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小説「隣のネズミ」

小説「隣のネズミ」



 私の物語を、何もこんな冴えないところから始めなくても良いのではないか、とも思う。私と夫、それから発達障害の息子と三人の慎ましやかな生活。

 夫や小学生の息子の関心は、必ずしも家庭には向いていない。夫はそこそこ優しいが、やはり仕事が第一で、息子も不器用ながら学校生活を楽しんでいる。

 つまるところ、私・水島翠(みずしま みどり)の今の生活を一言で表せば、サポートなのだ。仕事においても家事育児においても、華々しいところのない地味な作業の連続。今一番の楽しみといえば、通勤時間に、インスタグラムでお気に入り登録をしているインフルエンサーのコーディネートを真似したり、Twitterで回ってくる犬猫や赤ちゃんの面白い投稿を見ることくらいだ。

「文筆家じゃない人間が書くストーリーには、テーマがいるのよ」

 私は夫に言った。青春時代に煌やいた経験といえば、中学の時、競技かるたの校内大会で一位を取ったぐらいのものだ。高校では生徒会の書記を務めていたが、文化祭や運動会の段取り・準備は、細々とした雑用で、はっきりいってサポートに徹する今とそう変わらない。大学生活は、卒業するための単位と就職するための資格を取り、若気の至りとも言えるような恋をしているようでしていないような、泡沫にたゆたううちに、いつの間にか終わっていた。

 夫に言ってから気付いた。そもそも私の人生に、そう「冴えた」ところは無かった、と。

 特に悲しくはならなかった。安定した生活は自分が望んだことだったし、普通の生活だって、手に入れ維持管理するにはそれなりの努力がいるのだ。私は、自分を凡庸だと理解していたけれど、卑下はしていなかった。

「でも、素人が書く人生とか苦悩とか、そんな漠然としたテーマの、純文学まがいのものを、あなたは読みたいと思う?」

 あなた、こと太郎(たろう)さんは言った。この人の、この凡庸の代名詞みたいな名前から織りなされる人生の方が、角河文庫なぞの名のしれた出版社から発刊されていたら、まだ触肢が伸びようかというものだ。「太郎の人生」うん、そうでもないか。

「難しく考えなくても、今の君のもやもやを外に出して気持ちで、物語にすれば良いんだよ。どれだけ自分を悩ませることでも、ストーリーに仕立ててしまうと、まるで本当に他人の事のように感じられてくることがよくあるから」

「そんなこと言って、愚痴を聞くのが面倒になっただけじゃないの」と、言い返したいのをぐっとこらえた。旦那に八つ当たりしても、仕方がない。

 それに、と、私は考えた。旦那の言う事にも一理あるかも知れない。他人にどれだけ文句を言っても、自分が思うようには変わらないから、結局、自分のモノの見方を改めるしかない。他ならぬ旦那がそれを教えたというのは、皮肉なことだけど。

 そして思いは堂々巡りしている。旦那は銀行勤めで、私たち家族は配置替えのたびに引越をしている。と言っても、息子が生まれてからは、これが初めての引越だけど、問題なのは、このマンションは、旦那の勤め先が社宅として買い上げている部屋の他、リタイアした後は他人に文句を言う事を生きがいしている高齢者が何人か住んでいる、ということ。さらに問題なのは、老人というほどの年齢ではないけれど、そういうタイプの中年が隣人であるということ。

 

 彼女は名前を坂田那智子(さかたなちこ)と言って、一年ほど前に引っ越して来た部屋の、いわゆるお隣さんだった。最近では隣人とすら没交流のマンション住人は増えていると聞くけれど、昨今の天災激甚化により、共助の果たす役割も大きい・・・と、管理会社から簡単な防災の講習を受けた私は、その気になって隣近所へ挨拶に回った。

 それは春から初夏に移るころ、息子の進級準備への忙しさも相まって、性に合わず私はハイになっていた。

初めから、坂田さんは感じの悪い人だった・・・と苦々しく振り返ろうとして、気付いた。最初から?いや、第一印象はどうだったかな。むしろ良かったんじゃないかしら。

 両の隣人のうち、引っ越して早々に挨拶に行ったとき、坂田さんは留守だった。それから真上と真下。計四件の部屋を回ったのだが、引っ越して一週間もしなうちに「挨拶に来られなかったので」という嫌味な手紙をわざわざ書いてよこしたはす向かいに住む老人がいたので、早くも私の気分は萎えていた。

 坂田さんとは、デイサービスへ息子を迎えに行った、帰りのエレベーターの中で初めて出会った。上の階へ昇る間、私は彼女の後姿をぼんやりと眺めていた。視界の端に残っていた彼女の横顔と、後ろ姿から察するに、私より一回り年上のようだ。黒地に明るい緑のラインの入ったパーカーにロングスカート。帯の太い腕時計と、デニム生地をリメイクしたようなバッグに、たくさん缶バッジを付けているのが印象的だった。

 同じ階で降り、隣同士の部屋に入ろうとする折、私はようやく、彼女がお隣の坂田さんだということに気付き、彼女は私がお隣に越してきた水島だという事に気付いた。

 お互い、あら、とか、まあ、とか言いつつ近づきながら、挨拶をした。挨拶用の菓子折りがひとつ残っているのを思い出し、「すぐ持ってきますから」と言うと、「気にしないで」と笑った坂田さんは、闊達な性格に見えた。初めは。

 けれど、自閉傾向の強い息子の頭の中には、帰宅して手を洗い、オヤツを食べるという計画が、私の予期せぬ「隣人とのおしゃべり」に阻害されたことへの不満が既に生じていて、グイグイと腕を引っ張った。

「あーら、かわいい。ぼく、いくつ?」

 息子は、自分のことを「ぼく」と言われるのも好きではなかった。彼は坂田さんを無視して、私のカバンから鍵をひったくり家に入ってしまった。

 ごめんなさい、と言うことには慣れていた。卑屈になっているわけではない。母親になってから、息子くらいの年頃の子が無礼を働くのは、全部親の責任だと本気で信じているような人たちにたくさん会って来たから。けれど、周りのサポートや理解が無ければ、到底息子を育てては来れなかったという経験もある。相反する感情を処理するために、息子が自分の特性を理解してなんにでも対処できるよう成長するまでは、親である自分がこじれて面倒になる前に謝ってしまうのがいちばん楽だという姿勢になってしまっている。

 坂田さんの顔が、一瞬険しくなったような気がした。そういう反応にも慣れていた。

「では、失礼します」

 笑顔のまま、家に戻ろうとすると、坂田さんは

「え、あの。叱らないの・・・?」と言った。

「あーそうですね。注意しておきます。すみません」

「そう、良かった」

 ニッコリと笑う坂田さんに、底意を感じた私は

「あの、坂田さんは、お子さんは?」と尋ねた。

 今度は、ハッキリと眉間に皺を寄せた。

「・・・いないけど、どうして?」

「え。あ、そうなんですか」

 初対面ながら他人の子どもへ注意することを促すくらい教育熱心なのだから、私は「自分の子どもには疎まれているのだろう」という意地悪心が生じた。だから、彼女は、それを悟られぬよう大げさにでも「今何歳の、可愛い子どもがいるのよ」と返事をし、それきりお互いの子どもについて深堀りすることなく、挨拶は終わるだろう、と・・・それが私の打算だった。

