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サバサバ診断してみました。

注意 愚痴です。
   毒舌です。

https://moniko-life.com/shindan/sabasaba-girl-type/


※これは私のサバサバ度診断結果です。
 (アテになるのか知らないけど)

あなたは孤独を恐れておらず、むしろ一人の気楽さを楽しめる人なので、みんなの思う事や仲間外れになることを気にせずにサラっと流せるでしょう。

みんなと違って「みんな」とか「誰かと一緒」という部分に対するこだわりが非常に薄いので、その部分でサバサバ系だと思われますが、ただどうでもいいだけ。

一人が好きなサバサバ系女子は、ときに謎の敵意を向けられることがあります。

みんなは気にしている事や、普通だったら悩んでいる部分について気にしない事で、自分たちが馬鹿にされているように感じて反発心に繋がるのです。

僻みから、「サバサバ系女子じゃなくてただのぼっち」と叩かれそう。
我が道を行くカッコよさや、自立しているしっかりしたところは基本的には憧れに繋がる、または一目置かれるようなことが多いでしょう。ただし、単独行動を好まない人たちから「自分勝手」などとレッテルを張られることがあるかもしれないので注意しましょう。


サバサバじゃなくて
ただのぼっち、てのは、
完璧に当てはまっていると思いますね。

以下、Bさんも、本人が気に障るようなことは言ってないけど、という「謎の敵意」でした。

Bさんがたびたび面倒だと言いながら
なぜ自由度の高いSNSを辞めるという選択肢が無いのかも、不思議です。


以前、アメブロで仲違いした女性のブログを検索して読んでみました。

そう、
「発達障害だから親に縁を切られたのでは?」というダイレクト・メールをいただいた方です。

もう3週間も前の事ですし、
私はアカウントを削除しておりますので
もちろんその女性がまだ私をネタに何か書いているということは無いです。

だからとて、
もちろん私への暴言を反省していたか?

なんて、そんなワケがありません。

なぜか、その女性(仮にBさんとする)も11月以前のブログを全て消していました。
でも書いている事は、矛先を次々と変えているだけで一緒、イヤな気分になりました。

彼女は自分より若い女性で、気持ち落ち込んでいる人を見付け
「構ってちゃん」と悪口を書くのが
好きなようです。悪趣味です。 

なおタチが悪いと感じたのは、SNSの他ユーザーを別のSNSでネタにして、最後には自分上げに使うところです。

「年追うごとにハッキリ言えるように
なってきている。
根性すわってきているみたいで良い感じ!」


Bさんのブログのプロフィールには

「ポジティブな内容をお届けします」…

そういえば実母も
「ポップでハッピーな日常をお届けします♡」ってプロフィールで

アイツがイヤ
コイツのここが悪いって

結構な頻度で書いているんですよね。

「ポジティブ」なのは本当に良い事かな?
相手の性格の瑕疵をどうこう言えるほど…
 特に「暗い」って言って、人の性格をどうこう言う人ほど、年追うごとに無神経がどんどんエスカレートしてゆく感じ。

なんだかな、人生百年時代、生涯学習とはいえ、四十代・五十代の精神年齢って、
もう成長は望めないモノなのでしょうか。

人は変わらない!っていう人ほど
 オマエモナーって言いたくなるんですよね。


ハッキリ物言うわよ!
 酸いも甘いも噛み分けた女に、怖いものなんて無いのよ!ってスタンスなのに
贖罪なのか
言い訳なのか
自分に言い聞かせているのか


「自分の周りには私の意見に同調してくれる人がいる」って、
聞く人が「誰?よく知らないけど」っての存在をあげるんです。

これって…自サバ女って
言うんじゃないですか?


