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病院嫌いが死ぬ時



病院嫌いが死ぬとき





渡辺明棋士ってすごいですね。


かつて羽生さんとのタイトル戦で、三連敗のあと四タテで永世を勝ち取ったのも、すごいと思いましたが、


ストレート負けかと思った昇り龍の藤井聡太さんに、中年の意地を見せる。


結局藤井さんにタイトル取られちゃったけど


私は将棋に詳しく無いけど、渡辺明さんには、勇気をもらっています。


平均年齢とか、年収とか、数値を見ると、


頑張っても無駄だと感じてしまうことがあると思うのですが、自分のベストを尽くすことと、算出される「平均」は、本来関係ないことだ、と。




どれだけダメでも気持ちが挫けることを正当化できないし、頑張っても報われなくてみじめだ、と、後ろ指を指す人は、やっぱりそういう数値に惑わされて「とっくに挫けてしまった人」なんだろう。



諦めたところで、傷口舐めあう仲間にはいつでも出会えるだろうから、寂しくはないけど、後悔しないか?というところですね。


そう考えると、別に孤立・孤独は悪いものではありません。



頑張り続ける人というのは、どこか孤独なものです。





さて、この間、株式投資を教わっていた知り合いのおじいさんが亡くなりました。


息子さん(と言っても私より年上)が連絡をくれました。


自宅で亡くなっていたそうで、死因は、大腸憩室出血?か、なにかだそうです。



いわゆる「ぴんころ地蔵」で、手前の朝食に、亡くなる前日用意しバナナが冷蔵庫にあったそうです。






息子さん夫婦に「自分のことは良いから」と言って自由にさせていたそうですが、この人は聞きしに勝る病院嫌いだったそうで、平均寿命ほど長生きはされませんでした。


ただ、自分の親戚のことを思うと、90過ぎだけど、認知症が進み、ケアマネージャーさんとの契約を勝手に破棄した祖母や、しかもそれを庇う父親とか、


良い人たちだけれども、大病のあとでなかなか気の抜けない義父母など、



長生きリスクの顕在化を見るような気分でおりますと、


多少短くても80間近、幕の引き方が、羨ましいと思う私がいます。


 

昨年の冬でした。

私以外にも株を教わる生徒さんが多く、連絡がつかず、おかしいと思ったそのうちの一人が先生の息子さんに連絡したそうです。



それまでも月に二三度は様子を見に行っていて、疎遠というほどでも無かったらしいですが、忙しい週で、その連絡を受けて2週間ぶりに様子を見に行った息子さんは、父親が亡くなっているのを発見したそうです。



5年ほど前には、先生の奥さんが亡くなっていて、そのときは、親子ともども悲嘆に暮れたらしいですが、父親は立ち直り、息子さんに心配せぬよう伝えました。


息子さんは、父親が亡くなったとき、寂しくも、母親ほどの悲傷はなく、なぜか、告別式など落ち着くと、寂しさとともに清々しい気持ちがあったと言います。



遺品である住所録から、私のような、それほど深い関わりのない人間にも、先生が亡くなったことをすぐにお伝えいただきました。



病院嫌いでなければ、治る病気だったかもしれないし、もっと長生きしたかも知れない。


けれど、そういう後悔とはあまりに遠く、「人好き」の先生は、生きている間とても充実して彩りのある人生を送ったように、勝手ながら思うのです。



株の先生、というと胡散臭く見られるので、あまり人には言いませんでしたが、デベロッパーから株式投資研究をしていなければ、自分は父親の跡をついで、和菓子職人になっていただろう、と話していました。


色出しが得意だったそうです。





ひとしきり今の注目株の話をすると、そういうとりとめのない話に移っていくのですが、それを聞くのが楽しかったですね。









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