 挨拶は微妙な空気で終わってしまったが、その時はまだ、坂田さんへの印象は、到底悪いというものではなかった。むしろ、悪いことを聞いてしまったのだろうか、と、軽挙への自責が勝っていた。

 お詫び、というわけではないが、すぐに用意していた菓子折りを持ってインターホンを押すと、坂田さんは笑顔で応えてくれた。サッパリした人なのだと思った。


 当初は、なぜ自分の回顧録を書くのに、わざわざ嫌な奴のモヤモヤする事を思い出さねばならないのか、と、腹が立っていた。しかし不思議な事に、書いていくうちに、そのイライラやモヤモヤは、いくばくかすうっと薄れた。腹が立っていては、文章がまとまらないからだ。もちろん、消えたわけではないが、今では「うざい」としか思わない坂田さんが、自分の中で、初めはそうではなかった、という気付きは新鮮だった。もちろん「嫌いになる予兆」みたいなものは、当初からあったわけだが。


 もう少し、「坂田さん回顧」を続けてみることにした。


「へえ、なるほど」

と、夫は言った。

「だからね、いつからキライになったか、そういえばよく思い出せないなって」

「そういうこと、あるよね」

「・・・」

 夫は穏やかな性格で、私の話の腰を折ることはなく静かに聞いているが、どうも相槌が無難過ぎて、夫との会話それ自体が虚しく感じることがある。

 こちらがムッとした様子にも気付くことなく、私が黙ればそれで会話は終わってしまうのだ。それでも、もうずっと何年も、そういう小さいモヤモヤは、日を跨がず消えてしまう毎日が続いている。息子の成長に感動することも多々あれど、忙しさに押し流されるぼやけた日々の連続。しかし、それを虚しいと思うのは、あまりに悲しいので、流されるままになっている。

 夜、一通りの家事を終えて換気のために雨戸まで開けた。日中は暖かかったのに、日が沈むと同時に寒く感じる。

 先日「花散らしの雨」が降り、街路に沿って植えられた桜の三割は葉に代わっていたが、の幹にはまだイルミネーションライトが巻かれている。「わぁ、きれい」とお隣から聞こえたような気がして、思わず非常用の壁を見たが、その声はおぼろのまま夜の静寂に消え、遠くでガラス戸が閉まる音がした。ひょっとして、坂田さんではなくて、お隣のお隣だったかもしれない。

 私はため息をついて、部屋に戻った。

 どうして私がびくびくするの?

 そして、腹が立った。そう、私は坂田さんが嫌いだけど、坂田さんは悪い人間ではない。私にとっての嫌な奴。彼女と関わるとき、私は彼女に自分の意見をハッキリ言わない。言っても伝わらないから。けれどいつも、もっとはっきり言えば良かっただろうかと、後悔と自己嫌悪がある。その感情が積もって、そのうちに「大嫌い」になったのだ。ある花が、キレイだと思う。ある音楽を、素敵だと思う。たまに意見が合うと、そのこと自体に嫌悪感が湧く。なんで「こんな奴」と感性が一緒なのだ、と。

 去年の今頃、私はマンション自治会サークルのひとつである子供会に入った。予算は自治会サークル全体で組まれるため、興味のあるサークルに入会するために、自治会にも入会しなくてはならない。面倒だとも感じたけれど、勧めに応じて入会した。今もそう変わらないが、私は独身時代よりも社交的になったと思う。ご近所づきあいを避けることは少なくなった。出会いや経験が良くも悪くも、子どもに社会性を持たせるためには、親である私が動かなくてはならない、と、無意識でありながら、経験から動くようになっていた。

 トークアプリに子供会員のママさんから、いろいろな「お得情報」が送られてくる。家から歩いて十分ほどの公園ではシャクナゲが見頃だというので、私と息子は連れ立って遊びに行き、息子を一人遊ばせておいて、私はぼんやりと花を眺めていた。

 傍に見覚えのある人がいるな、と思い、花のついでに眺めていたら、それはどうやら、坂田さんだった。スマホカメラを大輪に向けることに夢中で、私には気づいていないようだった。声をかけるかどうか逡巡しているうちに、彼女も私の視線に気づいた。挨拶せざるを得なかった。

「あ、こんにちは。奇遇ですね」

「あ、どうも、こんにちは」

 坂田さんは、偶然出会った知り合いに、戸惑っているように見えた。その反応には、嫌悪感どころか、親近感を抱いた。私も、偶然出会った知人に対して、妙に自意識過剰になり服装なんかを気にしてしまって、声をかけるタイミングを失うことが、よくある。

「あれ、『えりえり・・・・・・』さんじゃない?」

「本当だ。つぶやきと同じバッジ付けてる。」

 視線を感じて振り返ると、私たち二人を見ながらヒソヒソ話をする見知らぬ女性の二人組がいた。

「あれ、ひょっとして、待ち合わせでしたか?」

「あ、そう。そうなの」

 首肯するので、ぎこちなくも笑顔を作り彼女たちに向けながら、視界の妨げとならぬよう身を後ろに引いたのだが、どういうわけか、坂田さんも女性の二人組も、お互いに近付かない。

「・・・あの、それじゃあ私はこれで失礼します」

「うん、じゃあね」

 坂田さんは、なぜだかホッとした様子だった。それだけのやり取りの間に、ポコポコ音を当てている彼女のスマホは、見る限りでつぶやきアプリの通知を送っているらしかった。状況から察するに、彼らは相互フォローする仲で、おそらく直接会うのは初めてなんじゃないだろうか。

 それならそうと言えば良いのに、何か邪険にされたような気持ちだったが、それこそものの数分で消えてしまう程度のモヤモヤだった。

 坂田さんに、ハッキリ嫌悪感を抱いたのは、それから一月ほど後のことである。


 その日は自治会の会合で、私は子供会の代表としてメモを取るために出席していた。子供会以外のサークルでは、朝のラジオ体操部、みんなでお茶会、麻雀、その他卓球クラブなど、高齢社会の色が目立っていた。坂田さんは、「みんなでお茶会」の今月の書記係だというので、集会室で顔を合わせることになった。

 子供会のママさん連中からは「気楽な気持ちで」と言われていた。会合と言っても大仰なことはなく、議題は「各活動」の報告とか備品の補充とか、子供会に関係しないことが大半。けれど、おじいちゃん・おばあちゃんが、思わぬところでこだわりを見せて話が進まなくなることがあるから、覚悟して、と。

 子供会のママさんたちが、平日の夜のその集会に時間を合わせられないことは、晩御飯時であることや、共働き世帯の多さからも容易に想像がついたが、確かに、集会所の顔ぶれを見渡すと、子供会のメンバーは他の自治会サークル代表と、年に開きがあることが分かった。

(時間を変えてほしい、とは言いづらいのかもね)

 坂田さんや、他の面子に軽く会釈をして、用意されているパイプ椅子に座ると、義母と同じくらいの年齢に見えるような女性が「今日の会議資料」です、とA4の用紙を配り始めた。

