幼い頃の魂を弔いに
こんにちは。認めたくないですがすっかり夏ですね
記憶がすぐに消えるので、昨日今日で思ったことを適当に書きます。
途中でショッキングな虐待の話があるのでご注意ください。
私の魂を弔います。
昨日(2024/07/03)、海を見に行きました。
私がまだ幼かった頃、おじいちゃんとおばあちゃんに連れられて遊びに行った海です。
海中のワカメのようなものを拾いおじいちゃんに見せつけていた事、女の子向けじゃなくて恐竜の模様の浮き輪を選んで渋々買ってもらった事、貝殻を拾って帰ってお風呂場でざるに入れて洗っていた事、少しですが、まだ無垢だった頃の記憶が雨のように降り注ぎました。
思えばあの頃、母親とはあまり関わりがなくおじいちゃんっ子だったのを覚えています。母はおじいちゃんと仲が悪いから、私にも干渉しなかったのでしょう。
おじいちゃんは海が好きでした
家の壁や天井に大きな魚拓が貼ってあり、船の模型が玄関を飾り、世界各地の置物やタペストリーが部屋を飾っていました。そしてリビングにはハワイ旅行に行った時だと言うおじいちゃんとおばあちゃんの写真。
当時私は兵庫の須磨に住んでおり、マンションの高い位置にいたので海が良く見えました。
忘れていた事が沢山溢れてきました。おじいちゃんは釣りのプロで、釣り番組に出た時のビデオを見せてもらった事もあります。
おばあちゃんが買ってくれた水色ギンガムチェックのリボンがついた麦わら帽子に白いワンピースを着た私の写真を思い出しました。
思えばあの時がこの荒れ狂った人生で一番穏やかで、かけがえなくて、何も知らなくて、かわいかった。
あの時見た海が一番青かった気がする
初めて海を見た時の感想は、「無限の青い水」だ
今となってはもう地球には限りがあり、海も汚れ、赤潮まみれなのを知っている。
昔海水を飲んだことがある。
今となっては汚い水になってしまった。汚いのは私の心でもある。
昨日、砂浜で小さな子が網を持ち、遊んでいた
その子のお父さんだと思われる人が一緒にいて、きっとあの時間はあの二人にとって永遠の記憶になるであろうと思った。
私の汚れた目にはもう、腐った海藻と腐乱した魚、流れ着いた靴などしか目に入らないのだが、あの子はきっと快晴の下無限の青い水を見ているだろう。
22歳。よく考えれば長いようで短い人生だ
17年程の歳月を遡って、幸せだった私を見て見たい。
生まれてから5歳までの頃が一番楽しかった。何も知らなくて。
私は育った、知りたくもないことを知った。おじいちゃんは昔不倫をしていた
それのせいでおばあちゃんは心を病み、娘である私の母を虐待した。
母が大人になるまで虐待は続き、荒れ狂う精神の中海外で私を産み、DVの被害に遭った私の父は逃げてしまった
生まれた時から父のことなんか知らない。
そして母は再婚し、妹を産んだのを機に私を連れて大阪に引っ越した
再婚相手は最悪の人間だったので、家は大荒れし、薬物の運び屋をやっていた再婚相手のせいで母親も薬物に手を出したらしく、ギラギラと着飾り私を殴りしょっちゅう留守にした挙句、私を押さえつけナイフを向けた。
「鬱陶しいんだよ死ねよ」
なにもわからないけど死ぬのは怖かった。許してくださいと泣いた。
おじいちゃんとおばあちゃんに会いたかった。
その様なあり得ない生活は私が16歳になるまで続き、海すら見えないあいりん地区と言うスラム街に住むしかなくなったりもしていた
マシな時は天王寺や寺田町に住んでいた
再婚相手は母が血を流すレベルの暴力を振るい、日に日に悪化して私の息が止まるレベルの暴力を振るった(私を持ち上げ、床に叩きつける。職業がドカタだったので、力は相当強い)
離婚の話が出て、それはそれは大荒れした。私が泣いて懇願するレベルの暴力を振るい合うそいつらは恐ろしかった。
母が頭から血を流しており警察沙汰になった。
その後離婚して大正区に移り住んだのだが、荒れ狂った母の精神状態は崩壊しており、私に当たる様になる。何度も殴られぬいぐるみを切り刻まれ、殺されると思い児童相談所に行きたいと泣きながら役所に駆け込んだ。
そして児相から里親の家へ移されそこでも虐待され、やっと逃げてきたのが今の住居
それでも小学校から中学までのネグレクトや虐めや虐待により不登校になった分の勉強の遅れや字がうまく書けない、鬱病、おそらく複雑性PTSDで症状が出ているであろう症状(聴覚過敏、自閉、人の事が信じられない、大きな声が怖い)
には悩まされている。悪夢を見る。母親に殴られる、暴言を吐かれる夢
毎日睡眠薬を飲み、ボヤけた頭で朝を迎え、みんなが大学に行ったり好きなことをしている間、私は病院で泣いている。遅れをとっている。
仕事を見つけても体を壊して、社会の役にも立てないガラクタ
これが今の現状
唯一の救いは、君たちの様なインターネット越しだが素晴らしい人々に出会えて画面越しに対話をする事で孤独じゃなかった事
ありがとうね。
そして少し心に余裕ができたので、冒頭で書いた様に幼少期の頃遊んだ海に大人になって初めて行ってみた。
海は赤潮まみれでとても綺麗とは言えなかったが、私にとってはやはり神聖な場所で、誰にも汚されない思い出の場所で、永遠の最寄駅は須磨だ
昨日(2024/07/03)考えたのは、記憶を洗いここの砂浜で起きた事だけが真実だと言い聞かせる事。
どんな過ちを誰が犯したとしても、全てなかった事にし、私の命はこの砂浜に居ること、私の記憶はこの砂浜の上だけであること、それらを念じて貝殻を拾ったりして1日を過ごした。
私の魂の弔いは、幼少の私を抱きしめてやる事だった
ありがとう。
今度は誰かを連れて楽しく海遊びしたいと思う。
海が好き。
どうして私は海に生まれてこなかったのだろう。
だけど人間に生まれてこなかったら、海を綺麗だと思う事もなかったんだろうなぁ
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