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note:「お慕い」したいから「推したい」。


バンドにアイドル、所謂3次元の私の「推し」。

【アイドル(idol)】
1 :偶像
2 :崇拝される人や物

3 :あこがれの的。熱狂的なファンをもつ人

恐らく3。
どんな舞台に立っていようと、与えられたその場所を出来る方々は少ないと思う。限られた人達だけが出来る限られた世界はとても美しく儚い。

一隅を照らす存在、私が好きになった彼を胸を張って「格好良いだろ!」と言っていたいから、その時のその時のステージでいつも格好良い姿を魅せて欲しいと願う。
それでも「永遠なんて無い」から「今」に負けぬよう喰らいついて駆け抜けて。
「俺(達)について来い」感が好きです。この先も良い意味で想像出来る、そしてこれからもついて行きたいと思わせてくれる。少しの時間でいいから同じ時間や空間を共有して幸せを噛みしめていたい。



…いろいろな表現があるけど、後ろのデカいものも了承済みで本人達が好きで楽しくやってることだったらそれでいい。
此方には「いいのかこれ?」と思うものもあったりするけど、感性の違いで結局は彼等次第なんだと思う。

ステージに立つ機会がある方々は、
・それを天職とするように生まれたような方
・不器用ながらに一生懸命自分なりに取り組んで身に付けていく方
・他の印象はどうであれ “エンターテインメント性”に長けている方

と、大まかに居るような気がする(所感)

そんな中でも、何処かカリスマ性を秘めたスターを出来る方は限られるけど居る。花形。全員スターには違いないのだけど「守るべき存在」があるグループやバンドは強いと思う。

努力は見せるものでは無いし、努力が報われるものも限られているけど、その見えぬ努力を重ね「実れば」、成長した様は判るもので。努力を重ねて、経験して、糧にして、金にして、自分を高めて。
そしてまた個人に合った様々なカタチで応援させて欲しい。現実の中の非現実空間を体験させてくれる存在は非常に大きい。心の支え。
台詞も有り難く嬉しいのには違いないけど、台詞じゃなくその場の雰囲気や受けた印象で其処に居る人物が浮かぶような、自分がその場で目撃してないのにあたかも自分が観てるかのようなそんな言葉を少しでも目にした時は思わず惹かれる。その人物をこの双眸で観たくなって、どんな方だろうかと想像する。

人々の感想はこの上ない情報だと思う瞬間。
言葉選びで文章からの人となりや言葉の力強さも感じることが出来る。

難しいけど美しく印象的な文章を綴りたい。
呟きでも何処かの誰かに伝わればいい。
好いてくれるのならこの上なく嬉しい。
言葉は影響力を持つことには違いないから、気を付けなければ。

胸張って好きなモノは「好き」と真っ直ぐに具体的なる言葉にしたい。
誰かの好きな気持ちを刺激して、また「好き」を発生させたい。
いつまでも終わらぬ片思い。時には報われない方がいいこともあるずっと「好き」でいられるのか、なんて保証は何処にもない。移ろいやすい心は、ふとしたことで変化してしまう。「好き」という気持ちは都度大切にしないともう戻らないかもしれない。

様々な情報を得るたびに、自分の双眸で確認して感覚で体験してみたい。
もしかすると、怖いもの見たさ、かもしれないけど、経験することで変わることはきっとあると信じているから、いつになろうとも、「観たい」 「行きたい」と思える「場所」を持っていたい。
自分だけが居る場所ではないから、自分が嫌だと感じることはしたくないし、少しでも調べることが出来るご時世。多少なりとも知識を身に付けて臨みたい。

今の年齢と経験と熱量で感じたかった生の公演は数えきれない程ある。過去に行けるなら行って体験したい物事の1つ。でも永遠に叶わない。だからこそ、映像集や再放送があるなら再放送、其れの大切さと有難味。「今」感じたいものを感じることが出来るツールだなと思う。

【ファンを辞める】
バンギャルは「上がる」が、アイドルに対しては「降りる」ことで成立していく。この表現は未だによくわからないが、言葉が面白くもあり不思議だけど界隈には通じる。定期的に思う。
一緒に景色を観たいのに空港で飛行機を展望台から見送るか、同じ列車の車両から降りるのかみたいな。




興味・好奇心の幅はかなり広く、自ら求めて近付き得ていった様々な情報や知識で選別し、糧にしたいと思ったものは、かなり狭い。そんなことの繰り返しで。好みがまるで終わりのない砂時計の砂ように蓄積されていく。

好きになる、気になる、その「始まり」は理由なく突然、感覚に訴え掛けて来る。必然。それでも、「終わり」には必ず何かの理由が存在する。

この世の中で「心から好きと思えて楽しめる存在」に出会うことが出来たのは、出会うことが出来ていないと感じる方々より、人生に於いて少しばかり楽しいことがあって幸せなだけだと思う。
住んでいる場所や年齢、職業、地位、見た目などと関係なく、自分なりに好きな気持ちで楽しんで生きていきたい。