 私はその紙のタイトルに首を傾げた。

「自治会におけるハラスメントの注意事項」

 勤め先でもこのテの講習を受けさせられたことがあるが、最近は、たかがマンション自治会までコンプライアンス委員会の様子を呈しているのだろうか。

 上座に座った禿頭の男性が書類を読み上げるのを聞き流していた。

 突然、自治会長だという彼が

「水島さんは、ウメハラって知ってる?」と言ったので、私は反射的に自分の苗字に反応し、びくっとした。

「はい?う・・・?」

「ウメ。ウメハラ」

「ええと、聞いたことはあります、けど」

 馴染みは無いが、つぶやきアプリで回ってきたことがあるのを覚えていた。姑が嫁に、結婚したからには子どもを産まなさい、と圧力をかける、とか。しかし、企業的には、妊婦に偏見を抱く上司の、マタハラの方が大きな問題として取り上げていた。「業務上」という枠を超えて、欲張りな人間が高度なモラルを他人に求めて生まれたことばだと、私は思っている。

「うーんと、ね。私も良くは知らないんだけど、自治会に投書があって。このマンションにはいろいろな人が住んでいて、そこにはいろいろな事情があるから、これからもそういうことにも気を付けてほしい、と・・・」

「はあ・・・気を付けます」

 自治会の会合に出席するのは初めてだったので、内容や名指しを不可解に思いながらも、私はそれを洗礼のようなものか、と思い頷いた。

「ちょっと待って。ウメハラってなんですか?僕はパワハラぐらいしか知らないけど、最近はそんなのあるの?」

 卓球クラブの代表というその男性は、自治会長と年こそそう変わらないように見えたが、彫りが深くルネサンス期の彫刻のような顔をしていた。

「産めハラって言うのはね」

 自治会長は、私が思っていたのと、そう変わらない説明をした。

「ふーん。まあいざこざが起きないように啓発は大事だと、僕も思うけど、なんだかシックリこないというか。誰が誰に、その『産めハラ』っていうのをするの?最近は、すごくたくさんのハラスメントがあるじゃない。マンションで起こりそうなハラスメントの注意喚起をした方が良くない?」

 卓球サークル代表と自治会長が問答を続ける間、私は先月の坂田さんとのやり取りを、思い出していた。

「坂田さんのお子さんは?」

「いないけど、なんで?」

 少しだけ坂田さんの顔が曇ったような気がした。けれど、あれが産めハラと受け取られた?いやいや、まさか。

 ハラスメント防止のために、自分が何の気なく発する言葉に気を付けなくてはならない、と言われる。坂田さんの横顔に目を向けたが、彼女は真剣な顔つきをしているわりに、書類にも、私にも、かと言って自治会長や卓球サークル代表の方も見ていなくて、言うならば壁を敵のように睨みつけていた。私は、うっすらと彼女に薄気味悪さを感じた。

「じゃあ、こうしましょう。次月までに、マンションでこういうことが嫌だったっていうハラスメントがあれば、意見用意してもらって。それを話し合いましょう」

 集会室はマンションの一階、管理人室の隣にある。部屋に戻るのはエレベーターで上階に上がるだけだ。坂田さんと一緒だと気まずいな、と思ったのだが、幸い彼女は会合が終わるとすぐに、隣に座っていたカラオケサークル代表の女性とおしゃべりを始めた。お先に失礼します、と、つぶやいて席を立った。

 息子は家を出る前と同じ格好でテレビを見ていた。宿題はデイサービスで済ませてきたというから、お小言は言えないけど、先にお風呂に入りなさい、と言った。

「なんか難しい顔してるけど、どうかした?」

 と、旦那は言った。

「ええー」

 普段は鈍いと感じることの多い旦那が、珍しく私を気遣った。そんなに険しい顔をしていただろうか、と、思わず顔を撫でたが、自分でも杞憂と一蹴されて仕方ない程度のことだった。

 結婚して子どもを産んで、旦那が思った通りの人では無かったと、人並みに嘆いてきた。けれど、その分、人の良いところは、自分で気付かないところか、意識しなければ気づけないものだ、という気付きもあった。私の中に、女の勘などというものがあるのかは分からないし、あったとしても、信用できるか分からない。

「んーまあちょっと。腑に落ちないことがあっただけ」

「そうなの」

 私の歯切れが悪いのだけはいち早く忖度する旦那は、そう言って再び目の前の新聞を読むことにしたようだった。


 それから加速度的に坂田さんへの嫌悪感が増したのは、彼女が教えたわけでも無いつぶやきアプリのアカウントを、自ら探し当ててしまったからだ。彼女のアカウント名は「えりえりさばくたに」。原語の意味とは関係なく、語感が気に入り付けた、とある。つぶやきには、ラジオ番組への感想がほとんどだったものの、マンション住民の愚痴がたくさんあった。心ならずも私は「産めハラ」のもやもやを、自ら確定してしまったことになる。「えりえりさばくたに」こと坂田さんは、今から十年以上前、組織改革で夫の給与が下がり、子どもが欲しいという気持ちを圧し殺した。知人親戚からの産めハラに耐えた暗黒期があるそうだ。そうした古傷が、「私のような無神経な一言により」痛むことがあるのだ、と。

 それを見たときにムッとはしたものの、得心があり、妙にスッキリした気分になった。坂田さんへの違和感が、自分の被害妄想ではなく、安心した。それと同時に、私は、坂田さんを嫌う合理的な理由を得たような気がした。だから、坂を転がる雪だるまのように膨らむ嫌悪感に、歯止めが効かなくなった。彼女を嫌うと同時に、誰にでも本人に直接言えない本音はあるのだし、以前偶然出会ったとき、彼女はきっと後ろめたかったのだ。顔に出やすい素直な人、寂しい人。

 そういう見方もできるのに、なぜだが今では、坂田さんへの「嫌い」が止まらない。そもそも、なんなの?えりえりさばくたにってセンスの欠片もないハンドルネーム。ネタ元の「Eli, Eli, Lema Sabachthani?」とは、ヘブライ語で「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」という意味。そんなに深みのある人生は送っていないでしょう。発達障害の子どもを産み育てる方が、短期的に産めハラに耐えるより、よっぽど大変だもん。それをあたかも被害者のように。フォロワーは、ただフォロワーであるというだけで、深く事実を追求せず慰め合って・・・

 けど、いくら頭の中で坂田さんを罵倒しても、それを本人に言う勇気は持てない。このマンションに住む限り、お隣同士の付き合いは続くのに、あれから彼女の「本音」を調べるクセが付いてしまったからだ。


 7月、旦那の担当する巨額の融資がうまくいき、賞与とは別の報奨金が出たというので、ご馳走でも食べに行こうか、ということになった。あれ以来私は坂田さんを出来るだけ避けるようになった。けれど、意識とは別に、坂田さんと何らかの波長もとい生活リズムが合うらしく、近所のスーパーやマンションの度々出先でバッタリ会った。その頃はようやく新型ウイルスの流行による自粛ムードも収まりつつあり、せっかく満を持して久しぶりの外食だったが、今度は帰宅のタイミングが坂田さんとばったり合ってしまった。

「ああ、こんばんは」

「コンニチハ」

 坂田さんに屈託のない主人は、坂田さんを認めるなり、ほろ酔いのいい気分で挨拶をした。初対面の時と違い、息子が主人に続いたため、私もそれに倣わずにはいかない。

「ああ、こんばんは。今日は家族でお出かけだったの?良いわね」

 坂田さんには、どうやら「面倒見の良いおばさん」という自宅マンションの「顔」を意識しているらしかった。公園で会ったときのように気まずそうな様子は微塵も見せない、初対面時の笑顔だった。

「ええ、そうです」

 と、調子の良い主人は、聞かれてもいないようなことをいろいろと坂田さんに話し始めた。息子は食べ盛りで、外食となると予想以上の高額になるので、上ロースは○皿までと決めている、とか。

