間に合わんかった

 ほんとうにしまったことについに一日一本を忘れてしまった。ニコニコ動画がなかったら今これを書いていないかもしれない。時報が役に立ったのは初めてだ。間に合っていないのだが。

 それはともかくとして、いったい何を書こう? 私はいつも書き始めているときに、書くことを考えていない。書く前から浮かんでいることはあるが、書く内容を考えたことはない。

 普段であれば、なにを書こうかとかいうのは、直前になにかを見たりしてそこから思いつくのだけれど、私が直前にやっていたことと言えば、コンビニでエナジードリンクを買ったぐらいなので、とくに書くことはない。モンスターはすごく太る気がする。レッドブルもするがモンスターよりマシで、最近売ってるチルアウトはけっこう好みでさわやかだしいちばん太らなそうだがいっぱい飲んでしまいそうなのでやっぱり太りそうだとか、そんなことは割り合いどうでもよくて……まあいいや。なんか書こう。

 そういえば最近、いまになって”さらざんまい”のアニメを見た。ネットフリックスでたまたま見つけて、見てなかったなと思ったのである。

 監督の幾原邦彦には一時期はまっていた。私が見たのは監督作品ばかりで、セーラームーンは見ていないのだが、一番好きだったのはウテナの劇場版だった。短くさっぱりと見れるし、衒学的な言い回しも他のものに比べると少ない。キャッチーな要素も満載だ。私は衒学的な言い回しの多いアニメも好きだけれど、感性だけで受け止められる作品も好きなのだ。ウテナカー。動くお城、今見てもしびれる。ピングドラムは、なんだか終盤詰め込みまくっていた印象だった。ユリ熊嵐は、じゃっかん薄味だった。ウテナはじつは、最後までまだ見れていない。今度見よう。

 さらざんまいはうえの作品に比べると、より下品な内容になっている。変態さで言えばたぶん、ウテナのほうが上だと思うが、下品さではこちらがだいぶ勝っている。ただしオープニングにカナブーンなんぞを起用しているだけあって、描写の下品さのわりに受け入れやすくなっているように思える。今回は男色だ。幾原邦彦はどの作品にも同性愛の要素がはいっているが、さらざんまいは主に男性同士の恋愛がとくに表に出ている。ただしユリ熊嵐と違ってそれは他の愛と区別されるものではないし、物語の主役になるものでもない。(ユリ熊嵐もそうはそうなのだが、あちらは主役二人の関係を通しているので、さらざんまいとは見え方が違う)

 私は幾原邦彦はけれど、同性愛者ではないだろうな、と思う。じじつ奥さんがいるみたいだし、というではなく、全性的というか、愛情に性別うんぬんを考えていないのだろう。いや考えてはいるのだろうが、それはいわば超コード化によるもので、原始コードでは頓着されるものではない。

 さらざんまいはすごく面白かった。6話までは。ほんとを言うと、5話までは。その先がつまらなかったとかではなく、主人公の話がそこでもう終わってしまっているので、これ以上の成長はないんじゃないかなと思わされてしまったからだ。他のふたりも私は好きなのだが、やっぱり6話がかなりキリよくまとまっていると思う。(とかいいつつ、マブとレオの関係には泣いてしまったのだけど)。

 あと個人的な趣味を言うなら、一希には最後まで女装するシーンがあって欲しかった。単に趣味の問題というのもあるけれど、一希にはそうする事情があったとはいえ、女装自体も楽しんでいるようには見えたのだ。見た目がとても好みというのもあるけれど、たぶん一希が最後まで女装していたら、私はなにも言わず賞賛をはくマシンになっていたと思う。欲望には抗えないのだ。

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