記憶を消したくても、なかなか消えない。
覚えるよりも、忘れる方がはるかに難しい。

 何等かの状態に陥り、意思とは関係なく失ってしまうか、「自分が消えないと消えない」のが「記憶」で。簡単に記憶を消せる筈がない。ましてや「自分で」気になって近付いていって好きになったのに。
バンドのメンバー脱退、活動休止、解散。
悲しくて、つらくて、好きな気持ちのそれ以上に心に刺さる。「想える存在」が有ることは、本当に幸せなことだと思っている。羨ましいと云われたこともある。その方からすればそうかもしれない。けど、人によっては「依存」と受け取るかもしれない。
言葉にすることが出来ない感情の揺さぶり、突如としてわき上がる名も無き不思議な衝動、きっとそれは「好き」の一部分。「好き」のそれ以上の気持ちと「価値観」なんて、多分無くて。ただただ、「勘」と「素直な感情」を信じて「好き」なのだと。

「好き」という気持ち。それだけでも知らず知らずに、量は違えどエネルギーを消費するものだと気付く。気持ちが人間を動かす原動力にもなる。いずれ、維持や嫉妬などの気持ちへと変わってしまう可能性を秘めているけど大きな存在。

グループ名やバンド名はある種の確立されたブランドだと思う部分があるので、活躍する上ではその名に恥じぬよう背負っている意識を常に持っていてほしいし、重みに負けそうになったら降ろして休んで向き合って考えて考えて、それでも続けたかったら続けてほしいし、ブランドの看板を下ろす決断をしてほしい。ブランドをやり続けることが出来るのはひと握りの限られた方々にしか出来ないことを頭の中に持ち続けていて。
ブランドは決してあなただけのものでもないことも忘れないで。



会いに行くことがファンの全てじゃない、それぞれの愛情表現、応援の仕方、何より生活がある。「○○な部分が好きで共感出来るから応援したい」と思える人柄だから応援している、私は。
そんな方からの発言も此方には大きいものがあったりする。
「会いに来てくれることが全て」だとは感じないで頂きたい。

ファンは自分が応援してる方々のある意味の「目安」だと思う。
「一部」はどんな分野にでもいるけど、その「一部」の度合や人間性が、関係者や周りの人への反応に繋がり、応援している方々へのイメージや、少なからずの「価値」を下げてしまう残念なことに繋がりかねないのではないかと感じる。

今の自分の好きな彼等から、自分と同じような好きな気持ちを持っていた誰かが離れていく過程が段々とわかっていく時、何処か悲しく感じてしまうけど、きっと私も同じ事を繰り返してる。
でも、一線を引いてた所を更に遠くへ引くだけだから「離れていく其れ」を彼等に伝えることは必要だと思わない。

「追っかけ行為」は本当に贅沢だと思える。
生きていくことに本来は必要ない。生きるのに精一杯の日々を送っているなら、追っかけまでの考えが及ばない可能性だってある。
当たり前が当たり前じゃない。
安全な環境で健康体で過ごせてて可能にさせている背景があって成立する。
染み込んだ癖、習慣、感覚はなかなか抜け出せないし変えられないことが多いような気がする。価値観はそれぞれに違うからそれぞれに合った感じ方でいい。「自分にとって大切」だとその時に人生に「必要」だと思えたから。自分の人生を彩って、より良く物事を感じていこうとしたことだった、ということ。

会いに行って、生のエネルギーを得て吸収して、好きだと伝えて。誇りに思っていたい。
明日には笑顔が観れなくなるかもしれない、観てきたもの全てが無くなるかもしれない。
無駄遣いにもとれる、正当化してる、美化してると云われたら、持ち合わせてない感覚ではそうかもしれないけど。
「好き」も伝染するし、「嫌々やっている」ことも伝染する。
誰かに何かを伝えようとすると、伝える側がしっかりと理解して、心から伝えようとする気持ちと、声色や動作、仕草、身体から発せることが出来る何かが一致していること。観ていると判るもの。「好き」や「楽しいこと」の伝染ならば喜んで。
一度好きになった物事を、事情があって離れたりはしても、そう簡単に嫌いになったり、忘れたり出来るはずがない。絶対自分の何処かに何かしら残っていて、何かの拍子に思い出したりするもの。
濃度と熱量が増減しているだけで、本来は自分の中に蓄積されていたのだろう。いつの間にやら均衡が崩れてきていて、「好き」も変わっていく。諸行無常。

人生に於ける人間活動に付随する「趣味」が、「生きていくために必要な人間活動」を食ってしまってはいけない。

そんな中でも「音楽」、音を楽しむこと、知名度は兎も角 彼等を好きな気持
ち、応援していきたい気持ちを私は忘れないようにしたい。


可能な限り「お慕いしたいから推したい」のだと云わせるような人柄を持った存在であってほしい。