この時点で暑くてぐったりしていたので、入船山公園内の入船山記念館をさらっと見学。長官官舎や東郷平八郎の旧宅離れ、塔時計など、ひととおり写真を撮って一休み。実はここに「日本遺産」のプレートがあり、ここも呉鎮守府関連施設だと知らずにぼーっと撮影していたことに最近になって気付く……。

塔時計と日本遺産のパネル

旧鎮守府は大空襲のときに損壊ししたため、その隣に再建したらしい。レンガ造りの趣のある建物。中の石造りは鎮守府時代に焼け残ったものを再利用していて、今もここで任務が行われているそうだ。裏に回ると大階段があり、完成時に明治天皇がここから上る予定だったとのこと。ちなみに、この階段などいくつかの場所を、実写版「この世界の片隅に」の撮影で使ったのだそうだ。

現在の官舎外観

そのあと、地下作戦室に向かった。
石造りで地下なので、とってもひんやりしていて、外とは大違い。まだ調査中らしいが、地下道が張り巡らされていた様子。崩落の危険性があるので中には入れなかったが、奥には世界地図があり、艦隊の場所を電光表示していたとか。海軍大本営ってこういうところだったんだなぁ、と妄想が膨らんだ。

地下作戦室

それからは施設めぐり。
まずは、海上自衛隊呉史料館、愛称は、てつのくじら館。
ここは海上自衛隊がその活動を理解してもらうために作った施設、つまり海上自衛隊が運営している。なので、係員や案内役も、現役を退いた方を含む関係者。しかも無料!

海上自衛隊呉資料館 てつのくじら館

館内は主に、掃海艇と潜水艦の過去、現在、未来についての展示。
実は祖父は、大戦末期には「眉山丸(びさんまる)」という特殊掃海艇に乗っていたらしい。機雷を除去する船だとは調べて知っていたが、その役割や作業手順を詳しく知ることができ、来て本当によかったと思った。
現在では設備や技術も格段に進歩したと思うが、祖父の時代、しかも戦局が悪化していた頃の機雷除去なんて、本当に命がけだったかもしれない。そう考えると、よく生きて帰ってきてくれたなと心から思った。

てつのくじら館 潜水艦内部

次に訪れたのは、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)。
入り口前には、巨大な面舵やスクリューやら砲身や錨などの復元物があった。単体だけでもあまりにも大きくて、それらが付いていた本体がどんな大きさなのか、まったく想像がつかない。ドキドキしながら中へ入った。

大和ミュージアム前の主砲

いきなりドーンと戦艦「大和」の1/10模型!
かっこいい。とにかくかっこいい。でもたぶん、でかすぎる。
戦局が進むにつれ、巨大戦艦の大砲で圧倒する戦法から機動力のある航空機による戦法に代わり、結局「大和」は標的になるために出撃したようなものだと聞いたことがある。今も沖縄沖に沈んだままの「大和」。引き上げて再建して宇宙戦艦ヤマトにならんかな~、などという激しい妄想が頭に渦巻きながら、施設内を見学。

戦艦「大和」 1/10の模型

館内では、「大和」計画から建造、出撃、沈没、そして海底で発見されるまでを展示してある。
やはり、老いも若きも男性が多い! そしてみんな釘付け、かじりつき(笑) そうだよなぁ。
そのほかにも、特攻に用いられた「零戦」や人間魚雷「回天」、小型の潜水艦「海龍」などが展示してあった。

祖父は酔って機嫌がよくなると、ときどき戦争の話をしてくれた。
戦艦には昔の国の名前(大和、長門、武蔵など)、巡洋艦には山や川の名前(赤城、愛宕、神通など)がつけられていること。
乗っている船に宮さまが行幸されたとき、宮さまの帽子が風で飛んで目の前に落ちてきた。「やった! 拾って渡したら手柄や!」と思った瞬間、上官が飛んできてサッと拾って渡してしまい、ガッカリしたこと。
(洋上での補給や物資調達が困難なうえ危険なため)食料や物資を十分に積んで出航するので、ひもじい思いはしたことがなかったこと。
緘口令が敷かれ、「大和」に荷物を運び入れたとき、こんなに装甲の厚い船は見たことがない、こんな船、沈むはずがないと思ったこと、などなど。

おもしろおかしい話ばかりだったけど、恐ろしい体験や悲しい体験もしたはずだ。
大和ミュージアムで一番強く印象に残ったのは、「大和」に関わったたくさんの人たちが戦争で死んでいったこと。遺書や遺品が多数展示されており、そのとき彼らは戦争に命を懸けざるを得なかったんだということ。
なんとも言えない気分になって展示を後にした。

いよいよ夕方になり、「夕呉クルーズ」の時間。海上自衛隊の艦船を海から見るクルーズで、日没前の出航は臨時便だということで、迷わず事前予約。

江田島の向こうに日が落ちていく風景はとても美しかった。
薄暗くなっていくなか、船は自衛隊の練習艦や護衛艦のそばを通り過ぎていく。かなり近くまで寄ってくれるので、船上はもちろんのこと、船内の装備まで見えたりする。マニアではないわたしも、バチバチ写真に収めてしまった。

停泊中の自衛艦

クルーズ中盤になると、いよいよ日が沈む時間となった。
自衛隊の艦船は、船首に日章旗、船尾に旭日旗を掲揚していて、太陽が水平線に沈む時間を日没とし、そのタイミングでラッパを演奏して、両方の旗を降納する。その前になると係の自衛官たちが甲板や潜水艦上にも出てくる。潜水艦も停泊中は浮いているので、旗を揚げているのだ。

時間になると一斉にラッパが鳴って、サラサラと旗が降ろされて格納され、あっという間に終了。さすがに手際がよい。作業が終わった艦船のそばを通るとき、自衛官のみなさんが帽子を振って応えてくれた。制服姿って、どうしてこうも凛々しいんだろう。

潜水艦 日没の降旗

クルーズが終わり、すっかり日が落ちて暗くなったところで、夕食にキャベツいっぱいの本場広島焼きをいただいた。隣のおじさんが連発する「…じゃけ」を聞きつつ、祖父の縁で日本の海防の歴史を過去から現在まで一気にたどった、充実した一日だったと感慨にふけった呉の夜だった。

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