私、思うんですけど。

相手を目の前にせず
匿名性のある場
ブログとかツイートとか
「消してもイイや」
ぐらいの気持ちだったら
他人に対して好き勝手言うのは
根性座ってなくても。
誰でもできます。

相手のことを思って
嫌われるかもしれないけど、

言い方を選ぶ
場所を選ぶ
時を選ぶ。

っていうような人なら
強い、というのは、分かります。




繰り返しますが、もちろんBさんは最早私のことをネタにすることは無いでしょう。

メッセージ下さっていたときは
Bさんは私のことを
「心配していた」
それなのに
「お節介オバサン呼ばわりされた」
とのことで、文句を言ってきたのに
(※していません)

心配していた相手のことが、
3週間でコイツはだめだと
どうでも良くなる

つまり、最初から他人のことなんて、どうでも良い人です。

そういう相手と自分の気持ちの隔たりに気付かないのだから、ネットって本当におそろしいです…。


私が読んだBさんのブログは
もう全く存じ上げないDさんのつぶやきに対してのご意見だったようです。

Dさんのつぶやきは

仕事のこととか将来のこととか、
どうしたらいいか、どうしたいか、
…うまく説明できないです。

※文面は少し編集させていただいております。

それに対して、Bさんの意見。



自分で切り開くもの

私は、第三者的立場でしか言えない。

生かすも殺すも自分次第なのに

典型的な構ってちゃん!


中略


彼女も構ってちゃんかよ
強くならなあきません。
う~っとなる気持ちを、叩いて伸ばして
消す事も一人でしないと。


中略



面倒臭い人無理です。





このブログから読みとれるのは、

DさんとBさんはダイレクトメールで交流があったみたい。

その交流をBさんは面倒だと感じられた。

と、いう内容でした。


ダイレクトメールでやり取りした期間も内容も、詳しくは存じ上げないです。

けれどDさんがBさんにそれほどシツコくしたわけではないようだし、
それこそ長年Twitterをやっているとなら、
門戸の広い交流設定にしている割に
  Bさんが狭量・意地悪なだけと思ってしまう。

私もBさんに
「アナタの相手に疲れました」ってメッセージをもらい
「は?疲れるほど関わってませんけど?」
と思ったから、それと同じで分かります。



冒頭のツイートはDさんがBさん個人に宛てたメッセージでは無いはず。

こういうことを繰り返すのって

オバサンの年下イビリです。


あくまで私の場合、私個人の意見、ですが 

ブログの頃とイラストは一緒なので、Bさんがネットの海から「Bさんの人格に疑問を持つ私」を探そうと思えば探せます。

愛着があるので一年くらいしたら戻すつもりですが、ペンネームも変えております。
けど、Bさんが粘着すれば、探しだせます。

自分の中の悪意を自分一人で消す

ということの本当の意味、本当の強さは

ネットで
 相手がたぶんココは見ないだろう、
 もう飽きているだろう。

じゃなくて、

本当に絶対に見ることができないような、
個人のアナログな日記、
知人と顔を合わせての愚痴にとどめる、とか、

それでもネットは可能性ゼロじゃ無いのだから

究極、自分の内部にだけ留める事を言うと思うんですよね。

他のユーザーが構ってちゃんって、
書き込まなくてよい悪口なんですよね。
それこそ、Bさんが書き込みたくなるのを、
うーっと我慢すれば良いのでは?
というお話。



Bさんのブログを簡単に見つけられたのは、私がブログアカウントを消したのと時期的に呼応するように自身のブログを消しているにも関わらず、

プロフィール画像を変えて、
けれどもハンドルネームはそのまま。
プロフィール文も、ほぼそのままだからです。

アカウントそのものは削除していません。IPアドレスが一緒。

それは別に個人の自由ですが。

疑問です。

彼女はともかく自分が「構ってちゃん」と思うものを嫌うようです。

しかし、ですよ。

 ニンテンドースイッチ
 Twitter
 instagram
 アメブロ

彼女は余暇にコレだけの事をやっていて、

四十代夫婦、子どもはいない

で、お子さんがいる家庭の年下の奥さんのアカウントに、自分は子どもはいないけど、年相応にいろいろ見聞広めて来ているから、で

クビを突っ込んで
 批判して…

カレー沢薫さんの
「ひとりでしにたい」という漫画に、

子育てクソバイスってセリフがあり
笑いました。

現実にやっていても、ひょっとしてナカナカ
気付けないものなのでしょうか。


アメブロで、
 あの人は構ってちゃん
 この人も構ってちゃん
(私のように)強くならなければ!

