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老害予備軍チェック




 就学相談の後遺症で皮肉っぽくなっております。まあもともと、逆境とか苛立ちで力が湧く方だし、いろいろおかしいなーと思っていたところはあるから、もういいか、と思います。
 ちょっと曖昧な書き方なんですが、地域の小学校⇄教育委員会のやり取りが、完全に性善説に基づいている、と、いうか。

 学校の養護教諭が保護者の相談にのり、教育委員会に支援学校と支援学級、どちらにするか提出

 支援学校のことを知らないというのが、たいがい有名無実なんですけど、

 この就学相談創設の流れや要項、参加するべき人間、意図など、教育委員会に聞いても要領得ないし、発達障害児の就学相談に乗っていますって言いたいがために形式的に作られた流れなんだなって、スンッてなりました。

 良いんだか悪いんだか


遊心

※一部この件でのnoteは、時系列通りではありません。ご了承ください。


老害予備軍?!チェック






 勝手に作りました。私的老害度チェック。





チェック その1 心配性、世話焼き


 老害化でいちばん効いてくるのが「他人はどうでもいい」という人より、今までそれなりに社会貢献してきたという自負をもつ、ミドルエイジ世代と思います。

    適当にぶち上げといてなんですが、これは私も例外ではない。



 他人のことをつい気にかけてしまう人って、その気遣いがうまくいかないと、なぜうまくいかなかったのかしら?と、他責や自責、極端な思考にいきやすいんです。


 

 

 けれど、よく考えると、なんの気なしに言ったことや、気にしてもいないようなことを深読みされて、頼んでもいないのに心配されるのが、いちばん鬱陶しいんですよね・・・


 思うに、私が20代10代の子にかける気遣いも、鬱陶しいと思うんですよ。

 かといって、全くコミュニケーションを取ったこともない若い子が、どんなことに悩んでいるかなんて、話してもらわずに知れるわけもないのですが。


 「自分の若い頃を想像して」事の対処にあたる。


 今ドキこれをやると、たいてい頓珍漢なことになります。


 ひとつ、すごく分かりやすいのが、結婚願望です。



 今の20代のなかで、結婚願望がほぼ無い子はたくさんいます。

 それでも「実は結婚したいと思っている(できないから、その願望を認めたくないだけ)」この思考がベースにあるミドルエイジは、老害予備軍です。





チェック その2 

 人生ベースのコンプレックス



 親ガチャ、学歴、キャリア、運。


 私は自分を毒親育ちと言っていますが、自分の人生を親の責任にできる年齢は、すでに過ぎています。


 後悔も恨み言にしかなりません。できれば、もっと感情に振り回されず、正しいこととか、生きる知恵とか、親から教わりたかったものだ、とは思います。


 なぜから、そのほうが早かっただろうし、一芸を極めるのも集中できたから、すなわち、「私の人生はもっと違うものになっていたのではないか?」という、IFの話です。


 自分の頭で考えると、一定の理がありそうで、実は無意味です。

 前提が実現していない過去になっている時点で、机上の空論でしかありません。


 この不毛な思考を昇華しようという「悪あがき」として、私は本を読み、文字を書くということを選んできたように思います。


 その点でいうと、書きたいものを書き、優しい旦那さんとかわいい息子を持つ私の人生と、自分に肯定的である今の自分、一応自分の気持ちを詩的に表現できることなど、どれも後悔するようなものではない、So-Soであり、


 むしろ、パラレルワールドで、現在の世界線より良いという保証はどこにもありません。




 夢を追うことなどはおろか、生きるか死ぬかの環境に生まれ落ちる可能性だってあるのです。


 私は、そういう極端な可能性と比べて、だから親に感謝するなどという考えもまた、無意味だと思いますが、



 なんにせよ強烈なコンプレックスは、世代間の違いが、なんでもよく見えて、それに文句をいう若手がワガママに見え、ひがんでしまうことがあります。



 私の場合、簡単な例だと

 ITコンプレックスです。


 インフォメーションテクノロジーの教育について、30年前〜20年前はなかなか原始的で、小学生の頃はおうちにパソコンがあっても、中流家庭で回線速度の遅いのが一家に一台〜二台ぐらいでした。(我ながらめちゃくちゃリアルな感覚と思います)

 パソコンの授業も、一ヶ月に一回くらい、httpsとhttpの違いの説明もないまま、ただ、このURLとやらを入力すると某かとウェブサイトが開くとかで、そこかセンター試験を経て大学のC言語講義までぶっ飛んだので、全くついていけませんでした。

 

 ただ、学校の授業をありがたいものとしてトップダウン式で受け取ると、意味不明でしたけど、今、仕事をするために必要だからと勉強すると、不思議なことに、そこまで難しい話じゃ無かったんですよね・・・


 もちろん複雑なプログラムが組めるわけじゃないんですけど、ITにはITの専門用語がある、言語体系が違うだけで、プログラムとセキュリティ、何がしたいのか?目的を考えると苦手意識を持つほど複雑なものではなかった。


 それならそう言えば良いのに、狐につままれた気分。

 これは私が小学生のころは、IT技術が市井レベルまで体系化、一般化された学問では無かったことが原因です。


 

 けれど、今私はVBAからPythonへの移行に全く道筋が立っておらず、五里霧中の状態。

 息子が「似たような境遇」に立たされる時がおとずれようと、Pythonの知識すら時代遅れになっていないとも限らないわけです。

 息子を混乱させないような普遍の教訓を何か言えるか?



 無理だな、と。



 せめて柔軟に、としか。



 もうひとつ、男女雇用機会均等法に絡みつくひとつのことわざ

 女の敵は女

 と、いうものがあります。


 女性上司に相談して親身になってもらえること、もちろん多いのですが、女性の同僚(特に勤務年数は自分より長い人)に相談すると、かえって「それぐらい我慢しろ」みたいな、おざなりな返事しか無かったりする。


 

 ちょっとこじれると

「私が若い頃は」という苦労話を聞かされたりする。


 年配者としては「そこから何らかの教訓を」とか「私のように、成せばなるのよ、活路を見出しなさい的な、なんか「ええ感じな解釈」を若い者にしてもらおうと、良かれと思って(自分の愚痴を聞いてもらって、ウィン・ウィンのつもりて)言っていると思うのですが、ハッキリ言って老害予備軍思考と思うのですね。



 




 

チェック その3 ミーハー


 「旬な芸能人」「今流行のドラマ」「読書好き」「音楽好き」だけど、クラシカルなものはあんまり・・・で、八割型、新刊とか本屋大賞受賞・今月の売上ナンバーワン、で、どこのお店でも大きめなブース、平積みで売られているのが好き、という人。


 ただの経験則ですけど、「読書好き」については、こういう人とお話ししようとしても、噛み合わないんです。よくよく話を聞くと、そのとき流行りの本を読んでいることでの、自称読書好きだから、なんですよね。


 何年か経つと、流行りが分からなくなって


「イマドキの○○は何それ!」という愚痴。


 懐古厨に変わったりします。


 先日、ソウルのハロウィーンで大事故がありましたね。

    20年くらい前は、ハロウィーンイベントは日本や韓国で大規模なものはありませんでしたから、感覚的にわからないとあると、イベント自体が狂乱に見えて、事故の被害者を自業自得とまで思う感覚になります。


 個人的には、これは老害予備軍に感じます。




 流行りについていけなくなった瞬間、流行りそのものを否定し始めるという、思考回路です。




 







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