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いい言葉に会いました「Co-師」

私は大学で教えていますが、職階は「Dozentin」非常勤講師です。
この仕事に就くまで、この言葉を知りませんでしたが、ラテン語の「docens」授業する、教えるというのが元になっているそうです。

あ、でも、今ドイツ語の大学はジェンダーフリーを目指しているので、Dozent男性講師、Dozentin女性講師という区別をしないように、普段はひとくくりに「Lehrkraft」授業者、教員という言葉が使われます。
Stundent男子学生、Studentin女子学生とも言わず、動詞から「Studierende」勉強する者、研究する者というようになりました。

「講」は、ごんべんで、上の四画がとってのついた刃物。
口の上に刃物があり、元は嘘を言ったら罰せられる「誓い、言葉」という意味だそうです。
そして、つくりの部分は「篝火」を焚くときにつかう籠を上下に組み合わせたものから、「組み合わせる」「心を通わせる」「仲直りする」というような意味になる、と。

言葉を使って、心を通わせるのが「講」なのですね。
意味としては、「和解する」「説く」「話し合う」「意味を明らかにして読む」「計画する」「研究する」「稽古する」などがあるようです。
それをさらに導くもの「師」とは大変な役割ですね。

私はもちろん「教え、授ける」者(教授)でもないし、講師というのも過分だと思っています。
(しかもシラバスにいちいちB.A.ってつくんだよねー。「学士」って恥ずかしいからつけないでいいのに・・・)

でも、拝見したこちらのサイトでは、学び合う「共育者」が「Co-師」だと。
対等で、いい言葉だと思いました。

こちらには、こんな言葉もありました。

「自分で考え、判断するといった自主性を促すことが必要だと思います。教え過ぎず、教えなさ過ぎずの程よいバランス、言葉を変えると、いかに教えないかの匙加減が重要だと考えています。教え過ぎは依存心が芽生えやすく、自主性を促すことに対峙する面があるように感じています。」

本当にその通りだと思います。
一歩通行の「授業」じゃなくて、学習者から盛り上がってくるようなエネルギーを、うまい方向にあおいであげるくらいの役が理想です。

最初に材料を配る。これ、薪と新聞紙ね、って。
どんな風に組むか、自分たちで考えて、実行させる。
どうしてもわからないときは、ヒントを出す。
ちょっと火がついたら、仰ぎ方を教える。
みたいな授業が理想です。

前に立って話す時間はなるべく少なく、あっちこっちのグループを冷やかしながら歩いて回っているスタイルが好きです。
そんでたまにグループ同士をつなげていくと、教室全体に一体感が生まれて、みんな仲間!みたいになる。
私も仲間に混ぜて!とは思わない。
それを後ろから、よかったね^^って見てる、配給のおばさんの役でいいんです。

10年ちょっと前、新人教員(董の立った!)だったときは、いっぱい話さないと、中心にいないと!と思っていました。
(まあ、初めて持ったのが小1だったのもあるけど。)
一歩下がってみる余裕が出てきた自分の経験と年齢に感謝です。

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