「アザラシの子どもは生まれてから三日間へその緒をつけたまま泳ぐ」ができるまで

アザラシ(略)ができるまでを書きます。

まずは彼女と散歩しながら「未来の色彩」について話していたんですよね。面白いテーマであるけれど、どうやって書いたらいいのかわからないって。すると彼女が色鉛筆はどうかという。色鉛筆は、今は肌色ではなく薄橙になったという。そこから、見た人が自分の肌と同じ色に感じる色鉛筆が開発されたらどうなるか、それなら平等だしSFじゃないかと彼女が言い、面白そうだと思った。たぶんその色鉛筆はアイデンティティ・ポリティクスの否定に一役買いそうで、そこまで書けたら面白そうと彼女に話したら「なんか難しそう」と言われた。確かに。アイデンティティ・ポリティクスの重要性をどうやって表現したらいいのか。いくらなんでも4000字でそこまで書くのはおれには無理だと判断し、ボツにしました。

すると彼女が人魚にしたらいいじゃないかと言い出す。ぼくはここ何年か人魚モチーフの掌編を書いています。「ブーツを食べた男と冷たい人魚」「群」の二作がそれです。いつかそれを下敷きにした長編を書く予定なのですが、「未来の色彩」テーマでも人魚を書いたらいいと言い出す。確かにそれなら落選しても人魚シリーズは増えるし、世界観も広がりを見せるかもしれない。ただし、人魚と「未来の色彩」をどう繋げるのか。

人魚シリーズの世界では、北西航路の氷が溶けて、そこに隠れていた人魚たちが人間社会に紛れ込むという設定になっています。実際、北西航路の氷は地球温暖化のために溶けています。で、水位が今よりもめっちゃ上がっている。陸地は減ってしまっている。そこで人間も人魚になっているんだよ、と彼女は言います。海に適応できるように、人魚を研究して、人間たちも海にすむようになっている。けれど、本物の人魚とは違って、深海では視界が効かない。暗くて何も見えない。それが未来の色彩なんだ、と彼女は言います。面白そうだと思う。未来の色彩が、人魚の目というアイディアと結びつくのはいいな、と。

で、ここで一旦、そのアイディアは置いておいて、先に島アンソロジーに参加する作品を書きました。これも最初は何も考えてなかったので、人魚シリーズにしてしまいます。「天秤」はそういう泥縄方式だったため、オチをつける形になりました。急いでいると、そうなってしまいがちです。オチというのは、作者の都合で情報を伏せ、最後に明らかにする作品がそれにあたるというのがぼくの考えです。「未来の色彩」というテーマはあるものの、人魚が登場する小説なので、ちょっと気分を変えたい。オチのない、スケッチのような話にしたいなと思うようになります。第一回ブンゲイファイトクラブに出した「夏の目」みたいな感じにしたかった。で、書き始めたんですが……。

