第2回かぐやSFコンテストを振り返って(および「二八蕎麦怒鳴る」ができるまで)

苦草堅一です。

というものがあり、

というのを書いて最終選考に残していただきました。
またとない経験でしたので備忘録を書こうと思います。

『二八蕎麦怒鳴る』が出来るまで

 大賞受賞者の吉美駿一郎さんが公開されている「アザラシ(略)ができる まで」と経緯が似ており、私も今回のコンテストではパートナーに意見を求めました。日頃は妻に自作を読んで貰ったり、内容を相談することは滅多にありません。趣味が合わないからです。私は日頃からトンチキな作風ですが、妻は私にきちんとしたものを書けと求めます。求めを受けた私はうっすって感じの返事をしたのち急に皿を洗い出したりとかをします。
 それが今回に限ってどうしたのかといえば「未来の色彩」というテーマが全く理解できずハチャメチャに行き詰ったせいです。
 当初は真面目な作品を書く予定でした。しっかしまあ見事に何も思いつきません。アニメ「あしたのジョー」に出てくる光る吐瀉物のことしか考えられなくなりました。出崎アニメでは背後の空間からゲーから何から光ります。名状しがたい輝きを脳裏にちらつかせたまま信じられないことに〆切まで残り二日を迎えました。
 
もう駄目だ。私は妻に相談しました。未来の色彩って、何? 
 すると妻は、未完成だが前に考えたネタだと前置きして、次のような話をしてくれました。

 主人公は、蝶の模様や色をデザインする工房を営んでいます。そこに紫の瞳を持った老婆が尋ねてきます。彼女のもとには、毎年の誕生日に、瞳の色と同じカラーの蝶が送られて来るというのです。工房では確かに、先代のときから、老婆にデザインされた蝶を贈っていました。依頼主は、今は亡き老婆の父親です。老婆が生まれたころはデザインベイビーが合法でした。老婆の父は、老婆に紫の美しい瞳をプレゼントするため、遺伝子操作をしました。しかしその後、デザインベイビーは違法となり、老婆は偏見を受けます。
 そんな老婆の来し方を聞いて主人公も告白します。彼もまた視覚操作を受けたデザインベイビーでした。四色型色覚を得ることで家業の役にたつだろうと、遺伝子を操作されていたのです。その事実が発覚し迫害されることを恐れた主人公は、これまで秘密を打ち明けたことはありませんでした。

 妻が考えていたのは、ここまでです。
 そこで私は、蕎麦が黄金に輝く話を書こうと立ちどころに閃いたのです。
 たのですじゃないよ。
 妻のプロットは色々な要素を引き出せそうな美しい道具立てですが、薄情な私は4000字では書ききれないと判断し、それはそれとして気になったことを聞きました。
 「遺伝子操作できたら、どんなものでも色が変わるの?」
 「ゲノムが解読されていればイケるんじゃないの」と妻は答えました。
 そのとき私は「じゃあ蕎麦とかも光るな」と思ったわけです。いきなり蕎麦をチョイスした理由は日本文化のアピールではなく、私が基本的に蕎麦か寿司のことを考えているからです。説明のつかない飛躍が世の中には溢れています。妻には悪いと思っています。それでいて、妻のお陰で、蕎麦は光ったのです。最終選考に残ったことと作品内容は、コンテストが終わってから妻に話したのですが、「なんでそれで残れるの?」と言われました。

 書き出す前に、豆腐やヨーグルトや寿司でも試してみました。『豆腐を汚せ』と『友達のいないヨーグルト』という二作の走り書きが残っています。どちらも「純白ではいられない」という内容です。辛気臭かったのでボツにしました。そのような数十分程度の検討の結果、光ったり喋ったりして最も面白いのはやっぱ蕎麦だなと結論づけました。カンです。
 蕎麦が喋ることについては脚本家・浦沢義雄の影響です。いつも東映不思議コメディを目指しています。人間が喋るより訳の分からないモノが喋ったほうが面白いと思います。
 さて引き返す時間はありません。書きます。蕎麦を題材にした以上は蕎麦の説明が必要です。なぜなら海外を視野に入れたコンテストだからです。なので、他の言語に置き換え易そうな表現にすることも心がけました。もっとも「未来の色彩」というテーマなのに延々と蕎麦の話をするギャグという意図のほうが実は大きかったです。4000字のうち400字が蕎麦の説明ですから1割を無駄にしています。賛否両論のうち、心持ち否(ピ)のほうが多く、もっともだと思います。野生爆弾のしつこいネタが好きです。
 さて、翻訳を意図した努力は、ネギだの揉み海苔だの登場して息切れしていきます。しかし引き返す時間はないのです。そもそも蕎麦の話にしなければよかったのです。何が何だか分からなくなっていきます。
 あとのギャグは出来るまでというよりは出来たとしか言いようがありません。何も考えていませんので何も思い出せません。ただ、私は人間がそんなに好きではありません。知性を得たために解決しようのない悲しみや残酷さと向き合うことになったのだと思います。無機物なら辛いとか苦しいとかないわけですから半端な知性など偉くもなんともない。無より劣ってすらいると思います。かといって全てを無に帰せとかの極端な主張もまた愚かです。悲しいのは嫌ですが悲しみを抱えて生きていかないといけません。そうした日頃の関心事が、主観の開発というアイディアのソースなのだとは感じています。また、そうした諦観が、蕎麦の怒りや、蕎麦と決裂するラストを導いたのでしょう。諦めてはいけないのだろうと今は思っています。明日どう思っているか知りませんが。
 アホ話のときはプロットは作らず終わりたくなったタイミングで終わった感じにするように心がけています(こういうのはそういう作り方のが投げやりで良い作用をする気がしているんですが間違っている気もします)。蕎麦のケチャップ炒めには元ネタがあって、「そばスタ」とかいう名前のオリジナル料理としてビッグダディが作っていました。普通にパスタで作れと思いました。
 とにかく時間に追われ、ろくろく推敲もせず記念受験のつもりで提出したため、我慢ならないレベルで大味な文章がつづいており、不完全燃焼の感は否めません。題材と展開は気に入っているので、もっと十全な形で送り出したかったという悔いがあります。頂いた推敲の機会は誤字脱字レベルに留めるものでしたので直しませんでしたが、本当なら隅々まで書きかえたいです。
 

