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東京のとある茶問屋に生まれて

お茶屋に生まれて

私は都内のとある日本茶問屋の長女として生まれました。

小さな頃から、番頭さんや従業員の方に遊んでもらったり、ゴールデンウィークは大人に混じって新茶のお茶詰めの手伝い(邪魔してたと思う)をしたりして、お茶に携わる温かい人たちに支えられて育ちました。

店にいるとお客さんに
「お店お手伝いしてるの?えらいね〜」
なんて声をかけてもらったりして、子どもながらに鼻高々だったことを覚えています。


新茶の時期(4月後半から5月の前半)は店頭も賑わい、近所の方々も次々に来店し、お茶を買ってくれたり飲んだりしてくれました。

お客様にお茶をお淹れして
「今年も美味しい」
と言っていただけることが何より嬉しかったです。

八十八夜のあるゴールデンウィークは毎年忙しく、家族旅行などお出かけはできなかったのですが、お店が繁盛して盛り上がる粋な時間が私は大好きでした。

一番好きだった時間は、新茶詰めの休憩時間。3時のおやつタイムです。

お店の従業員さんにお菓子を配り、子どもなのに一丁前に仕事の休憩時間を大人と一緒に味わっていました。みんなは一服してタバコを吸ったりするのですが、私はお茶を飲んで「はぁ〜」とかやっていました(^^;)

とても恵まれた環境で育ったと思いますし、家族を支えてくれたお店の方々、親戚、地域の方々には今も感謝しかありません。


祖母と母の姿

祖母はお店をやりながら町会の婦人部に所属していて、いつも地域のお祭りの主催や運営を行っていました。
お祭りは地域の方々が主催で行い、神社のお神輿を友達と一緒に担いだりします。



私も友達も、このお祭りを毎年楽しみにして参加していました。



祖母と母はお祭りの運営のお手伝いをして、フランクフルトの係や焼き鳥の係などをします。
屋台に取りに行くと、祖母や母がいるのも何だか誇らしかったのを覚えています。

和を繋ぐ

大人になり、私は実家のお茶屋で働きはじめ、地域の行事に参加するようになりました。

参加する側から運営を手伝う側に。

小さな子どもたちがお祭りではしゃぐ姿を見ると、懐かしいような微笑ましいような温かい気持ちになりました。

お店の方々や地域の方々がそうしてくれたように、私もお茶を通して温かな繋がりを創っていける人になりたいなと思っています。

お茶の魅力、それに携わる人の粋さ、新たな可能性••••••。伝えていける人になりたいです。


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