親密な知識は今日も優しかった。
やることがないので銀器を磨こうと、ダイニングテーブルに最近使っていないティーセットを広げた。アンティークのイギリス製のティーセットだが、今日はお茶を飲むわけではない。ただ磨く。ものを磨くという作業は意外と無心になって集中できるものだ。
外は久々の雨だが、晩秋の雨は少々寒くはあるものの不快ではない。窓から見えるベランダの植物たちは鉢土に浸み込む水分にホッとしているようだ。日当たりのよいこのアパートの部屋は11月になっても昼間は湿度20%を切る。そのせいで乾燥しっぱなしの私の目も、雨のおかげで今日は落ち着いている。
私は銀器に指紋が付かぬよう、右手に白い綿の手袋をはめ、左手で研磨剤を柔らかい布で伸ばしながら優しく磨く。銀器に写る丸く歪んだ部屋の景色を眺めながら、私の頭はオーク材の壁に囲まれたある店の、ある日の記憶をなぞり始めた。
私の持っているティーセットは、とあるアンティークショップのホームページ制作を一人で行なったとき、その対価として金銭はいらないからティーセットがほしいという私のお願いをオーナーが聞き入れてくれた結果、手に入れたものだ。店内に並べられた商品には堂々した存在感を放つ陶磁器のマイセンやロイヤルコペンハーゲン、ウースター、コープランド、そしてミントンなど、様々な銘器を生み出した名だたるメーカーのものもあった。が、私は身の丈に合い、割れる心配もなく使い勝手のよさそうな、その上洗練されたデザインのティーセットが欲しかった。そこで名もなき銀器のセットを選ぶことにしたのだ。
銀のティーポットとシュガーポットとクリーマーの3点セットで、シンプルでモダンなデザイン、典型的なアール・デコ様式で、製作は1920~1930年代、価格は5万以下。
オーナーの中年男性は「純銀だから大切にね」と微笑んで言っていたけれど、私はその微笑みから視線をずらさないまま、いや違う、と心の中で呟いた。ただのWebデザイナー兼プログラマーだと思われたのだろうが、これは純銀ではない。ティーポットの裏を見れば分かることだが、「E.P.N.S」と刻まれている。もちろん銀器に含まれるが、Electro Plated Nickel Silver、ニッケル+銅+亜鉛の合金で、名前にSilverとあるものの銀は含まれていない。これが純銀ならE.P.N.Sの約10倍、50万は下らないだろう。
オーナーには話さなかったが、私はイギリス専門の西洋骨董店で働いていた経験があり、純銀なら触れただけで分かるのだ(毎日銀器を眺め続ければ短期間で誰でも分かるようになるので、決して特別なことではない)。
しかしこのティーセットには角砂糖をつまむシュガートングがついてなかった。そこでオーナーが「じゃあ、ついでにこれを」と付けてくれたシュガートング、これが笑えるのだけど、この何気に添えてくれたシュガートングが本物だったのだ。つまり純度92.5%のスターリングシルバー(純銀。純度がそれ以上でもそれ以下でもスターリングシルバーとは呼ばない)。もらったセットの中で最も古く、ホールマークが刻印されている。ラッキーである。
ホールマークとは、イギリスの純銀の製品にだけ刻んであるマークのこと。絵柄とアルファベットの組み合わせで製作年代と製作所(地方)が分かる。製作所は主にロンドン、シェフィールド、バーミンガム、エディンバラ、グラスゴー、ニューカッスル、エクセターなど。
シュガートングに刻まれたホールマークを専門の本で調べてみたら、1891年のシェフィールド製だった。小物とはいえ柔らかく、アラベスク調の優雅な模様が彫り込まれ、熱の伝導率が高いため、瞬時に手の体温と一体になる。
オーナーはこのティーセットが純銀だと信じているのだろうか?と考えたけれど、何も言わず、そのシュガートングも含めたティーセットはありがたく頂戴することにした。
以前私が「イギリス商会」という名の骨董店で働いていたときは、数百点ある銀器のホールマークを、まるで宝石の鑑定士のように毎日ルーペを使って調べていた。懐かしい・・・
業績が思わしくなかったためその店は閉じられ、私を含め3人の店員は解雇されて職を失ったけれど、大して役に立たない、でも親密な知識が残った。
黙々と銀器を磨きながらそんなことを考えていたが、やがてティーポットに写った景色に目の焦点が合い、意識が現在に引き戻された。それぞれの銀器は輝きを取り戻し、シュガートングのホールマークは黒ずみが取れ、シェフィールドを表す錨のマークの輪郭がくっきりと浮かび上がっていた。
世界に飛び出す勇気のない臆病な私は、いつも世界を自分に引っ張って連れてこようとする。ふと窓の外に目をやれば、そこにはイギリスの空を思わせる灰色の空。でもそれはいつもより優しく、親しく、いつかどこかで抱かれたけれども、日常忘れている懐かしさがあった。そんな空を背景に、銀器たちはまるで宝石のように鎮座している。