国際ビジネス図書 the culture map 第7−第8章、エピローグ
国際ビジネス図書 the culture map 第7−第8章、エピローグ
第7章は、ナイフじゃなくて針のように
相手の意見に、「不同意」の場合、どのように伝えるか?です。
作者のエリンさんは、アメリカ出身でフランス在住の人です。
ある夫婦のホームパーティーに招かれた彼女は、そこで
「家の隣で開かれるゴルフイベントについて、
どう思うか?」
「嫌に決まっている」という奥さんの意見と
「そうおもうのは、君が自己中だからだ」と厳しく批判し、真っ向から対立する夫婦に、ハラハラします。
彼女は、人を招いている最中に喧嘩なんて・・・!と、冷ややかな目で見ており、「エリン、君はどう思う?」と意見をあおがれて困惑します。
けれど、彼らは話が終わると、すぐに何事も無かったように腕を組み仲睦まじい様子に戻ったので、作者は、これもまた文化の違いと考えはじめます。
また、MBAの資格を持ち、広告エキスパートの中国人女性が、フランス人の前でプレゼンしたときの話。
それまで彼女は、フランスでの仕事はやりやすいと、好感をいだき自身の適性も信じていましたが、そこで
「なぜこの色を変えたのか」
と、喧々諤々の議論になり、彼女のキャリアに敬意を払わず悪意から反対してきたようにすら感じられ、ショックを受けました。
にも関わらず、プレゼンの後は、素晴らしかったよ!と、議論で感じたのとは全く違ったフィードバックがあり、混乱しました。
クライスラー社の、アメリカ人とドイツ人の管理者でディスカッションを設けた折に、アメリカ人は、ドイツ人を
「顔を立てるということをしない」という印象を抱いていることが浮き彫りになりましたが、ドイツ人としては
「興味の無いことに、わざわざ反対意見は出さない」という感覚です。
※アメリカ人は、何事にもオーバーリアクションという先入観がありますが、相手を批判することについては、慎重です。
カルチャーマップによると、
不同意をはっきり口にする文化があるのは、デンマーク、オランダ、フランス、ドイツなど、
対して、表立って人の意見を批判することはラテンアメリカや中東のいくつかが挙げられていました。
エリンさんがドバイに旅行しに行ったとき、車が厄介な渋滞に捕まり、ドライバーの女性は車を降りて、前の車のドライバーと激しく揉めていたそうです。
渋滞のことで苛立っているのかと、やきもきしていたエリンさんは、やっと戻ってきたドライバーに、「なんで喧嘩していたの?」と聞くと、
「喧嘩じゃないわよ、道を教えていただけ」と、返事が。
もちろん、日本も面と向かって他者の意見に反対することを攻撃と捉える国民性があります。
ノボノルディスクファーマ社の管理職に就き、デンマーク人の男性は、日本人に対してプレゼンの後に意見を聞くと、会場は静まり返っていて
何が悪かったのか?、見当がつかない。
後で参加者に聞いてから
日本人は他人の意見を聞いたあとで、反対意見を面立って言わないのだと知りました。
それから、日本のような「disagree」を気にする場では、ポストイットで匿名性を担保し、意見を募るようにすると、うまくいくようになったそうです。
不同意に関するトラブルを避ける際、問題になるポイントはもうひとつ。
ことばのニュアンスの違いが大きいのです。
著者がいうに、
フランス人の
「君は完全に間違っている」
ドイツ人の
「君の提案に反対する」が、ほぼ一緒のニュアンス。
中国人教授に、
「このポイントには同意しかねる」というと、彼は完全に批判されたように感じ、恥だとすら感じます。
中国人教授は、その後文化の違いをしり、相手の文化にあわせて、大枠が一緒でも、意見のことばを選ぶようにしてから、自信をすぐに取り戻したそうですが、
彼女は「disagree」を、ディスリクペクトや攻撃と思わないことも大事だといいます。
let me play devil's advocate
直訳すると、悪魔の提唱ですが、これは、不同意をあらわす枕詞です。
エリンさんの旦那さんは、アメリカとフランスの両方での勤務経験があり、このdisagreeの文化の違いに大きなトラブルの種を見出した彼は、
シンプルに、議論のはじめ、let me devil's advocateといい、反対意見を挙げて盛り上げていきましょう、ということで、人格攻撃と誤解されず仕事を進めることができるようになりました。
ボヘミアンのことわざには、紛争を解決するために物を切るナイフは要らないが、縫うための針は必要だ、というのがあるそうです。
To engage in conflict, one doesn't need to bring a knife that cuts, but a needle that sews.
