タルト・タタンの夕べ
今朝目が覚めた瞬間、おいしいものを食べたい衝動が走った。
ここしばらく同じような朝食が続き、普段は昼食を摂らず、夜に至っては間食で代用するか省いてしまう生活。
本を読む時間がなければ食事を抜く。
お財布が痩せてもほしい本があれば食費を削る。
そうして食を蔑ろにした結果、本能のどこかがいい加減にしろと爆発したらしい。
おいしくてもテイクアウトでは冷めてしまう、どうせなら出来立てが食べたい。
外出自粛が解けて十日余り、こうして突如として久しぶりに外食をする気になってしまった。
とはいえここは札幌市、まだまだ市中感染の例もある。
いつものお店ではだらだらと長居してしまうから、それは危ない。
休憩ではなく食事が主体で、どこか静かそうなお店…そういえば。
今日息抜きをしたら、また来週から自粛しようと誓い、ちょっと贅沢することに決めた。
大通公園の一番西、札幌市資料館の裏に小さく灯る"ミュシャの店"。
ここではとてもおいしいパスタが食べられる。
奮発して、珈琲とデザートにケーキも注文。今日は値段もカロリーも気にしない。
ここ最近、ケーキメニューの中にあれば、必ず頼んでしまうものがある。
タルト・タタン=林檎のタルト。
「マカン・マラン」(古内一絵)で読んで以来、何だか魔法の食べ物のように映るのだ。
タルト・タタンという楽しい呪文のような名前も一因かもしれない。
本屋さんでも絶賛おすすめされているシリーズなので、ご存知の方も多いと思う。
古内さんの作品は、どこかで聞いたような、あるいは自分が経験したことのある悩みや苦しみがベースになっているので非常に入り込みやすく、文章も簡潔で読みやすいのが特徴。
しかし決して、ありきたりでは終わらない。
過去の経験をぼんやり思い出しながら読み進めていると突然、その時の自分に対する"正解"とも思える言葉を叩き付けられる。
あの時の自分はこういう言葉がほしかったのだ、こう言いたかったのだと泣きたくなるような、心のど真ん中を静かに突く衝撃がたまらない。
個人的には、別作品「十六夜荘ノート」が古内さんのそうした衝撃力の最高潮だと感じた。
話は戻り、「マカン・マラン」シリーズはドラァグクイーンのシャールが、料理によって訪れた人たちの心から憑き物を落としていく話。
しかしシャールは人の悩みを解決しようとしているわけではなく、ただ話に耳を傾け、心を込めておいしいものを作るだけだ。
この説明だけでは陳腐に思われるかもしれないけれど、おいしい料理には魔法のような力がある。
食べることは生きることに直結した行為で、欠かすことのできないその部分が充実することは非常に重要だと思う。
それをなおざりにする自分はどうなのかと思うけれど。
ものぐさな私には、おいしい料理が作れる人は魔法使いに見える。
全四冊で、シリーズ中で最も好きな三冊目にタルト・タタンの話は収録されている。
おいしいものを食べると、自然と歩みものんびりする。
ここ数日の暑さによる苛々はどこへ、にこにこしながら地下鉄に揺られた。
今日は花の金曜日、家でのんびり本を読みながら夜更かししようと思い、小腹が空いた時用にお菓子を買いに寄り道する。
しかし、お菓子に対するセンサーがまったく反応しない。
何が食べたいのだろう? わからない。満腹だから?
そして思う。
私、何もほしくない。
何だか今なら本も読みたくない。
一週間分の昼食と夕食を抜いても構わないくらい美味しかった食事と引き換えに、あらゆる欲は精算されてしまった。
魔法の力、おそるべし。
ごちそうさまでした。
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*今日訪れたのは札幌市営地下鉄東西線・西11丁目~西18丁目駅の間にあるカフェ・ラ・クレーマイエさん。パスタもタルト・タタンをはじめとする自家製ケーキも絶品。パン系もあり、メニューが豊富。この辺りはおいしいお店が多く、うろうろするのが楽しい。