煙の街
札幌に暮らすようになって、今年で十年目になる。
私は北海道の北部の山間、日本よりも北欧やカナダの田舎に近い風景の中で育った。
そんな私にとって札幌は都会で、あまり寒くなくて、雪も雨も少なく、風は強く雷は遠く、ひたすら人・人・人の街で目を回し続けた十年だった。
この十年、私の生活軌道はずっと地下鉄の東西線沿いにあった。
私の知っている札幌とはすなわち東西線沿いに存在している。
「本には美味しい珈琲」
私にこの素敵な公式を与えたお店が東西線の終着駅、新札幌という場所にある。
しとしとと雨の降る朝、本を持って久しぶりにそこへ行こうと思い立った。
少し説明すると、新札幌駅は地下鉄駅「新さっぽろ」とJR駅「新札幌」が合流する場所で、さらに「新札幌バスターミナル」が併設され、四棟の古い商業施設が道路を挟んでもつれ合い、何ともごちゃごちゃと迷路のように入り組んでいる。
そのごちゃごちゃの根元の高架下に四十年近く続く、駅馬車という喫茶店がある。
まだ私がきちんと昼食を摂っていた数年前、この近辺で働いていた。
いまはもう違う最寄り駅の会社で働いているので、新札幌へ来ることはない。
仕事に悩んでいた頃にここでランチをするのが唯一の楽しみだった。
もっと言うならランチができあがるのを待つ間、珈琲を飲みながら本を読んでいるときが幸せだった。
初めは外食なんて贅沢過ぎて、ケーキセットで済ませていた。
しかも、まだその頃は珈琲がブラックで飲めなかった。
お腹が空いたある日、何か頼んでみようと改めてメニューを眺めたらあまり値段は高くない。
初めて頼んだ厚切りトーストは本当に齧り付けないほどの厚切りで、午後の仕事が疎かになるほど満腹になってしまった。
ケーキも食パンも甘い。なんだか珈琲も甘いとスッキリしない。
次は珈琲をブラックで飲んでみるようになった。
(あ、意外といける。おいしいかも。大人になったなぁ。)
珈琲の香りをかいでいると、頭の中の嫌だ嫌だの霧が晴れていった。
その正気に戻るような感覚が好きで、以降珈琲はブラックで飲むようになる。
単純なもので、おいしいもので満腹になると苦痛はいくらか和らいだ。
苦しみの合間に贅沢をしている意識がよかったのかもしれない。
その頃の私は悩むことで手いっぱいで、大好きな読書から遠ざかっていて、日々が何一つ面白くなかった。
あるときトーストが焼きあがるのを待つ間、珈琲だけでは随分と手持無沙汰に感じた。
本があればいいのに。
きっとここでなら、落ち着いて読めるんじゃないか。
煙草の煙に巻かれながら電球のオレンジの光の中、本の世界にいるたったの十分間。
それはとても幸せな時間だった。
いま思うと、ああしてゆったりと過ごせる店が身近にあったことは本当に幸福だ。
ここに来ることが楽しくなり、フードメニューにどんどん挑戦していき、総じて量が多いこと、どれもおいしいことを知った。
作ってもらったものを残すのが嫌いで、いつもすべて完食した。
数年ぶりの駅馬車さんは、相変わらず煙草の煙に包まれていて、料理の量が多くて、珈琲がおいしかった。
本を持って行ったけれど、なんだかあの頃を思い出して妙に胸がいっぱい。
頭に漣が立って、普段は絶対にやらないけれど店内で写真を撮ってしまった。
歳を重ねても、悩みは尽きない。
けれどあれ以来、なるようになると諦めさっさと本に逃げる図太さが身についた。
久々のナポリタンは罪悪感を感じるほどケチャップたっぷりで濃厚で、こんな量を完食してたのかと苦笑いが出る。
そしてやっぱり、おいしかった。
食べ終わり一息吐いて、このあと予定があったので席を立つ。
不意に背後の壁を見ると、現在は感染症対策のために長居はご遠慮くださいとひっそり張り紙がなされていた。
外へ出ると少し雨が降っていて、六月の終わりにしては涼しい。
同じ高架下にあるドイツパンのベーカリー、ベッカライ・ドルフィーさんに寄るつもりだったけれど、残念ながらこの日はお休みだった。
残業のない日に、ここでおいしいライ麦パンを買って帰るのが好きだった。
こちらも同じく40年ほど続くお店で、新たなオーナーさんの元、名前も新たに生まれ変わるという。
駅馬車隣にあったCDショップの玉光堂は居酒屋になっていた。
HR/HMコーナーの片隅にあったポール・ギルバートの手形はどうなったんだろうとぼんやり思う。
初めてThe AnswerのCDを買ったのはここだった。
けっこう愛着を持っていた分、閉店を知ったとき寂しかった。
調べてみると、時を経て現在はごちゃごちゃの商業施設の中へ移転したらしい。
手形はまだあるだろうか。
確かめてみたい気もするが、時間がない。
ポール・ギルバートによく似た手を持つ美容師さんに、髪を切ってもらうためだ。
また近いうちに行こう。
今度はライ麦パンを買いに。厚切りトーストを食べに。おいしい珈琲を飲みに。