幼き日の音の風景

高知県という山深い土地、しかも車で10分も走れば波濤千里の太平洋の水平線が広がる場所で生まれ育ったぼくにとって、テレビで見る雪国の風景は外国同様、異なるものとして憧れの対象でした。大人になったら一度でいいから行ってみたい場所のなかに、東京などの大都会、地平線に朝日が昇り夕日が沈む大陸の大平原などと同様、北国も含まれていました。

 1975年生まれのぼくが5歳になった1980年、竜鉄也先生の「奥飛騨慕情」が大ヒットしました。当時はカセットテープ全盛の時代。演歌や浪曲が大好きな両親は、なけなしのお金をはたいて買ったラジカセに竜鉄也先生のカセットを買い、擦り切れるほどこの歌を聞いていました。

 歌詞は、恋慕する女性を訪ねて雨のそぼ降る奥飛騨を訪ねた情景を歌った叙情詩です。5歳の子どもがきくようなものではないのですが(爆)、「門前の小僧、習わぬ経を読む」よろしく、この歌をすぐに覚えてしまいました。小学校に上がり、山の学校の職員室でこの歌を先生の前で歌うと、大いにびっくりされたのを覚えています。

 小学校までは、約1kmの距離でした。一軒も家のない杉やヒノキが植わっている道を通ったのですが、梅雨時になるとしとしと雨の降る谷間からもやが立ち上ります。清冽な空気とその風景が、この歌と一緒に40年近く経ったいまでも思い出されます。

 数年前、初めて飛騨高山を訪れました。冬の飛騨高山はこの歌の通りの風景でした。というか、冬を歌った「哀愁の高山」に近かったというのが正確です。平日にもかかわらず、ゲストハウスには外国人観光客もたくさんいました。

 疲れたとき、辛いとき、ホッとしに行ってみたい場所として、僕の旅行場所リストにしっかり登録されています。

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