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読書と国語力

「国語力を身に付けるためには読書が必要」と言われておりますが、そのまま鵜呑みにしてはならないのではと感じております。例えば日頃より小説をたくさん読んでいるけれどもテストでは得点が上がらない、英語の長文内容の把握ができないなどがございます。たとえ英単語の意味が全て分かっていてもです。小説は文字を読むことに関しては良いと思いますが、その文章中に非日常的言葉「形而上、形而下」「演繹、帰納」「プラグマティズム、実存主義」など語彙力を増やすきっかけが散りばめられているのでしょうか。こういった非日常的言葉に触れ、その使い方を主人公または別の登場人物が見事に披露し、読者の知的範囲の増幅に寄与しているのでしょうか。ただ読んで面白いだけですと、「国語力」とは関係ございません。

「国語力」は知識の使い回し、文の変換能力(言い換え)、拡大解釈や反対解釈など様々な視点で文を見ることが出来る能力だと考えております。つまり、小説の文章を全て書き言葉で表わすことが出来る、小説の内容を自分の過去と照らし合わせて物語との重ね合わせが出来る、小説の内容と反対の世界を作ることが出来るなどです。国語力がある生徒を見ますと変換能力に長けているなと感じます。この変換能力は国語だけでなく英語、数学、社会、理科などにも役に立ちます。数学ですと9を3の2乗と書き換えて仲間で括って計算したり、マイナスとプラスの符号を変換させて計算で楽をするなどです。社会の日本史でも防人が徴兵令、公事方御定書が刑法などです。

ただ闇雲に知識の「暗記」をすることは「勉強」ではなく、「作業」となります。つまり、暗記と勉強は同じ言葉レベルではないと言うことです。日頃より変換の癖が付いておりますと「勉強」をしていることになりますので、自然と「国語力」の鍛錬が出来ていることになります。昨今、よく耳にしております思考力もこの変換能力と言えます。

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バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。