いざ、取り出し授業へ

 先月から中学校の取り出し授業に参加することになりました。
小学校の放課後日本語教室に対し、わざわざ授業中に取り出すので、
日本語の勉強をしっかり行うものだと思っていました。

 しかし、始まってみると勉強というより、
憩いの場のようで、何が身につくのか疑問に思いました。
日本語のスキルを上げるために取り出すのか、
精神的な負担を和らげるために取り出すのか、
目的がよくわかりませんでした。

 高校は違う国の学校へ行きたいと言う生徒もいました。
その生徒にとって、中学3年間の日本語教育は、
大した意味を持たないのではないか、この取り出し授業が
必要かどうかも曖昧です。

 個人的に感じたのは、生徒本人がどうなりたいか、
何ができるようになりたいか、目標が定まらないと、
何も始まらないということです。
目標があり、達成するために取り出す。
スタートの時点で教師、生徒、ボランティア間で
話し合うことが重要なのかなと思いました。

 では、中学生の時点で明確な目標があるのか?
私はありませんでした。今が楽しいなら良しです。
大人目線のものを、子供たちに求めてしまってよいのか?
それもわかりません。
 
 建前は個々の日本語能力に合わせた教育でしょうが、
何のための教育?と言われれば、
高校進学の意味が強いのかもしれません。
それをゴールにしてしまうと、
高校入学後に行き詰りそうです。
勉強ができる ≠ 生きる力 だと思っています。
取り出し授業では、生きる力に
スポットを当てた方がいいような気がします。
日本語が読めないことで、悩み考えることを止めないでほしいです。
授業や話し合いで頭を使い、
生徒が試行錯誤できるようになれば、
取り出し授業は成功なのかな?と思います。
大人は子供に気付かせるためのサポートをすればいい。
添え物で十分です。

子供たちが振り返った時に、
あの時の取り出し授業があったから、
と感謝の気持ちに置き換わってくれたら、
いいなと思います。





 

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