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こどもに家事をさせることへの迷い

旧Twitterを眺めていて、こんなポストを見つけました。

うちの親が子どもである自分に家事を全く教えなかったのは、自立を阻むことであり、ある意味毒親だ(意訳)

それを引用する形で、こんなポストもありました。

私は親から家事を押し付けられて育ったのが嫌だったので、わが子に家事はさせていない。なんでも毒親というのは心外だ(意訳)

旧Twitterって、ゼロヒャクで物事を捉えて反論する人が多いので、こういう平行線を辿る議論が起きがちですよね。うんうん。


どこまでがヤングケアラー?

ヤングケアラーという言葉が社会問題として取り上げられるようになりました。共働きで両親が忙しいからといって、子どもの学んだり遊んだりする権利を取りあげるほど、家事や下の子の世話、ときには介護などを押し付けることは、良くないという認識が広まってきています。

たぶん、2人目の人の論点はこのヤングケアラーについて言いたかったのだと思います。

でも、1人目の人の論点は、子どもに家事という生きる力を教えないことへの疑問なので、そもそも話がずれているんですよね。

そして、家族として助け合いながら家事をすることと、子どもに過度なケア要員を担わせてしまうことの問題は、置かれている状況によってボーダーラインが違います。親側の努力で回避できることと、本当にどうにもならない場合と、一緒くたにして考えるわけにはいかないですよね。

生きる力を生活の中でつけていくには

わが家も共働きで忙しい毎日ではあるけれども、子どもの遊ぶ権利、学ぶ権利はできる限り確保することを意識しています。

それと並行して、家事を含めた生きるための力を小さいうちから養って行きたいということは、同じくらい意識しています。例えばどんなことをしているかと言うと、

休みの日の朝ごはんは自分で作る

下の子が一年生になった頃から始めたのですが、休みの日の朝ごはんはセルフサービスになっています。各々、起きてきたタイミングで好きなものを作って、好きに食べるスタイル。母が絶対に作らない、バナナに粉砂糖をかけたおやつみたいなトーストを作ったり、チョコミルクドリンクを作ったり、やりたい放題です。

平日の朝は時間がないですし、お弁当作りでキッチンも混み合っているので、全部用意して出していますが、時間のある休みの日だけのお楽しみ。タブレットでレシピを検索して、冷蔵庫にあるものと相談しながら楽しんでいます。

最近では、スイーツ作りにも目覚めた小3の下の子。アレルギーがあるので、市販のスイーツはあまり食べられません。食べたいレシピを見つけると、材料を書き出して、スーパーに行った時に買って欲しいと言ってきます。

料理ができるって本当に大切なスキルですよね。家族の晩ごはん作るを強要すると、負担になってしまいますが、できることからコツコツやっていけば、そのうち勝手に家族のご飯も作ってくれるようになるかもしれません(淡い期待)

買い物に一緒に行く

これは、保育園児だった頃から意識していたことですが、スーパーに買い物に行くときは、できる限り子どもを連れて行くようにしていました。大抵は、保育園にお迎えに行った帰り道に、スーパーに寄ることになります。

スーパーは社会を知る窓口だと思うんです。果物野菜売り場にいけば、旬の果物や野菜を知ることができます。季節ごとに売っているものが変わること。季節によって値段が変わること。そんな、当たり前のことを一緒に見て回ることで知ることができます。

私は魚が捌けないので切り身を買うのですが、スーパーの鮮魚コーナーに行くと、カットする前の魚を見ることができます。下の子は「丸ごとお魚」を見るのが好きで、まるで水族館に来たのかな?と思うくらい、毎回見に行っては喜んでいました。

そして、実際に一緒に買うものを選び、カートに入れてもらいます。こんなことを繰り返していると、オットより子どもたちの方が、普段私が何を買っているかを知るようになっていきました。

まだまだ伝えたい生きるための家事

こうやって、ヤングケアラーにすることなく、家事のスキルを徐々に子どもたちに伝授しています。と書いていて気づきました。まだ、洗濯について教えてないことに。

洗濯も大切な生きる力ですよね。洗濯機に洋服を突っ込んで、洗剤を入れればいいいって話ではありませんし、干し方も気をつけることはたくさんあります。

うまく、生活の仕組みとして取り入れながら、教えて行ける方法を探してみようと思います。




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