性的なものに対する嫌悪感の思い出

 幼い頃から、「風邪をひいた」と言ってはたまに学校を休む類の不登校気味で、今から思えば相当なうつ状態だったことを思うこの頃。愛し合った彼女が亡くなり一年が経ち、一人でいるといつも夜空を仰いでは思い出に浸る毎日です。

 よく言われることがあります。「君、そんなに容姿も性格も悪くない、ていうかいい人だし、亡くなった彼女の家族に感謝されるほど愛情が深い人なのに、なんで思春期に彼女がいなかったの?」と。その点について自分でもものすごく不思議で、また車を運転しながら道ゆく思春期のカップルを見ながら羨ましく思ってきました。

 が、あるきっかけで最近その理由を思い出しました。それは、僕の思春期はセクシャルなことに興味を持つ心の余裕がなかったこと。というか、そういうものを嫌悪していたいう事実です。

 中学校時代はヤンキー全盛期。同輩の彼らは、どこからか借りてきたAV動画や父親がこっそり隠し持っていたビデオを目ざとく見つけ出し、仲間と一緒に見てはしゃいでたのですが、僕はその内容に嫌悪感と恐ろしさを感じました。

 ビデオの中に出てくるのは、見ていた同輩と同じように暴力的なヤンキーやヤクザ風の男たち。彼らにただただ付き従いレイプされる女性たち。そんなのを見て、心底恐ろしさを感じ、「セックスがこんなものなら絶対したくない!」と思いました。

 その記憶があまりに鮮烈であったがために、ヤンキーたちと全く違う世界に生きようと誓い、ひたすら勉強と家の百姓仕事を一人でやるという思春期時代を送っていました。スポーツに興じる中学・高校生ならまだしも、休みの日にいつも農機を使って仕事をしている僕を見て、近所のおじさんやおばさんたちはビックリしていたようで、今でも「あんたは仕事してえらい子どもやったね。」と言ってくれますが、実際はそんなご立派なものではなく、ただただ同年代のお友だちから逃げるためにやっていたというのが正直なところです。

 同輩たちから孤立することで、うつ状態と孤独に苛まれた日々、そして性的なものへの嫌悪感からひたすらストイックな毎日を過ごした思春期時代は、大人になってからのうつ病の原因になっていたように思えます。

 では、嫌悪していた恋愛をなぜ彼女とはできたのか。それが今日の本論です。それは一言で言うと、愛というのは無条件に相手を全肯定するものだということ。そしてそこには一切の強制や暴力の入る余地がないことです。彼女はそのことを、自らが昏睡状態に入った期間も含めた4年間、文字どおり命をかけて僕に教えてくれました。彼女は僕にとって最高の癒しの存在であり、高みに同伴してくれた導者でした。ダンテの「神曲」に出てくるベアトリーチェのような存在と言っても過言ではありません。

 当時僕に暴力的なものを見せていた同輩の中には、恋人を交通事故で死なせた人、ギャンブル癖から離婚し行方不明になった人がいます。狭い地域社会だったとはいえ、なぜもっと広い世界を見て愛を知ることができなかったのか。後悔の思いがします。

 DVやネグレクトの話を聞くたびに、思春期に見たAVを思い出します。
 当時の僕に言いたい。「こんなのは恋愛じゃない。ただの暴力じゃ!!!恋愛はお前が本当に望んでいるものだ!!」」と。

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