というようなことを書いているんです。


Dさんとのやり取りでは、
 音楽アーティストにかこつけて
 いろいろ悩み事を一方的に言われて
 云々…
と、言ったことでした。

まとめるとシンプルにこんな感じです。


BさんがDさんからメッセージをもらう。

恋愛や仕事、好きなアーティストの話。
ただ好きなアーティストについてはそこまで趣味が合わない。

Dさんは
ネットでの距離感を測り間違えている。
構ってちゃん。

と、いうDさんへの悪口を
アメブロに書いているわけです。


いいじゃないですかね。 
 多少の構ってちゃんくらい、
 構ってあげれば。

暇だからSNSやっているんでしょう?
ちがう?

面倒がイヤで
暇がないなら
SNSのどれか一つでも
やめれば済む話ですよ。


フォロワーさんもほとんどいないし、
熱心にコメントしている人は一人だけ…。

超偏見で申し訳無いですけど、

お姉さんキャラを作ろうとする年嵩のオバサンって、

そもそもSNS巡回していて
「構ってちゃん」というのが、
もうブーメランなんです。

SNSとの距離がうまく取れず
ネチネチした性格になっていますもの。
「私って中身オッサンですから」
って言いつつ、の、
女々しい自サバ女なんですもの。

それはこういう時代だから、
誰かが誰かに上から目線で言えることでは無いけれど

それなりに心の強い人は、
自分の欠点を自分から認め、
治そうとします。


Bさんの自分より寂しい人を見付けて
この人より私は寂しくないって安心して
叩いているっていう感じが

嫌です。とっても嫌です!

素直に寂しいっていいつつSNSしている人のほうが、私は、捻くれていなくて、良いと思います。


Bさんは「強さ」についても

勘違いしています。

本当に心の強い人というのは

心の弱い人に
力を与えてくれる人のこと
だから!!


弱い人を
 弱い!とか
 強くならなくちゃ、とか
 構ってちゃん!って言って

それはそうかも知れないけど
アナタもそうですよね? 

と言うのを呑み込ませる。


われ・真理を得たりと思っている人
ネットで世の中を切ったつもりに
 なっている人
社会貢献しているつもりでいる人
常識人なつもりのでいる人。

どれも
勘違い。

人間関係が面倒なのは当たり前
もちろんSNSが面倒なのも、当たり前。
面倒がイヤならやめれば良い。


些細なことで、他のユーザーに別のSNSで愚痴を書くっていう

それすら我慢出来ない・しない人の言う強さとは

なに?

ある一つの気持ちに蓋する代わり
別なところから悪意が漏れ出ていることは、
強い、とは言わないと思う。


矛盾に満ちています。

私ね、こうも思うんです。
イジメって、
これはイジメじゃないと言いたいなら
徹底的に嫌っていることを隠せば良いのに、
絶対、相手に分かるようにするよね。

知力を尽くして隠せばいい。

 だけど、匂わせる。

アナタは嫌われているの、
複数から嫌われているの、

って、示せなきゃ気が済まないんです。


相手を貶めて、自分を上げる
そういうやり方は、汚いとしか思えない。

自分より歳上のオバサンかこうなのだ、と。
ガッカリします。


子どもが産まれてから読んだ育児本に

イジメる人間と
イジメられる人間の気持ちは
実は、とても近い

と書いてありました。

イジメられる側がいついかなる時も被害者もは限らない…と、言うのは、
イジメられた後で、もうこんな思いをするのは嫌だと、イジメる側にいってしまうこともあるわけで、

イジメられたからといって、
その経験だけで
強くなれるわけではない。

と、いうことだと思います。  



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