「まあ、そうなの。ぼく、我慢できて偉いね」

 以前は「ぼく」呼ばわりの坂田さんを無視したが、今日は機嫌が良かったこともあり、息子は

「うん」

と、頷いた。

 後でつぶやきアプリを見てみると、彼女は「お子ちゃんとのせっかくの外食で、わざわざ金額制限するのに行く意味あるのかな?お金溜めてから来れば良いのにって思う」と書き込みしていて、ムッとした。意味のない数字と自分に言い聞かせつつも、数十のイイネに、イライラする。

 風呂から上がってから、旦那の「感じの良い人だね」という発言に思わず八つ当たりしそうになったけど、ぐっと耐えた。彼女はただ、自分に子どもがいないから、私達家族に嫉妬しているだけ。寂しい人なんだ、可哀想な人なんだ。別に実害があるわけでは無いんだから。


 夏休みにちょっとした騒ぎがあった。マンションにネズミが出たという。乳児がいる家の宅で、夜間モニタリングカメラを付けていたらしいのだが、キッチンにあるクラッカーの箱を漁っている姿が撮れていた、というのだ。住宅の管理会社が駆除を依頼し、自治会合でも報告があった。夏休み中は、息子が療育代わりの放課後等デイサービスの時間が変わるため、それに合わせて在宅ワークの申請をしていた。夏休み中は給食がなく、家事は大変になるが、その反面時間の都合が付きやすくなるので、子供会では面倒だと敬遠されがちの自治会合の代表を請け負った。

 その頃、私は今の半分くらい、坂田さんが嫌いだった。

 腹黒なのに、園芸が趣味で、スーパーが併設されている大型工具屋で植え替え用の鉢を探している坂田さんと鉢合わせたことが気に入らなかった。私も、簡単なロベリアから始めてみようと言うと、いろいろ教えてあげる、と、言ってきたことも気に入らなかった。ウンベラータのことを「ウンベちゃん」と言うのも、何かに媚びているような気がして気に入らなかったたし、にも関わらず、「子どもは旦那に見てもらっている」と言っただけで、つぶやきアプリで「旦那に媚びている」と言われたときは、本当に気に入らなかった。

 私が坂田さんを嫌いなように、坂田さんも私が嫌いのようだが、それぞれが違うポイントで、似たような感情を抱いていることに、嫌悪感が止まらない。坂田さんと自分が似た者同士かも知れないとは、考えるにも怖気が立った。

 自治会合に出席する代表を月毎に変える子供会サークルとは違い、坂田さんは、通期のお茶の会代表だった。だから、私は集会室に行けば必ず坂田さんに会わなければならなくなるけど、彼女は他の人の目がある時、我を出すことはほとんど無かった。毒気が強いのはつぶやきアプリの時のみ。現実の坂田さんは、マンション内では、稀に我が出るとは言え、露骨に朗らかな態度を崩すことはほとんど無かったため、私は坂田さんが嫌いでも、彼女と顔を合わせることまで厭わなかった。いや、半ば意地になっていたのかも知れない。

 彼女みたいな可哀想な人に、侮られてたまるか、と。

 

  その日の自治会合はあいにくの雨だった。室内のため天気は関係ないようでいて、共用スペースでは、いつもは気にならないカビのようなにおいがたつのが苦手だった。

 坂田さんは、最近カラオケ会件自治会会計の、正田(しょうだ)・ひろ子さんという人と仲が良いらしい。マンションで見かけるとき、彼女と一緒であることが多かった。私は正田さんのことを良く知らなかったが、子供会には事情通のママさんがいて、彼女は今五十代半ばで、一昨年まで子供会にいたと言っていた。

「退会されたんですか?」と聞くと

「息子ちゃんと娘ちゃんがいたけど、どっちも卒業して家出ちゃったからって。二人が小さい頃離婚して、一人で育てるのはしんどいっていうのが口癖みたいになっている時があったから、子どもと関係ない別の事したくなったんじゃないかな」

 坂田さんには子どもがいないのに、正田さんとは気が合うなんて、不思議だと思っていた。

 その夏に一人、子供会には新規入会者がいた。両親ともに入会することは珍しくないが、彼こと高瀬博之(たかせ・ひろゆき)は、父親一人で子供会に入った。

 マンションの花火大会で子どもを連れてきた彼は、自己紹介を求められると、

「シングルファザーなんです」

と、にこやかに堂々と言った。

「言った方がいろいろと気遣ってもらえますから」

 (偏見かもしれないが)男性らしからぬしたたかさに好感を抱いた。

 高瀬さんが、自治会合に出席してみたい、というので、連れて行った。彼には十歳の息子と七歳の娘がいて、ユリアという娘の方を、会合に連れて来ていた。

「引っ越して早々、ネズミ騒ぎで嫌にならない?」

とドアを開けながら聞くと、高瀬さんは鷹揚に頷き

「僕は食品会社に勤めているんですけど、確かに虫と違ってネズミはやばいですね」

「ええ、それじゃあ虫は問題にならないの?」

「衛生管理の面で、虫が浸入したり食品に入ることは、人の健康被害に直結しないけど、ネズミは問題です。感染症の流行でも、まずはじめに警戒されるし」

「へえ」

 集会室に入ると、坂田さんと正田さんが近づいて来て、私は身構えたが、どうやらユリアちゃんが目当てらしかった。

「わあ、かわいい。お嬢ちゃん、いくつ?」

 高瀬さんもユリアちゃんも人当たりが良く、朗らかな笑顔で二人に応じている。

 高瀬さん、馴染むのが早いわ。子供会では敬遠されがちの自治会合だし、シングルは大変そうだけど、高瀬さんが今後引き受けてくれたり、しないかなあ。私はそんな風に期待していた。

 それから幾月も経ってから振り返ると、坂田さんの嫌悪感は、高瀬さんが緩衝材となってくれたおかげで、一瞬だけ薄まったことがある。高瀬さんは、人の心の機微に敏感で、坂田さんの事を悪く言ったつもりもないのに、早々に、「苦手なんですか」と気付かれた。なんでも、彼女と話す時の私は、顔が怖いらしい。

「ん、んー。まあ少しだけ」

 聞きにくい事をズバリ聞くわりに、高瀬さんには人の毒気を抜く独特のオーラみたいなものがあった。

「水島さんみたいなシッカリしている人は、坂田さんみたいなお節介な人と合わないところも多いかも知れないけど、僕みたいな人間にとって、彼女のような人がありがたい時もあります。男親の限界というか、母親が誰に言われなくても当然のことが、僕にはスッポリと抜け落ちている事がありますから」

「へえ、そう・・・」

 押しつけがましさはあまり感じなかった。

 正田さんは、二人の子持ちでシングルということで、高瀬さんに親近感を抱いたらしく、トークアプリのアカウントを交換したいと言った。坂田さんもそれに倣った。

 坂田さんに子どもはいないが、友達にするのはどうやら子持ちが良いようだった。自分の話に説得力が増すような気がするからだろう、と私は思っている。

「え、ユリアちゃんって言うの」

 私は彼らの話にこそ入っていかなかったものの、聞き耳を立てていた。振り返ると、我ながら悪趣味だと思う。坂田さんは眉をひそめていた。子育てハックの耳年増になっても、小学校にごまんといるキラキラネームのたぐいには耐性が無いんだろう。

