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読書感想文

 このあいだ、ヘルマンヘッセの車輪の下を読んだ。
 キッカケは、高校三年生の時に受験勉強を兼ねて行われた学校での小テスト。有名な文学者とその作品を暗記するもの。暗記だけじゃ無意味じゃないか、せっかく知る機会があったんだから読んでみようじゃないか、ということであれから2年、やっと読む機会がやってきた。
 読み終わった後、いろいろな思いが溢れてきて、思わず小学校以来ぶりかと思われる読書感想文を書いてしまった。あんなにあの当時は面倒で早く終わらせたいとしか思っていなかった夏休みの宿題の代表、読書感想文。すらすらと思ったことを書いていたら長文になっていた。もっと色んな人にも読んでほしく思って、ここにもその文を載せようと思う。

 読み終えてからというもの、アタシはとにかくこのヘッセという人物に興味が湧いてしょうがない。とにかく素晴らしい自叙伝だった。

 主人公のハンスは、小学校低学年の頃から、子供の頃にしかできない遊びや、交流、経験から遠ざけられ、[天文のある子は神学校に行って、牧師になる]というその土地に根づいたレールにのるだけのために勉強を強いられる。レールのためたけでなく、レールにのった子どもを「立派な子ども」と見なし、自分の子どもがそういう子どもになったということを誇りに思ってしまう大人たちのために。
 ハンスの父親は、ハンスがすきだった魚釣りや、あそびを取り上げてしまう。ハンスがやがて神学校に入るも、途中で心苦しくなり、学校を抜け出してその後亡くなってしまったときになっても、父親はその誤ちに気づかないでいる。ハンスがいずれ、こうした環境におかれることで、子どもらしさやハンス自身の個性を忘れてしまったり、失ってしまう運命を分かっていたのは、ハンスをいつも気にかけてくれていたくつ屋の職人だけだった。

 子どもの頃から「あそび」よりもテストのための勉強、学歴を得るために勉強をしよう、という環境におこうとするこの風潮、世間でいう「優秀な、普通の子ども」を作り上げる構造は、今の日本にも似たようなものを感じる。というより、全く当てはまる。
それにこの物語は、ヘッセが29歳(1906年)のときに書いたものである。ヘッセの子どものころの自伝であるので、この物語にある優秀な子どもを育てようキャンペーンはもっと前のドイツにあったということ。だとすると、このキャンペーンが2020年の日本でなお、存在しているんだと考えたらなんだか恐ろしい。
わたしもそんな教育のもとで育ってきた身であるから、ハンスにはとっても共鳴したし、読んでいてとても苦しくなったりした。

 加えて、この本の魅力は、高橋健二さんの訳にもあると思う。
この本の特に前半には、ヘッセが幼少期を過ごした土地の風景が反映されていて、細かにその土地の自然が描写されている。その細かな表現をドイツ語だとどのような表現だったのかわからないが、美しい、流れるような日本語で訳されていたのがすごく良かった。今まで、例えば英語なんてものは感情を一つ取っても何種類もの表現方法があって、私は英語にそういう魅力を感じていて勉強しているわけなんだけども、そういう点において、日本語って表現が乏しいし、なんでもヤバイで済んじゃったり、平らな言語であんまり気持ちいい感じはしてなかった。けどこの本には美しい日本語がたっくさん詰まっていて、日本語にも美しい表現があるんだなって発見がありました。詩とかももっと読んでみたらまた発見があるのかもと思ったり。

 この本は特に、日本人には響くものがあるんじゃないかと思う。この本の物語自体もよかったからそこもお勧めしたいたころではあるけれど、この本を読むことがきっかけになって、今の日本の教育への違和感を少しでも感じて、考えてほしいと思いました。