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神宮外苑開発に反対

先日、神宮外苑の開発、高層ビル建設が承認された。
何年か前から議論されてきた、いや、議論はされていないと思う、非常に身勝手に進められてきた問題だろう。
いつのまにか建物の高さを規制する法は存在を消し、”承認”というあまりに軽い二文字で片付けられたような気持ちになった。

政府は何がしたいのか。
何を目指しているのか。

どこもかしこも同じ風景。その街の色と空気に針をぶっ刺しているようにそびえ立つ高層ビル。景観なんてあったもんじゃない。

そんな光景に違和感を感じないその感性はとても不自然だ。
いや、違和感を感じているのかもしれないけど、それよりも、自分たちの暮らしをより楽に、そして優雅に着飾るためのマネーというものを手に入れたい、ただそんな思いだけで全てを変えていっているのだと思うのだが。

自分にとっては、神宮外苑はとても思い入れのある場所。神宮球場に行くついでに、神宮外苑の中の公園を散歩するときもある。行くと分かるが、敷地内では鳥の声が行き交う。そして木が根を張って立っている。

そんな木々を、切った後は、また植えれば良い、というのだ。なんて感性なんだろ。唖然とした。
ただの木じゃない、ずっと何十年もその土地の変わりようと、風と音とを見続けてきた生き物。そしてそこにはその木々を暮らしの一部にする生き物がいる。
心があるのは、人間だけだと思ったら全然違う。動物にも心はあるし、植物にも心はある。

今ある土地は、全部人間が自由に操っていい、なんてそんな権利どこにあるんだろう。歴史を置き去りにする社会の未来は?
…想像したら見えてくる、枯れたような風景が。

そして何より言いたい、
私達はこの議論に参加もしていない
承認もしていない

これはもはや独裁的じゃないか。今の日本の危機的状況は至る所から見えてくる
それをいくら疲れていようとも、時間がなくとも見逃さないように、忘れないようにしないといけない
そのとき感じた怒りは大事な感情だ