 その後、二回ほど自治会合の代表を引き受けてくれた高瀬さんだったが、中途で入った後輩の教育を任された、とかで、断るようになった。残念なことに子供会も辞めてしまった。これは、習い事の送迎が、忙しくなってしまったかららしい。


 坂田さんが辞めさせたようなものだと思っている。ユリアちゃんの名前を聞き、そして自治会合がお開きになって一時間もしないうちに、「将来苦労するのは子どもなのに、なんでわざわざキラキラネーム付けるのかなぁ?思いっきり平面顔の日本人なのに、外国人みたいな名前。似合わないよ!」とつぶやいていた。

 高瀬さんは、初秋の遠足で話した時、彼は娘の影響で女児向けアニメにはまり、今では娘よりも好きになった、と言っていた。その話に呼応するように、坂田さんのつぶやきには、「大人なのにかわいい女の子のアニメが好きって、気持ち悪いって思ってしまう。人それぞれだけど、性癖とか大丈夫かな?奥さんに逃げられてるんじゃ、子ども大丈夫かなって、心配(>_<)」

 高瀬さんより以前は、私らしき人物への愚痴がいろいろと投稿されていたから、ターゲットが高瀬さんに代わって安堵した気持ちが全く無いと言ったらウソになる。高瀬さんの包容力を誤解していた。子ども二人を一人で育てるくらいだもの。坂田さんは、つぶやきアプリと同じ事を面と向かっては言わないし、彼こそたとえこのアカウントの事を知っても、そういう事もあるって、受け流せるんじゃないかな。

 我ながら自分に都合よく考えすぎだ、と呆れる。今思えば、私は高瀬さんの方をもっと気遣うべきだった。

「シングルファザーだと言う方が気遣ってもらえる」と言っていた彼は、ほとんどシングルは大変だと告白していたようなものなのに、余計な心労の種を押し付けたようなものだ。

 子育ては大変だ。落ち着いて考えれば、SOSを訴える人のことばを誤解したりはしないのに、つい、自分は気遣われる側だと思い込んで、気遣いのタイミングを逃してしまう。

 それでいて、自分の仕事を認めてほしい、という承認欲求を持て余している。確かに、坂田さんのような人はありがたい、と言っていたのは高瀬さんだけど、それが本音のすべてとは限らないのに。


 この頃の私は、もう隠し立てすることなく、夫に坂田さんへの愚痴をぶちまけていた。

「なんとかならないのかな。坂田さんのあの『面倒見の良い私』みたいな自己イメージ。人の悩みを聞く器量なんかないんだから、放っておけば良いのに」

「うーん、そうだね」

「あなたの周りにはそういう人いないの?職場とか」

「結構気のイイひとばかりだからなあ」

「それ、あなたがそう思っているだけじゃないの?」

「そうかもなぁ」

 AIの方がまだマシな返事をする、という言葉が喉まで出かかり、口を噤んだ。代わりに深いため息を吐いた。

「負担になっているようなら、会合はだれか他の人にやってもらったら?子供会だって、絶対続けなくちゃいけないものじゃないんだし」

「え?うーん・・・」

 負担、ということばを頭の中で反芻してみた。負担、坂田さんが負担になっている?PTA活動も仕事も家事も、完璧じゃなくてもそこそこやっている私が、坂田さんみたいなつまんない人のために、自治会を辞める?どうして私が。

 と、考えて、ようやく私は、自分が意固地になっている事を自覚した。

「いや、負担ってほどでも無いけど」

「そうか、なら良いんだけど」

 なぜ、こんなに坂田さんが嫌なんだろう。つぶやきアプリを見るのを辞めれば良い。そうしたら、坂田さんについての印象は、「嫌な奴」から「ちょっとお節介」程度に薄まるだろう。もしくは、私も「坂田さんの愚痴専用アカウント」でも作って対抗してみる?なんだかシックリこない。こと坂田さんに対して、一週間も便秘のお腹のような、気持ち悪い考え方しか出来ないのは、何故だろう。


 私には、ある光景が脳裏にこびりついている。直観的にネズミを可哀想だと思ってしまう。祖父母の農家で、ネズミが殺されるところを見たことがあるのだ。トラウマというほど大したものではないが、寡黙な祖父が、上がり框にうろついていたネズミを叩き殺し、ささくれ立った無骨な手に、ハンカチ一枚だけを乗せ、お腹が破れて赤黒い内臓がはみ出ている死体をつまみ上げ、ぽいっとゴミ箱に捨てていたのだった。

 その頃、豚やウシがどんな風にと殺され食卓に並ぶか本で知ったばかりの私は、生き物をありがたく食えという教えに馴染めなかった。可哀想だと思うものは可哀想だ。両親は、就職してからずっと都会暮らしだったから、動物と命の距離が遠い私の感覚が、それほど珍しいとは思わない。ただ、感謝でもなければ矛盾した感情であることには間違いないだろう。動物を死に追いやっているのは、確実に人間でありながら、死ぬのは可哀想だと思うんだから。ネズミの殺害を見た私は、台所からキッチンペーパーをたくさん切り取り、それをゴミ箱のぶよぶよとした塊に乗せ、雪玉のようにまるごとつかみ上げ、庭に植えてある紅梅の根元に埋めた。良い事をしたような気分と、悪い事をした気分と、手に残る生暖かい感触の不気味さと、いろんな気持ちがごっちゃになり、ドキドキと心臓が鳴っていた。

 感謝なんてしなくても、生きて動物を殺すことを何とも思わない人たちの方が、現在によほどうまく適応できている。


「坂田さんはネズミだと思う事にする」

  私は旦那に宣言した。

「え、なんでネズミなの?」

 と、旦那は問い返した。

「同じ人間だと思うから始末が悪いの。人の幸せをかじり取るネズミ。嫌悪感はある。けど、不幸になるのは可哀想だから」

「へえ、なんかよく分かんないけど」

 自分でもよく分からないが、たとえば上がり癖のある舞台俳優が、観客を人間ではなく物だと思い込もうとするように、私は自己暗示をかけることにした。坂田さんの姿形こそ人間だが、実際私のネズミへの印象と、坂田さんへの印象は、よく似ていた。


 それとは別に、正田ひろ子さんが高瀬さんの事をどう思っていたか、気になっていた。坂田さんは、正田さんに高瀬さんの悪口を吹き込むことは、全く無かったんだろうか。

 そんな下世話な好奇心から、私は自治会合の代表を名乗り出た。

(自分でストレスをもらいに行っているようなものかも?でも、虫でもネズミでも、いると分かってもどこにいるか分からなかったらソワソワするものだし)

 体に秋の夜風を受けながら、二か月ぶりの集会室へ足を運んだ。

 高瀬さんが辞めたことを会合で告げたが、坂田さんと正田さんにはあまり関心が無いように見えた。けれど、会合を終えると、二人は珍しく私に近付いてきた。珍しい?初めてかも知れない。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど。高瀬さんって私たちの事何か言ってた?」