第8章
何分まで遅刻?
きましたね(笑)
たとえば、朝9時15分から会議ながら出掛けはトラブル続き。
まず机の上のジャム瓶をひっくり返し、車の鍵は見つからない。
子どもを学校に行かせる準備をして、なんとか家を出たものの、いつもより渋滞が酷い・・・
会議に着けるのは、9時20分、いや、希望的観測すぎるか?半か・・・あるいは9時45分?
もし、時間に寛容な中東、アフリカ、インド、または南アメリカなら、「この程度の時間なら、遅刻とはいわない」と、問題にならないかもしれない。
エリンさんは、フランスに勤め始めたときに、「彼らはしょっちゅう遅刻するから気をつけてね」と友人に警告されたそうです。
そんなに?と、かくしてフランス人と商談の待ち合わせをすると、10分遅れてもなんの連絡もなく、何かあったのか?と、心配になりはじめたところ、悪びれもなく登場。
友人の警告にやっと納得したことがあるそうです。
また、エリンさんは、ブラジル人相手にプレゼンテーションをするおり、前日の夕食の席で
「このテーマにはみんな関心が強いから、プログラムにある45分じゃなく、もっと長くやってほしい!」という要望を受けたそう。
そして、ホテルに戻ってすぐにプレゼンの長さを調整し、翌日会場にいくと、プログラムが45分のまま。
まさか夕食の席で、相手が盛り上がっていただけのことを真に受けてしまったか、と、不安を煽られたエリンさんですが、主催者の大丈夫ー大丈夫ーという言葉を信じ、
冒頭に「65分のプレゼンです」と断り、プレゼンを決行しました。
時間超過で参加者から不満は出ることなくホッとしたエリンさんでしたが、主催者に、このあとの質疑応答の時間もたっぷりとってほしい、と言われ
すでに時間超過しています、と、断ろうとすると、むしろ対応に不満を持たれたようで
「クライアントは僕たちなのだから、柔軟に対応してもらいたい」と、苦情を言われたそうです。
人類学者エドワード・T・ホールという人は、The Other Dimensionという本の中で
monochronic時間
poly chronic時間という定義を提唱しており、これは実態としての時間ではなく、ヒトによってどのくらい時間感覚が違うかを説明したものです。
おかしな言い方ですが、時間を不可逆的と感覚的に捉えたのがM-timeで、時間を代替可能、かつゆったり流れるとしたものが、P-timeです。
作者のエリンさんがボツワナでボランティア活動に参加しているとき、待ち合わせに遅れるという物理学者のロバートさんは「もうすぐつく」と言いつつ、20分経っても現れなかったといいます。
時間に厳格なM時間感覚が優れているのかというと、カルチャーマップ的にやはりそんなことはなく、別の体験事例でストックホルムでエリンさんがバスを待っているとき。
12月の寒い日、時間通りに来るバスに早めに並んでいた彼女は、順番でいうと二番目で幸運にも乗り込むことができましたが、時間通りの発着のために、「列切り」が行われるのが、普通だというんですね。
ある会社のナイジェリア人スタッフは、ドイツ人が何週間も前から予定を決めようとすることに、ついていけないといいます。
工業国としての歴史が長いかどうかがポイントで、生産工場の機会ができると、従業員が時間通りに定められたラインにいなければ、工程に支障が出るからです。
対して政権不安がある国だと、たとえ現地にすぐれた設備の工場があっても、その政権によっては、インフラの休日すらいつ何時起こるかわからない。
そんな状態で、西欧から「一月後の何時から会議ですけど、出席できますか」と聞かれても、はい、とは言えないわけです。
以上the culture mapのあらすじ、少しだけ感想でした。
約250ページの本のあらすじを書いて、けれど、本著はもっと面白いとしか言えないボキャブラリー貧困なのが歯がゆいです。
ビジネス事例が並んでいるだけでも、叙情的な表現もたくさんあります。
今後も、良い本との出会い(邦訳が見つからない、分かりやすい、面白い)があったら、感想を書きたいと思います。
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