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幸せの輪

「誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送る」という意味の「恩送り」。最近この言葉を聞いて、私は迷うことなくある人を思い出した。

これは高校を卒業してとある企業の事務職として働いていた35年以上も前の話だ。当時、昼間は会社員としてフルタイムで朝9時から夕方5時まで働き、夜6時からは一つ隣の駅にある夜間制の短大に通い、勉強をしていた。

いわゆる「苦学生」だった私は、毎月の生活費に加えて、昼間働いたお金で夜通う短大の授業料を支払っていた。

ある月の給料日、仕事を終え、授業に行く前に銀行で生活費をおろした。学校に行った後、自宅に帰って財布を見ると、入れていたその月の生活費がなくなっていた。学校に行く前におろしたはずの1万5千円。落としたか盗まれたか……。かばんの中、教科書の間、ジャケットのポケット、くまなく探した。ない、どこにもない。当時、1日500円以内で、食料を買い、お弁当を作り、夜は売店でおにぎりなどを買うなど、やりくりしていた。節約して本や飲み代を捻出した。いや飲み代だけだったかもしれない。いやいやそこはどうでもいい。つまり1万5千円は丸々一カ月分の生活費だった。それがなくなった……、と思うと気は焦るばかりだった。

私は滅入った。

翌日、私はその話を翌日会社でお昼ごはんの時に、黙っていられず、一緒に食べていた同僚に話をし、「次の給料まで1カ月間、1食抜かないといけないかなあ。朝作るお弁当は夜までもたないしね」と締めくくった。

小さい会社だったので、私の話はその日のうちにすぐ他の従業員も知ることとなり、「大丈夫?何かあったら言って」と皆、優しく声をかけてくれた。

終業時刻となり、ロッカーで帰り支度をしていると、大先輩の女性社員が私を手招きして呼んだ。

その人は、人がいない会議室に私を招きいれると、手に持っていた小さなビニール袋を渡してきた。何がおきているかわからずとまどう私の手にビニール袋をの持ち手をさっとかけると、

「これから学校でしょ。夜食に食べて」と言われ、そのまま小走りで去っていった。

その間わずか数秒もなかったのではと思うほどの素早さだった。ビニール袋をのぞくとおにぎり2個と缶ジュースが入っていた。

翌日もその人は私に「夜食に食べて」と、仕事が終わって学校に行こうとしている時に、やってきてビニール袋に入った軽食をもたせてくれた。おにぎりだったこともあるし、サンドイッチだったこともある。時にはおやつもついていた。その計らいは次の給料日まで続いた。

私は本当に嬉しかった。1カ月間、ひもじい思いをせずに授業に専念することができた。そして、お金はなくなってしまったけど、それ以上に私は嬉しく幸せな気持ちでいっぱいだった。ありがたくてありがたくて、1カ月ずっとどうやってお礼をしたらいいんだろうと、お礼のことばかり考えていた。

何か物を買って渡しても、大人の女性で、好みもある。しかし、言葉だけでは私が受けた恩は足りない。いろいろ考えた挙げ句、給料日に、私は、お礼をしたいと、その人を昼食に誘った。

するとその人は、「私がしたことで、あなたが嬉しいと思ったこと、幸せだと感じていること、私に感謝しているというその気持ちだけ頂いておくわ。そしてもしどうしても私にお礼をしたいというなら、私に感謝をするのではなく、他に困っている人を見かけたら、助けてあげて。そしてその人があなたにお礼をしようとしたら、私と同じことを言って。そうしたら感謝と幸せの輪が広がっていくから」と言った。

こんな考え方があるのか……、私は、その場で動けなくなった。

実行できているかどうかはともかく、私はこの人がしてくれたようなことをしようと、心がけるようにしている。

短大を卒業すると同時に私は別の会社に就職することが決まり、その会社を退職した。以来、その人とは会っていない。

あれから35年以上……。今回この原稿を書くにあたり、しみじみ振り返った。月並みな言い方だが、本当に長いようであっという間だ。そしてこの出来事は、その後に、「まさか」ばかりが連続する私の人生を確かに支えている。

心から言いたい。

たすけてくれてありがとう。私は元気です。



#たすけてくれてありがとう

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