 いじめた自覚でもあるんだろうか、と、私は問い返した。

「高瀬さんですか?いいえ、何も聞いてないですけど」

「そう?トークアプリが退会になってるから、私たち、何かしたかと思って」

 私「たち」ってなんだろう。坂田さんと正田さんの人格が融合しているかのような言い方だ。

「喧嘩でもしたんですか?」

 さらに問い返すと

「やだ、いい大人がするわけないじゃない」

 と、一笑に伏された。喧嘩の代わりにつぶやきアプリで愚痴を書きまくるのが、大人気のある行動なのだろうか。

「坂田さんのことは、面倒見が良い人だと言っていましたよ」

 なぜ、高瀬さんの発言を聞こえ良く言い換えてまで、坂田さんを喜ばせるような事を言ったのか。ネズミの反応を確認したいという、知的好奇心のようなものかも知れない。

「本当?まあいろいろ話聞いてあげたからね」

 彼女は嬉しそうだった。不思議な事に、正田さんは、坂田さんの斜め後ろでニコニコ笑って立っているだけで、何も言わない。

「あの人実はなんか病んでるっぽかったからね。別れた奥さんに未練があったみたい。まだまだこれから子育て長いし、前向きなさいって言ったんだけどね」

 高瀬さんと同じくシングルで子どもを育て上げたはずの正田さんは、何も思わないのだろうか、と思い、水を向けた。

「それで、正田さんと二人で励ましてたんですか?」

 正田さんは目を丸くしたが、すぐに応えた。

「私の子供があれくらいの頃、一人で子育てするのって、もっと大変だったわよ。今の人たちは結構恵まれてると思うわ。だけど・・・大変だって言ってたら、大変としか思えないよね」

 今度は私が目を丸くする番だった。自分が苦労したなら、その分だけ自然と他人に優しくなるものかと思っていたが、どうやらそればかりじゃないらしい。「同じくらい苦労」しなければ、嫌だと思うこともあるらしい。けれど、自分の人生しか測る物差しが無いのに、他人の苦労を正しく測ることができるんだろうか。それは、自分への戒めにも言えることかも知れないけど。

「ね、人生理不尽な事ばかりだし、歯食いしばって耐えないといけないのよ」

 坂田さんは、どうしてこんなに。小さくなって、隠れていれば、誰にも気づかれないのに。誰かがその気になれば、叩き潰されるような小者なのに。人を煽るのだろう。

「なるほどですね」

「・・・やっぱり悩んでいたのかな。高瀬さん、なんで子供会、辞めちゃったの?」

「仕事が忙しくなったって言っていました」

 笑顔なんて作れるわけがない。これは、高瀬さんじゃなくても、私は坂田さんが嫌いだと気付くだろう。

「・・・連絡先は知ってるの?」

 坂田さんはニコニコしていた。さっきのお世辞がまだ効いているのかも知れない。

「さあ、知りません。子供会のグループラインも退会されましたから」

「そうかあ。まあ逆に辞めて良かったかもよ。変な趣味があったみたいだし」

 まだ言うのか。たかが女児向けアニメを見るぐらいで、変態扱いだ。すぐに後悔することになるのだが、瞬間的に高まった反抗心により、私はつい、言ってしまった。

「じゃあ、失礼しますね。『えりえりさばくたに』さん」

 その瞬間、坂田さんの笑顔は凍りつき、正田さんは怪訝そうに坂田さんを見た。

 何か言われる前に、すうっと靴を履き集会室を出た。秋の夜風は心地よかったが、心臓はバクバクと脈打っていて、私はまた、ネズミの死体を埋めた頃のことを思い出していた。


  冬休み間近のある日、マンションのエレベーターで坂田さんと一緒になった。彼女をハンドルネームで呼んでから一月ほどは関わりは無かった。気まずさから避けていたというわけではなく、自治会合は一か月に一度なので、実際に関わりがなかったのだ。坂田さんは、自ら私に声をかけてきた。

「あの時はごめんなさいね。高瀬さんと仲が良いって知らなくて」

 その後すぐに、坂田さんはつぶやきアカウントを「諸事情によりアカ削除します」という投稿を最後に、本当に削除していた。けれど一週間も立たないうちに、再度同じ名前でアカウントを作成していた。

 どうやら、フォロアーとの交流を断つのが惜しかったらしい。固定のつぶやきには「前アカは、嫌がらせを受けたので削除しました」とあった。

 どうやら、私が見たのは高瀬さんへの愚痴つぶやきだけで、私自身への陰口は知られていないと思っているらしかった。

「いいえ、別に気にしてないです」

 そう、気にならない。全く気にならないわけではないから、わざわざ坂田さんのつぶやきを追うのだけど、坂田さんはこういう人だし、私も坂田さんが嫌いだってことを自覚している。だから気にならない。

「私も、大人げなかったと思います」

 と、付け足した。なぜか、坂田さんを「坂田さんのまま」にすることばを選ぶ自分には、違和感を覚えた。

 軽い雑談で、私から朝の習慣を聞き出した坂田さんは、藪から棒に言った。

「ねえ、朝のお見送り、私がしてあげようか?」

「は?いやいや、そこまでしていただくわけには」

「フルタイムだと、長期休暇中はデイサービスの運営開始時間が遅いから困るってことでしょ?私の方が朝はフレキシブルだし。」

 フレキシブルって、ただのパートでしょ!と言いたくなったが、吞み込んだ。

「いや、ホントに」

ねえ?まーくん?まーくんはおばちゃんと一緒に行くの嫌かな?」

「どっちでも良い」

 興味なさげに言うので、この子はもう人の気も知らないで、と思ったが、まさか怒るわけにもいかなかった。

 固辞したが、坂田さんは執拗だった。

「迷惑なんてことないよ。お互い様だもの。」

「いやいや、ホントに」

「水島さんって、長期休暇の間はテレワークしてるんでしょ?こんなこと言いたくないけど、まーくん怒る時の声聞こえてくるのよ。早くしなさいとか、なんで準備してないの、とか・・・あんな風に言わなくても良いのにって。ねえ?ごめんごめん。でも、子育て大変なの分かるからさ。時間に余裕出来た方が良いでしょ?」

 まるで用意してきたかのような理屈だった。用意していたのか?

「いや、それはそうかも知れないけど。だからって」

「旦那さんにも相談してみたら?じゃあ」

 半ば強引に、この件を「保留」させられてしまった。なんなの?

 一応、まさか「じゃあお願いします」とは言えないよね、というつもりで旦那に相談してみると、

「へえ、じゃあお任せしてみようか?助かるね」と言う。

「いや、何考えてるの?坂田さんよ?」

「え、そうかな?子供会じゃ結構保護者の間で送り迎え当番みたいなの回している人もいるみたいだし、サークルじゃなくて自治会の人だからダメってことはないんじゃないかな」

「僕、どっちでも良い」

「まさ は黙ってなさい」

 そういいながら、きっちりとベランダのガラスが閉まっていることを確認せずにはおれなかった。

「モノは試しでさ。もしやっぱり無理ってなるようなら、断れば良いんじゃない?行政のチャイルドサポートも、結局日が合わないし使用しづらいって言ってたじゃない」

 旦那も勧めてくる。要は、私の負担が減る分、自分の負担が減ることを期待しているに違いない。やれやれ、どいつもこいつも。


 それで二週間ほど、あの坂田さんに子どもを任せてみることにした。もしかしたら息子のことを、ある事ない事つぶやきに書かれるかもとは思ったけれど、自己イメージが大事らしい彼女は、クレーマー気質では無かった。その自己イメージの中に、「子供好き」というのがあって、多少のことがあっても息子に目くじらを立てることは無いだろう、と、甘く見ていた。

