黒部ダムでトンボと一緒に翅を伸ばしてきた。
最近家族で出かけることが多い。
多いと言っても人並みだが、これまで家族と外出など一切なかった僕たちにとってはものすごい高頻度だ。
先週はかねてより行きたいと思っていた黒部ダム。
行きたいと言いながら、「いつか行ければいいや」程度のものだったが、実物を見た後となっては、「行ってよかった」これに尽きる。
長野県大町市の扇沢駅10時出発。休日で30分ごと200人くらいの大行列。しかし今日は普段の休日より空いていたらしい。
小太りの駅員がやってきてアナウンスを始めたと思ったら、
「まだ時間があるので…お土産いかがですか。」
大行列を成す駅構内はどっと沸いた。待ち時間の苦痛が少し和らいだ気がした。
実は2本前から近くで待機していたので、前のダイヤでも出発前に似たパフォーマンスをしているのを耳にしていたため、これが鉄板ネタであることが発覚し、妙に流暢なのにも合点がいった。
しかしなぜだろう。彼の一言でみるみるお土産や弁当が売れていく。
ここでお昼を買うにはまだ早いし、ダムに行けばダムカレーが食べられる。
普段なら絶対買わないだろうに、彼に引き寄せられるように人々はお土産を買っていく。
購買意欲のそそられる人柄というのは、こういうのを言うのだなと感心されられる。
正直これだけでも今日は満足だった。
が、その先にはこれ以上の魅力が待っていた。
黒部ダムへ続く関電トンネルを走るバスは、ガソリンを使わずモーターで走るトロリーバスらしい。
バス内ではモニターで関電トンネルが開通した際の工事の映像が映され、当時の過酷さを物語る。
中間地点あたりで掘削作業で突然大量の湧き水が吹き出し、工事は困難を極めたらしい。その区間は「破砕帯」という看板で示されていた。
後にこの工事では171人の殉職者がいたと分かるが、この破砕帯の区間はあっけないほど短かった。破砕帯だけで171人ではないのだろうが、この短い区間で起こった悲劇は私は容易に想像できなかった。この区間では毎秒660Lの湧き水が溢れていたらしい。
ダムの敷地内には亡くなった作業員を悼む慰霊碑があり、手を合わせる人もいた。
トンネルを上がると、地下のバスターミナルを彷彿とさせる駅が現れた。
バスを降りると、左右に行先が分かれる。左は60段の下り階段ですぐに放流が見れる堰堤に到着し、右は220段(?)の上り階段で展望台に行ける。私たちは右を選んだ。
音を上げる人もいて、確かにキツかった。
中間で湧き水が飲めるのでそこで回復しつつ、残りを登っていく。
展望台に到着すると広大な景色が眼前に広がる。
観光客向けに無料の写真サービスを提供していた。
無料だからと撮ってもらったものの、サイズがあまりにも小さかった。まあ無料だしね。
大きいサイズの有料は1500円から。
当時使っていたクレーンや工事の記録が見られる歴史館のような場所に寄り道をしながら、220段分の階段を徐々に下っていく。
ダムの堰堤に近づいてきた。
ここからの景色は絶景だった。
100mも離れているにも関わらず水が飛んできそうな勢いで放流されている。
放出口から溢れる水は、水の流れるホースの先端を潰した時のような勢い。
水は下ではなく上に向けても飛び出しており、言うなれば爆発しているようだった。
天気も相まって綺麗に虹がかかっていた。
堰堤到着後、7月の暑さに寒気が襲った。
ダムは涼しいからと上着を持参したが、もはや寒かった。
放流口からはボボボボという轟音と、下から吹きつける凄まじい暴風。前髪を気にしたらこの堰堤は乗り越えられない。
高さに対する若干のスリルと美しい水の流れは何度見ても飽きなかった。
こんな中、トンボが流されるように上に飛ばされていった。
可哀想にと眺めていると、下には同じようにトンボが何匹も飛んでいる。
飛んでいるのか飛ばされているのか分からないが、ここに無理して留まっているのはなぜだろう…
「もしかしてトンボたちもこの暴風とミストシャワーを楽しんでいるのでは?」
あれは確かにトンボたちの遊びであり、人間より少し近い距離で水遊びをするトンボを羨ましいと思った。
ふと放流口側に背を向けると、平たい黒部湖。別世界のように静かで平穏だった。私はこの二面性が面白く、堰堤を放流口側と湖側をじぐざぐに歩いた。時間は倍かかった。
滞在時間は2時間にも満たなかったが、それ以上の満足感に包まれた。
トンボと一緒に翅を伸ばした黒部ダム旅行だった。
自然が好きならかなりオススメのスポットだ。
おまけ
全品、意外と量は少ない。グリーンカレーは結構辛いので注意。
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