見出し画像

金足農業高校、凱旋おめでとう。

 先だっての書き込みからあと、昨日の試合を見ました。12対3でコテンパンに負けてしまいはしましたが、本当によくやったと最大の賛辞を送りたいと思います。

 案の定、ワイドショーは準優勝の金足高校にスポットを当ててました。単に勝利し感動して泣いている人もいると思いますが、ぼくは同じ百姓として、「百姓一揆」ということばに反応してしまいました。もっといえば、ある意味、彼らは今の格差社会に戦いを挑んだのではないかと僕には思えました。

 僕は中学校卒業のとき、同じくらいの成績の同輩たちが、県庁所在地にある進学校に通うのを羨望の眼差しで眺めていました。彼らの両親は、田舎ではヒエラルキーの上の方にいる教師や公務員の子どもたちであり、その経済力が子どもたちをより大きな可能性に向かわせたのだと思い、子どもながらに悔しさを感じたことを今でも思い出します。

 ぼくは地元の高校に、片道20km、1年間自転車で通いました。1月生まれなので、バイクの免許が取れる16歳になるのに入学してからまるまる一年かかったんです。「ぼくはもう、この土地で一生を終わるのか。」と一時は絶望したものの、英検2級に独学で挑み合格、学校の授業は先生と生徒が交渉して決める(爆)というゆるい高校だったので、余った時間は大人になってから必要になるであろう実用英語、フランス語、加えて岩波新書やそれと趣旨の異なる保守系の人の書いた書物の読書などなど、励みました。

 なかでも、感銘を受けたのは、数年前に亡くなったアルヴィン・トフラーの「第三の波」。情報社会がやってくる、その世の中では家で海外とつながれるんだ、こりゃ、すごい世の中がくるぜお、けどその「第三の波」の時代が来るまでの間に、幾つもの大闘争が家庭から国際関係にまで及んでくる。それにどうやって臨むか。そのことを思い、血沸き肉踊ったことを懐かしく思い出します。

 そのあと、首都圏の大学にはいり、心ならずもこころの病を経験することになり、未だにその苦しみの中にいます。しかし、今日の高校生たちの姿の中に、26年前の自分の姿を見た気がしました。
 「志があれば、道は開かれるんだ。」と。

 うつは人生を変える病ともいわれます。彼らのたたかいに、自分のかつてのたたかいを重ね合わせたいま、ぼくもまた歩まなくてはいけない。そう決意した一日でした。

 写真は、稲刈り後の我が家の田んぼです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?