 知り合ってから半年以上経って、初めて坂田さんと連絡先を交換した。坂田さんは責任感が強く、何時に息子を迎えに行き、一時間程度預かってからバス停に連れていく、と、私からのヒアリングを元に予定表をこしらえて、メッセージアプリで送ってきた。私の都合がきちんと反映されていた。なあなあになりがちで、言われた事しかやらない旦那より、遥かにやりやすいと、長らくの悪い印象が払しょくされるような気がした。

 つぶやきアプリさえ無ければ、私は坂田さんと上手くやれていたかも知れない、と思うほどだ。

 自分の事とは違い、息子については、あまり好き勝手に投稿されては困る。発達障害を揶揄するような文句くらいなら聞き流せるが、注意すべきは個人情報が特定されないような事を投稿することだ。坂田さんは、慎重なんだかおおざっぱなんだかよく分からないが、自分の顔は決して投稿しない代わりに、他人の後ろ姿や、住んでいる番地を一桁だけ、とか、「全国苗字ランキング」で自分は何位だ、とか、私のように彼女本人を知っていなくとも、彼女の投稿を遡っていけば「坂田那智子」は特定できるのではないかと、気がかりだった。

 坂田さんは、私からの謝礼こそ受け取らなかったが、その代わりつぶやきアプリでは黙っていなかった。

 私は、テレワーク申請を一応会社に提出していたものの、「この冬は旦那が送ってくれる」と言い坂田さんの様子を見ていた。坂田さんは、息子に好みを聞いて「家で食べなさい」とお菓子をくれた。息子は坂田さんに懐き始めていた。数日間は順調だったが、高瀬さんの一件を忘れていた。彼女の「忍耐」は、持って数日間だった。

 ひょっとして、最初から「その投稿」がしたかったんじゃないか。

「近所の発達凸凹ちゃんを送って来ます!私に懐いてくれて、かわいい」と、息子がバス停に向かっている途中、振り向き様の写真を投稿していた。顔にはモザイクを入れていたが、巡回バスが写り込んでいて、それと息子の背格好から、「分かる人には簡単に誰か分かる」写真だった。

 旦那に相談すると、とても渋い顔をした。

「ああ・・・確かにこれは、嫌だなぁ」

 だから言ったのに。いや、でも結局、頼ってみようと決めたのは私だし。

 一週間だけ我慢して、私は結局申請通り、テレワークの準備をして、「会社に勤務時間を配慮してもらえたから」と言って、坂田さんの見送りを断った。彼女は不満そうだったが、感謝を告げてお歳暮を贈ると、納得したようだった。

「まあ、短い間だったけど、役に立てて良かったわ」

 息子の個人情報が盗まれ悪用されると、本気で心配になったわけではなかったので、投稿を削除してほしいとは言わなかった。彼女に会うためだけに、どてらを脱ぎ化粧を直し、ファー付きのコートを着た。お隣に行くだけなのに、どうしてこんなに身構えるんだろう。

 坂田さんが、凄い悪人や、嫌われて当然の人間とは思わない。けれど私はやはり坂田さんが嫌いなのだ。彼女は、私にとってのネズミなんだもの。








 隣に越してきた水島さんを初めて見たとき、地味な人だと思った。前髪をセンターで分けて、髪を一つに縛っている。小学生低学年くらいの男の子がいて、「大変だから」で、オシャレの優先順位が低いらしい。そういう人を見ると、子供好きながら自分の選択肢は正解だと再認識せざるを得ない。オシャレする間もなく、見た目から疲れているのに、子育てが良いと言っている女性は、やせ我慢しているようにしか思えない。

 何歳か聞いただけなのに、応えない子ども。それを注意する素振りも見せない母親の水島さん。正直、こういう大人が育てるこういう子供が、将来世の中に増えていくのかと思うと、心配になる。

 どうして子育てに責任持てないのに、一時期の衝動に流されるのかしら。けれど、これは水島さんに限ったことでは無いから、目の前の彼女を責めるのは気の毒のような気がした。

 そうやって気遣ったにも関わらず、水島さんに「子供はいないのか」と聞かれた。すぐに「子供がいないヤツに、子育てを語る筋合いは無い」と思われているんだ、と分かった。

「どうして?」

 と聞き返すと、水島さんは口籠った。やっぱりね。最近の若い人は、マニュアル以外に気遣いが無いし、当たり前に育つはずの想像力もない。小学生の時から携帯やスマホを持たされていた人間はしょうもなくなるって、生きている証拠みたいな人間が、今はたくさんいる。

 夜勤の旦那が帰るまでに、夕飯を作っておかないと。FMのラジオを聞いて、つぶやき投稿をしているうちに、ささくれだった気分は落ち着いてきた。


 最近はおかしな人が増えた。SNSにのめり込んで、なんでも投稿するのに、常識がない。街を歩くだけで、ただ買い物したいだけなのに、語いが少なくて話が通じなかったり、自転車の危険運転を注意しても無視したりする。大人へのリスペクトが足りない。

 水島さんに限ったことでは無いから、それだけで彼女に苦手意識を持つのも気の毒だと思った。彼女は私が苦手な、仕事に育児に、と、周りを振り回すようなエネルギーは感じなかったけど、悪い意味で独特な雰囲気があった。

 こちらの粗を探すために虎視眈々、といったある種のいやらしさ。フォロワーさんと待ち合わせをしているとき、偶然水島さんと出会ったのだけど、挨拶の後も彼女はこちらを訝しげ伺いなかなか離れようとしなかった。引っ越しの挨拶では、失礼なことを聞いてすぐ、部屋の中へ引っ込んだと言うのに。

 水島さんは、若いというほどの年齢デは無さそうだけど、今後のためにも、他人にとって自分の態度がどういう意味を持つか自覚しておいた方が良いんじゃないか。

 フォロワーさんから「産めハラ」ということばをいただいたので、自治会に投書することにした。記名式だが、マンション内でトラブルが起きたとき、第三者として、管理会社かその下部組織である自治会の会長が間に入り、当事者同士の喧嘩にならないよう配慮される。私も、若い人の屁理屈を聞くのは嫌だったので、緩衝材になってくれる人がいるこの仕組みは、ありがたい。

 自治会長は、この「産めハラ」案件を、次回の自治会合で取り上げる、と、約束してくれた。

 

 それ以外でも、発達障害らしい息子さんのことが気がかりで、たしかつぶやきアプリのフォロワーさんの中には幼稚園教諭がいたことを思い出して、いろいろ話を聞いた。すぐに試せそうなことをいろいろアドバイスしたが、暖簾に腕押しというか、やはり反応が鈍い。「そうですね」と言うわりに実践している様子はなく、なぜだかこちらを小馬鹿にしたような、ニヤニヤ笑いをするだけ。

 子供への声掛けは、なるべく優しく、と言ったけど、ベランダを開け放していると、たまにキツく怒鳴りつける声が響いてくる。

 それだけの余裕が持てない、ということは無いだろう。水島さんのうちに子供は一人だし旦那さんも子育てに協力的らしいけど、二人以上の子供たちをワンオペで育てる母親は、世の中にたくさんいる。要は彼女の心の持ち様に問題があるのだ。

 一階の集会室に続く廊下は、そのままマンション敷地内の公園に続いていて、植え込みにはツバキがある。夜露に濡れながら花を咲かせている姿を可愛いと感じながら、集会室に入った。

