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空振りでも、誰よりも打席に立て。

どうも、ニグです。よろしゅうお願いします。

最近松岡修造さんにハマっています。
始まりは修造さんのメンタル本を手に取ったことから始まりでした。その本ではあの元気さの裏の様々な努力を感じとることができて、やっぱり修造さんはすごい人なんだな、と尊敬しています。

因みに、なぜか我が家には毎日修造(日めくりカレンダー)が3つもあります。

ということで、今回のテーマは「挑戦」です。

打席、立ってる?

突然ですが、打席、立ってますか?

先日、4年ぶりくらいにバッティングセンターに行った時のことです。

最後に来た時はピッチャーマシンが機械丸見えだったのですが、今はLEDで本物のピッチャーが投げているようなマシンになっていました。まあ昔に比べて大分目が悪くなっていたのでほぼ打てませんでしたが。

「えっ、まさかそっちの打席の話?」と思われた方々、もうすこしお待ち下さい。

ここで大事なのが、打席に立っていないと感覚が鈍ってしまうこと。

昔は○○だった~、中学生の頃は~と過去に浸っている人は、全く打席に立っていません。打席に立つことは挑戦することであり、未知へと足を踏み入れる行為です。

昔は~、入りたての頃~、あの頃は楽しかったなぁ~、などの言葉を使っていませんか?

もう一度聞きますよ?

打席、立ってますか?

空振りしてからが本番

よく社会では挑戦などのサイクルをPDCAと言われているらしいですが(今はそれも時代遅れらしいです、失敗したほうが得るものは大きいです。

しっぱいはせいこうのもと

【意味】失敗は成功のもととは、失敗してもその原因を追究したり、欠点を反省して改善していくことで、かえって成功に近づくことができるということ。

出典ー故事ことわざ辞典

日本のことわざって素晴らしいですね。
言いたいことを分かりやすく伝えてくれるショートカットキーみたいな便利さがありますよね。

このように、昔から脈々と受け継がれてきたことわざにも、失敗についてのことわざがあります。

失敗は、反省、分析、改善をしなければ失敗ではありません。
時間のムダといいます。

勉強でも同じです。
間違えた部分を「間違えた、答えはこれか」で終わらすのではなくて、「間違えた理由は何か?ケアレスミス?知識不足?じゃあミスしないようにするには?」と分析して次に続けるプロセスが必要です。

よく「失敗しても大丈夫だよ」とか言う人もいますが、その裏には「失敗しても(分析、反省して次に繋げられれば)大丈夫だよ」が隠されています。

空振りしたとしても、その空振りをどう活かすかで今後が大きく変わります。

打席に立つ「勇気」

そもそも、この考え方に至ったのは、友人がきっかけでした。挑戦を「打席」に例えていたのも彼です。

誰よりも挑戦し、自分が実現したい世界のために暗闇を進んでいく。そんな彼を私はずっと尊敬していますが、同時に疑問と感じていました。

「どうしてそんなに打席にたてるのだろうか」と。

おそらく、その答えは「打席に立たなければ、成功はないから」だと感じています。

行動に移さず、ひたすら理想論や空想を広げているだけでは成功なんて夢のまた夢です。挑戦すること、打席に立って初めて成功に至る仮定が具体的になっていきます。

打席に立てる人間が少ないのは、恐らく出る杭を打つ、画一的な個人の育成を目指す教育だと思います。今ではN高や団体など自分で行動できる場所もありますが、少なくとも学校内の教育は画一的な人間を育成しようとしています。そのため、「世間一般」から外れたことをしようとすると異端児と叩いたり、攻撃しようとしてきます。

しかし、そんな社会だからこそ、挑戦すること、打席に立つことが大事なのです。

私は決して今の社会を批判しようとしている訳ではありません。しかし、自分の夢を実現する為には、時には批判を恐れずに打席に立つことも必要です。

ずっと空振りをするかもしれない。

「まだ打てないのか」と陰口を言われるかもしれない。

「もう打席に立たないほうがいいんじゃないか」と言われるかもしれない。

それでも、次こそはホームランを打ってやると、打席に立ち続ける勇気が必要ではないでしょうか。

最後に

松岡修造さんの日めくりカレンダーには、このような一説があります。

百回で壊れない壁でも、
次の一回なら壊れるかもしれない。

どんなに難しい挑戦でも、空振りしても、諦めずに打席に立ち続けること。その勇気を持ってみてください。

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