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小春日和の木造アパート

 この話は他愛のない、なんてことない話だ。
 オチもない、キラキラもしていない、何か教訓があるわけでもない……。思い出を連ねただけの話だ。

 それは私にとって、本棚の奥ですっかりホコリをかぶっている長いこと読まれない本。でも時折り、取り出してはそのホコリを払って、そっと表紙を開く。そんな感じの出来事である。

友人だった女性がはじめて借りた部屋

「はじめて借りたあの部屋」は、私が借りた部屋ではない。
友人だった女性が借りた部屋だった。

 その友人とは、私が18歳の時に通っていた自動車教習所で会った。すでに40年近くが過ぎようとしている。

 私より3つほど年上だったと思う。大人ぽくて、素敵だったその女性に私はためらいながらも勇気を出して、「学生ですか?それとも働いているのですか?」のつもりで、「何やっているんですか?」と聞いた。するとその人は、「不良」と茶目っ気たっぷりに答えた。
 その振る舞いに、かっこいいなあ、と思い、その人が何やっているのかなんて、どんな仕事をしているのかなんて、もうどうでもよくなった。「この人がこの人であればいいや」と感じた瞬間だった。

最寄り駅から徒歩30分

 教習を受ける時間が合っていたせいか、教習所で顔を合わせる度に話しをするようになった。
 ある日、その人が「一人暮らしをするために、部屋借りたんだ。遊びに来ない?」と新しく借りたアパートに誘ってくれた。
 聞けば、私が住んでいた駅の2つ手前の駅だった。
 季節は冬だった。小春日和の穏やかな日差しの中、駅を降りると、教えられた通りに地図と住所を頼りに友人のアパートを目指した。
 …………、着かない。友人が書いてくれた手書きの地図の縮尺と実際の距離がまったく違い、駅からアパートまでの行き方は、確かに地図の通りだったが、到着までは30分を要した。

風呂なし共同便所、共同洗面所の木造アパート

 西武新宿線の沼袋駅が最寄り駅だった。そこから徒歩30分の場所にあった木造のアパートは、風呂なし、共同便所、タイル貼りの共同洗面所だった。家賃は3万円と話してくれた。
 アパートの入り口を入ると、廊下をはさんでそれぞれ3部屋ずつ、合計6部屋あった。
 玄関のドアは引き戸で、簡易な鍵がつけられているだけの質素なものだった。部屋は6畳の和室が一つ。小さいガスコンロ台スペースがあった。
 私も家を出て一人暮らしをしたいと思っていたのだが、「これで家賃3万か……」と、その状況を見て躊躇したのを覚えている。

3カ月しか住めないアパート

 そのアパートには3カ月間だけしか住めないと友人は言った。3カ月後には、取り壊してマンションにするからだという。3カ月しか住めないので、敷金・礼金を払わなくてもよいというのを条件に借りたアパートには、すでに住民は一部屋しか住んでいなかった。

 友人の借りた部屋は日差しが気持ちよく差し込む感じのいい部屋だった。
手先が起用でおしゃれな友人は、自作のアクセサリーを絵を描くキャンパスにきれいに並べていた。

 繊細なアクセサリーだった。私はいくつか並べてあるうちの一つに目がひかれた。

 そして何より絵を描くキャンパスは絵を描くためのものという思い込みしかなかった私には、アクセサリーを置く場所として使うということにひどく感心したものだった。

遊びに行くと宴会の真っ最中

 次に彼女のアパートを訪れたのは、引っ越して一カ月ほどした日曜日の午後だったと思う。彼女の部屋に行くと……、いない。その代わりにドアに張り紙がしてあった。

「向かいの部屋にいます」

 確かに向かいの部屋から話し声がする。ノックをしてドアを引き戸を横にスライドすると、その部屋の住民とその友人1名、そして私の友人が、鍋を囲んで酒を飲んでいた。

 当然呼ばれることとなり、私も友人の隣に座った。

 大学4年生だというその部屋の住民と友人。大学を卒業したら、世界を旅をすると話していた。
 1986年から始まるバブル景気よりも4年ほど前の1983年頃。私や私の周りにいる学生の友人知人にとって酒はたやすく手に届くものではなかった。一升瓶から湯呑に注いだ安酒を大事大事に飲みながら、やがて自分たちの夢の話になった。大学生は、「俺は世界をまたにかけた仕事をして、絶対のし上がる!ビッグになる!!」と何度も何度も言っていた。

 やがて話は引っ越しの日の話になった。私の友人も大学生の住民も退去日ギリギリ、同じ日に引っ越すということになった。私は引っ越しの手伝いをすることを約束し、宴会はお開きになった。

「不良」の彼女らしい出来事

 3カ月後、予定通り新しいマンションが建つということで、部屋を空けることになった。
 私は約束どおり、引っ越しの手伝いに訪れた。しかし、彼女はいなかった。

 大学生の住民がすでに荷物をトラックにつめて、出発するばかりで私が到着するのを待っていた。

 彼は、私に友人が2日ほど前に先に引っ越したと教えてくれた。「さよなら」というのイヤだから先に引っ越すとも言っていたと……。そして彼は、私に、彼女から預かっているものがあると、小さく折った封筒を渡してくれた。中を開けると、彼女が作った手作りのアクセサリーがあった。それは私が、彼女の部屋で私がひかれたアクセサリーだった。

 「不良」の彼女らしいな……と私は思った。

他愛のない出来事は、私の「中」の本棚に存在する

 2年前に、『マネーポストweb』にネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、27歳から29歳にかけ家賃3万円の風呂なし共同便所6畳一間に住んだ経験を話していた。その中で、「夢と野心のある若者が「こんなところに一生いるわけにはいかない! オレは早くここから出るのだ!」と決意するための象徴的存在として気分を奮い立たせられる場所になっているのです。」と書いている。

 友人も大学生も強制的に出されてしまったわけだが、確かにあの大学生の「俺は絶対のし上がる」と唱えていたことは、これだったのか!と40年近く経って合点がいった。

 ところで、彼女とも大学生とも連絡先をかわさなかった。
 自らを「不良」と言っていた友達とはそれきりになった。
 それはそれでいいと思っている。友情や付き合いというのは変化するものだからだ。

 時折なぜか思い出す。
 小春日和の時、木造アパートを見かけた時、人混みの中を縫うようにして歩く時、辛いことがあった時……。

 友達は「不良」からどうなったのだろうか。
 彼は、ビッグになったのだろうか。

 「私もなんだかんだと頑張っているよ」とつぶやきながら、他愛のない出来事は、私の「中」の本棚に存在している。

 そして私自身が部屋を初めて借りたのはもっともっと先の話である、その話はまた今度。

                             おしまい 

※イラスト:rkrkさんによるイラストACからのイラスト





#はじめて借りたあの部屋

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