『二八蕎麦怒鳴る』が出来上がってから

 さあそして早速ですが、今年の7月に新潟競馬場で開催された重賞レース「アイビスサマーダッシュ」を、画面奥(ゼッケン1番)の馬に注目しながらご覧ください。 

 ワケの分からない場所を走って、そのまま3着に残っていますね(競馬では3着までに入った馬は特に褒められる馬です)。
 『二八蕎麦怒鳴る』も、こういうことです。誰もいない場所を走ったことが奏功したものと思っています。
 選出された以上、自作を卑下することはあんまりしませんが、それはそれとして此処に蕎麦がいるのおかしいでしょ感は抱いていたので、真っ当に色彩と組みあった諸作とはハナから闘っているつもりすらありませんでした。でも評判は気になったのでエゴサはゴリゴリにやりました。皆さん『スウィーティーパイ』を、『境界のない、自在な』を読みましたか。蕎麦で勝てると思いますか。ナノマシンの5文字で科学的平仄を放り投げた蕎麦が『昔、道路は黒かった』の独創的な考証や『オシロイバナより』のハードSFと短編小説の幸せな融合ぶりに蕎麦で勝てると思いますか。ねえ。

 そんなわけで劣等感と不安バリバリだったので、ツイッターで拝見した数々の感想は本当にありがたかったです。笑ったというご感想はもちろん、「大人も子供も読める」といったご意見は、私にも分かっていなかった蕎麦の存在価値を見出して頂けた気がして、特に嬉しかったです。御礼を申し上げます。蕎麦が可愛いというご意見も多く見られ、蕎麦やヤマモトを気に入って頂けて良かったと思います。お陰様で劣等感で凹んでいた人間が期間中みるみる調子に乗っていき、結構やったじゃんおれみたいな気持ちで終わりを迎えることができました。驕らずにいこうと思っています。

 ちなみに粗筋の候補はもう一つありました。

 本邦では、蕎麦粉を捏ねて打ち延ばしたのちに、細く切って茹でた麺料理を、蕎麦と言うのだったが……?

 既視の粗筋っぽくまとめようとし、粗筋ではなかったのでやめました。

何が困った

 Twitter上で蕎麦および麺類の話題を一切出せないことでした。大誤算でした。

Twitter上の反応への感謝

冬乃くじさんのご指摘は完全なるごもっともです。続くyasuさんとのリプライも非常にためになりました。仕組みを熟考しておりませんので(SF的な態度ではないですね)タンパク質工学とかの御託を考えるべきでした。私も蕎麦 ゲノム で検索をしました。
腐ってもみかんさんのご指摘にも膝を打ちました。そのほうが面白かった……!
 
 作者が私であると確信したうえで、『蕎麦』には何らかの賞を受賞してほしいというコメントを残して『七夕』に投票したエス席さん
 作者が私であると確信したうえで、『蕎麦』には何らかの賞を受賞してほしいというコメントを残して『七夕』に投票した宮月中さんの2名には、末代までの感謝を贈呈します。投票先まで同じって。ちなみにエス席さんは「さなコン」特別審査員賞「手をつないで下りていく」、宮月さんは阿波しらさぎ文学賞徳島新聞賞「にぎやかな村」でそれぞれタイトルホルダーです。私は無冠です。念のため書いておきますが二人をダシにウケようとしているだけです。いっさい恨んでいません。二人とも面白がってくれてありがとうございます。

 蜂本みささんの上記ツイは本編より面白いのできっちり殴り返されたなあと思いました。これは作中で言いたかった……。

野咲タラさんのアンソロジー編纂には意表を突かれました。着眼点もご感想それ自体も面白かったうえ、拙作をボーナストラックというオイシイ扱いにして頂いた点もありがたく、ああ扱いに困られているなあと大いに笑いました。困惑して頂ければこっちのものです。

 ほか、繰り返しになりますが、様々のご感想に励まされました。
 お名前を出せなかった皆様にも感謝を申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?