 大量の白が詰まっていた。白、白、白。時には赤や緑、青、透明もある。それでも圧倒的に多いのは白だった。

 目じりの近く、白目の部分に透明な塊がある。ビーズほどの大きさで、指先でつつくと形を変える。ぶよぶよとしたゼリーのような手触りだった。眼球の膜に水が溜まっているようだった。目を閉じると瞼に違和感があって、まばたきするたびにそれが気になる。水ぶくれのようなそれは、結膜浮腫だと説明された。
 細菌性の特殊な結膜炎で、特に心配することはない。放置しておけば、水分が眼球に吸収される。
「つまり」ぼくは医者の説明を聞き終えてから言った。「それを利用して人魚の目になる?」
「そういうことですね」産業医は言った。「もっとも人魚の目というのは正確ではありません。半魚人の目というべきでしょうね」
「同じようなもんでしょう」
「あなたにとってはそうでしょうね」
 意味ありげな含みを持たせた発言には気づかなかったふりをした。遺伝子検査によって適正があると判明してからは、やっかみ交じりの嘲笑を受けるのはそれほど珍しいことではなくなってしまった。好きで遺伝子の適合があったわけではないと説明しても、意味はない。そういうことですね、と受け止めるしかない。2030年に北極の氷が溶けたから悪い。グリーンランド氷床が溶けてしまったのが悪い。とにかく、暑すぎるのが悪いのだ。
 数時間後に検査があると告げられ、診察室を出た。そのまま病室に戻る。廊下はずいぶんと湿気ていて、そろそろ使えなくなりそうだった。壁から天井にかけて大きく青カビが広がっている。波が壁に打ち付ける音が絶え間なく聞こえてきた。
 病室に戻っても、目の違和感が気になって落ち着かなかった。眠ってしまえばいい。ベッドに横たわって目を閉じる。波の音を聞いていると、徐々に眠気が忍び寄ってくるのを感じた。
 翌朝目覚めると、目の違和感が消えていた。鏡で確認すると、ぷよぷよとした塊は消えていた。視力が変わったとは思えなかった。見え方が違うわけでもない。朝食は焼き魚だった。わが子のことを思い出した。
 健一は朝食に魚が出ると、骨があるから嫌だといつまでも文句を言った。食べないためならどんな理屈でもひねり出す。たまには感心するような言葉を口にすることもあった。曰く、魚にはマイクロプラスチック問題がある。曰く、魚を食べ続ければいつか絶滅してしまう。魚にも心がある。海を汚し、氷を溶かした人間に、魚を食べる権利はあるのか。権利なんて言葉を知っているのかと素直に驚いたら、当たり前だろと馬鹿にされた。朝から魚なんて食べたくないのはぼくも同じだった。小骨が喉に引っかかっりすると最悪だ。ぼくは完全に、息子に共感していた。それでも文句を言わずに食べるよう健一を毎朝説得した。意思に反する行動はストレスになる。こんなことなどやりたくないと思うことほど、やらなければならないことが多い。世界はあまりに不条理だ。
 家族で遺伝子が適合していたのはぼくだけだった。百合も健一も海では暮らせないのに、ぼくだけは遺伝子治療によって陸を離れられる。年々小さくなっていく陸を離れるのは、ある種の特権ではある。君は恵まれているんだよという医師の言葉もよくわかる。海に住めるものが海に住めば、それだけ陸に住む人間も助かるのだという理屈も理解できる。ただでさえ海が陸地を浸食し続けているのだ。島は沈み、平地は沈み、低い山も海に沈んでしまった。土地は少ない。人間の住める大地には限りがある。だから半魚人は出て行けというのだ。お前らには住むべき場所があるだろうと。海に戻れと。
 ぼくの治療は進んでいて、今では水中で自在に呼吸できるし、泳ぎもイルカほどのスピードを出せるようになった。水中で生活するのは可能だ。しかし生活習慣はそれほど簡単には変わらない。ぼくが心安らぐのは乾いた場所だし、ネイティブの人魚のように深海には行けない。見えないからだ。医師の研究は人魚の視力を人間に移植するものだった。
 深海での視力の問題はずいぶんと前から問題となっていた。このままでは、未来は色を失うだろうとささやかれている。暗黒の時代が待っている。温暖化が進んでも、人類は生き残る。しかし、美しい色合いは失ってしまう。宇宙飛行士はこう言ったものだ。「隣には暗黒しかなかった。私は一人だった。地球を見た。そこには、ありとあらゆるすべての色が存在した」。人類は、そのすべての色を見られなくなる。

ちょうどこのころ、結膜浮腫ができてたのでそれを材料にしてます。でもここまで書いて、これではダメだなと思った。しかし、かといって、どう方向転換すればいいのかわからない。そんな時にですね、蜂本さんのエッセイを読んだんです。

ルシア・ベルリン「さあ土曜日だ」を読む

今読み返したんですけど「あなたの読みにはクリエイティブなものを感じました」って素晴らしい言葉ですね。読みがクリエイティブな人は小説書けますもんねー。まあ、とにかく、お読みになればわかる通り、これめちゃくちゃ面白かったので、すぐに『掃除婦のための手引き書』を電子書籍で購入しました。すぐに「さあ土曜日だ」を読みました。これが素晴らしかった。刑務所で軽口を叩きあう受刑者たちの生き生きとした姿が特に印象に残りました。で、思ったんですね、これだ、人魚の目に必要なのはこういう仲間たちなんだと。一人じゃないんだと。それでばーっと最後まで書いて、逃げるところでちょうどいいぐらいに書けたんですよ。あとは説明を削りすぎたきらいはありますが、まあ、満足する出来栄えになりました。書き終えてから不思議な気持ちになったんですが、これってアイデンティティ・ポリティクスの話なんですよね。ボツ案が、たぶん脳裏に残ってた。消えなかったんですね。そういう意味では色んな偶然が重なってできた作品だなあと思います。

タイトルの意味は色々とあるんですが、秘密にしておきます。長いタイトルになって、これなら目立つなあと思ったのは覚えてます。もっと長いタイトルにしようかなと思ったんですがさすがに長すぎるのでやめました。

エッセイで蜂本さんがレイモンド・チャンドラーのリストをあげてて、作品を書いたらどうかと提案していたので書いたんですよ。そうしたら今度は蜂本さんが「文体の舵をとれ」をやるというので、すでに本を買っていたこともあり、参加することにしました。よく考えると、蜂本さんには相当にお世話になっています。いつかお礼をしなくては。

「文体の舵をとれ」はツイッターでゆるやかなグループを作っています。興味があればご参加ください。こんな感じです(心労さんありがとう)。

「文体の舵をとれ」小説教室実作集 #文舵練習問題 まとめ1

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