 万が一、怒り出したらどうしよう、と、ドキドキしていたが、「産めハラ」の件を聞かされた水島さんの反応は鈍かった。自分のことと分からなかったか、自分のことと分かって憮然としているのか。最近の若い人は、想像力に欠けるので、もしかしたら本当に全く自覚がないのかも知れない。けれど、水島さんの人生がこの先どうなろうと私の知ったことでは無いから、この件をこれ以上深追いふるのは止めておこうと思った。


 他人からは、子供がいないというだけで、子供嫌いと邪推されたり、うがった目で見られることも多かったが、私は自分に満足していた。何かとストレスの多い世の中で、自己顕示欲の化け物のような若い人が多い中、仕事以外はてんでダメな子供のような旦那を支え、自分の機嫌を自分で取ることができるのだ。

 ただ子供を育てているというだけで、上から目線の人はたくさんいるけれど、そのわりに「子育て上手」な人は少ない。SNSで見せるところだけ華やかに気合を入れたり、早くからタブレットを与えるわりに、たまの外食でもお金を出し渋り子供に我慢を強いる。自分で望んだ子供のはずで、余計な物は与えるのに、我慢を強いるのは自己都合。常々疑問だったが、やはり水島さんも似たような感覚だった。こんなんで、日本は本当に大丈夫かと、不安になる。


 自治会で、正田ひろ子さんと言う人と仲良くなった。彼女は気の弱いところがある人だけど、身の上話をするうち「自分の意見をハッキリ言える那智子さんはカッコいい!」と言ってくれた。

 水島さんの事でも意見があった。今時の若い人がだらしないこともそうだし、彼女への違和感。腰が低いように見せているけれど、私達のような先達に対して、素直に話を聞くということはなく、ただあしらっている、というだけの態度が透けて見える。

 夏に「高瀬さん」という男性を連れて仲良く談笑しながら集会室に入ってきたときには、驚いた。確か、水島さんから「旦那はあんまり気が利かない」と言っていたはずだけど、こうして集会室に来ている間、手前の旦那は子供の面倒を見ているはずなのに。あの地味な格好で男好き?

 高瀬さんから話を聞くと、彼はシングルファザーで、どうやら話を聞いてくれる人に、餓えていたらしい。高瀬さんは、排水管の詰まりとか、ホームルーターなどの電気系に詳しく、いろいろ相談に乗ってくれた。その代わり、私と正田さんで話を聞いてあげたけど、どうやら高瀬さんも、水島さんと大して変わらないことが分かってきた。

 奥さんとはもう別れて一年以上経っているのに、「戻ってきてほしいと思うことがある」とか、いつまでも過去を引きずっていて女々しい。正田さんも、首を傾げ始めていた。

「私には、別れた夫に未練を感じる余裕すら無かったんですけどね」

 話を聞くと、アニメが好きで美少女キャラのアクリルキーホルダーを年甲斐も無くバッグに付けていたり、理解できない感覚も多かった。身の上が気の毒だからと根気強く話を聞き、何度も慰めたが、高瀬さんは強く変わる兆しを見せなかった。それどころか、「水島さんは、知的でとても優しくて、ちょっとだけ妻に似ている」などと、気持ちが悪くて聞いていられないようなことを言い始めた。

 母親は娘に「ユリア」なんてキラキラネームを付けるような女だったはずだ。それが知的という感覚も分からないし、水島さんを知的と思ったこともない。そもそも彼女は既婚者だ。そんなことを私に聞かせて、高瀬さんは何がしたいんだろうか?一風変わったようなことを言って、同情を引こうとしたり、夜の中構ってちゃんが多すぎる。

 メッセージアプリで「いい加減にしなさい」とキツめに言うと、それ以降やり取りは無くなったし、いつの間にか自治会を辞めていた。

 昭和産まれの人間より、今の人達の心が弱く幼いのは、どうしょうもない事なんだろうか。


 高瀬さんが子供会を辞めてから、また、水島さんが自治会合に来ることになったらしい。

 水島さんは、何を考えているか分からないし、高瀬さんのことで逆恨みされても困るから、話を聞いてみようか、ということになった。高瀬さんは、水島さんのことが気に入っていたみたいだから、きっと、私達に良い顔をしながらも、彼女には私達の愚痴を言っていたんだろう、と当たりをつけてカマをかけたけど、別にそういうことは無かったらしい。

 私達が頼りになる、と。良かった、と思うと同時に、高瀬さんにはもっと親切にしても良かったかな?と思って、連絡先を聞こうと悩んだが、水島さんにとって、高瀬さんが彼女より私達を頼りにするのは面白くないことだったみたいで、どんどん不機嫌になった。

 人生の経験値が違うんだから、張り合っても仕方ないのに。挙げ句の果てに、フォロワーさんしか知らないはずのハンドルネームで私を呼び付け、集会室から出て行った。正田さんから、何のことか聞かれたの。「放置しているつぶやきアプリのアカウント名だけど、変な人からフォローされているのを放置していたから、何か勘違いしているみたい」と、説明しておいた。

 水島さんにチェックされているなんて、気持ち悪いからアカウントを一旦削除したけど、フォロワーさん200人に心配されるから、新しいアカウントを作った。一週間、鍵を付けておいた。

 

 水島さんのことは気持ち悪いけど、子供自慢ばかりの従姉妹や、五十歳間近になっても子供部屋おじさんの弟よりはマシかも知れない、と、思うこともある。けれど、やっぱり態度が悪い。

 冬が近づいて、パートと家事の傍ら、衣替えやベランダの鉢を替えるうちに、ふっと思いついたことがあった。ひょっとして、お隣の水島さんは、発達障害なのでは。それが遺伝して、息子さんも。

 あり得る話だ、と思った。彼女の感覚はけっこう変わっているみたいだし、こちらが不快に思うようなことでも平気で言う。

 大人の発達障害者は疲れるけど、息子さんはまだ可愛い気があるので、兼ねてから気になっていた子供のお見送りを引き受けることを、提案してみた。出勤する時間のほうが、通園・通学する時間よりも早いために、困っている共働き世帯が多いとニュースで聞いた。水島さんも、根は悪い人では無いんだろうから、そこまでされれば、私の懐の深さに気付くかも知れない。ついでに、つぶやき投稿の九割が「子育てを頑張る私」で、私を小馬鹿にしている年下の従姉妹も、ご近所付き合いの巧みさを感じればら少しは大人しくなるかも。

 ちょうどエレベーターで一緒になる機会があったので、水島さんにその提案をしてみたが、案の定、初めは拒否した。「旦那さんにも聞いてみるよう」言えば、水島さんの尻に敷かれて疲れているはずの旦那さんは、私の提案に乗るかもしれない、と考えた。

 かくして、私は冬休みの間、子供ちゃんのお見送りを担当ことになった。

 初めは愛想の無い子に思えたけど、慣れてくると人懐こい子で、お菓子を上げると

「さたたさん、ありがとう」

なんて、まだちょっと舌足らずなところが可愛らしい。

 水島さんは、連絡ノートやハンカチを入れ忘れることがあって、何度か泥を被ったけど、それでも私はその仕事に慣れて楽しんでいた。けれどやっぱり、息子が私に懐くということが、彼女は気に入らなかったらしい。テレワーク申請が通ったから、という理由で、見送りを私に任せるのを止めたいと言ってきた。

 可能性の一つとして考えていたので、私はゴネなかった。

 他人の好意を素直に受け取れない彼女だから、私が彼女の良き隣人であることに一生気付けないかも知れないけど、それは彼女自身の問題。私は何もしてあげられないし。




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