アンソロジー・レッスン(第二回かぐやSFコンテスト最終候補全作品の感想)

 第二回かぐやSFコンテスト最終候補作品の全作品の感想です。
 アンソロジーにはタイトルだけで作者名がないものがある。第二回かぐやSFコンテストの最終候補作の公開十作品は、今、タイトルと作品だけが公開されている。あ、一緒だと思った。さらにそれがランダムに表示されるようになっているのだけど(その本当の理由はまんべんなく作品を読んでもらうための工夫で大体端から読まれることが多いから)、そのランダム表示なのも手伝って、それなら自分で一番ベストな作品の並べ方を考えてみたくなった。短編集はどこから読んでもいいというのも醍醐味だけれど、CDやレコードの曲順を考えるみたいな作業は楽しい。順番を考えながら考えた作品ごとの感想と、考えた順番の結果です。
 順番を考えているうちに、ボーナストラックというキーワードが出てきて、それからA面・B面というキーワドもなんとなく出てきたので、結果的に今回はレコードの構造の順番になりました。A面はなんとなく読みやすいものが集まってる気もします。B面はクセがあるけど、その癖が引き立つような話が集まりました。
 だけど、作品同士の並べ方を考えていたら、ベストな並べ方ってどんなのだろうという?興味が湧いてきた。意味合いでつなげるなら便利かと思い、作品のキーワードを抽出してみたりもした。だけど、キーワードだけで繋げても読んでいる人が好きなキーワードじゃないと途中で飽きてしまうかもしれないので、最終的には感覚で並べ替えて調整した。だけどもっと、画期的な並べ方のセンスというものもありそうな気もするので、アンソロジーは奥深いように思う。
 他の並べ方提案について、あれこれ話し合ったりしたいとか思ったりした。
(※随時、考え直したことや、後から思い出したことなど、加筆修正していきます。あらかじめご了承ください。)


【A面】
『七夕』

 主人公の女の子二人は七夕の夜に近所のお祭りに出掛け、七夕飾りを集めるラリーに参加する。未来では人は死なないし、二人が着る浴衣は未来の技術で時間の経過で柄が変わるような科学技術が進歩している一方で、伝承は風習も残っていて、それがお祭りという設定をより引き立てる要素になっている。その二つが馴染むように混在している様子に豊かさを感じるのは、話の流れや語り口が童話的な優しいものだから。
 主人公たちが見るもの聞くもの出会う人が、七夕ラリーでどんどん積み重なっていくのを、安心してわくわくしながら読んだ。物語に詰め込まれている極彩色は、集まった色一つ一つに意味があって、その意味が全部優しいイメージを作る。ふわふわで柔らかい夢の中をのぞいているみたいだった。鳥のモチーフの活かし方が好き。
(20210821追記)少女たちが「死なないし、年をとるのもゆっくり」なのは、七夕の伝承の中の織姫彦星の二人と同じで、この伝承が永遠に繰り返されるように、この七夕祭りも永遠に続く。

キーワード:子ども、女の子、伝承・伝統、科学技術の進歩、童話、日常生活

『昔、道路は黒かった』
 少し短めの文章。痴呆の男性老人を介護するために、架空の会議が行われる。もう何度も語られている老人の武勇伝は現役時代の仕事の話。今回も老人が気持ちよく語れるように、主人公たちスタッフは絶妙な合いの手を入れる。未来の介護風景は家庭の中じゃなくて、老人が人生で1番輝いていた現役時代を舞台にしているというアイデアがおもしろい。
 老人が語るのは、彼の仕事であり夢であった、黒いアスファルトに変わる緑色の地面「グリーン・ペーブメント」の開発話。昭和っぽさを感じる人情味ある個人の英雄的エピソードは、プロフェッショナルなんかのテレビ番組を想起させるところもある前半、後半の最後の一気に畳み掛けるナレーション的種明かしの語り口で、武勇伝の背景にある社会的悲劇を披露する。対比が良いし、テンポの良い文章が内容にふさわしくて好感を持って読める。
 「家庭菜園ほどの知識」というのが、書かれてる通りかなり初歩的な話ではあるので、誰かほんとに知ってそうな知識ではあるのだけど、そこをリアリティととるか、ちょっと初歩的すぎるととるか。でも最近のニュースをみてると、リアリティとも感じられるところがやっぱりあるな、と思ったりした。
 作品全体に安定感がある。

キーワード:介護、認知症、思い出、仕事、武勇伝、科学技術、会社・ビジネス、環境問題、CO2、植物

『熱と光』
 男性から見た子供を持つことの視点。遺伝の話。身体的に疾患があると思われる男女が、子供を持つことの正当性についての話がテーマとなっている。調べることで社会を通した観点が示され、当事者としての二人だけの語らいの世界に立ち返ることで、個人的な幸せについて示されるような構図で物語が進む。それが後半、男性の遺伝子の秘密が明かされることで、その個人的な幸せでさえも、社会からの操作に成り立っていることがわかる。文体やキャラクターの書き方に少し癖があると思うのは、作品ではなく作者の癖による書き方で進むように思う箇所があるからで、それをコントロールすべきなのか作家の持ち味とすべきなのかは、その作風に対する好みに左右されそう。問題提起に対する解の内容や提示の仕方が多面的広がりがあるところに好感を持った。課題である色を光として扱い、そこから遺伝子操作の観点へ話を展開させている点も面白かった。

キーワード:出生、遺伝子・ゲノム、子供、日常、サスペンス、出産、男性、男女、

『黄金蝉の恐怖』
 アメリカを舞台にした、貧しい家庭で育つ、境遇の似た子供同士が黄金の蝉を見つけるために過ごしたひと夏の思い出。ブルードXこの物語では17年蝉のこと。
 物語の一つのクライマックスは、精密な蝉の解体描写だ。子供にとってグロテスクな衝撃を受けた場面として書かれている。けれど、のちにデビーがブルードXの呼吸器官のみに感染して、純金を抽出する土中バクテリアを発見した。つまり彼女は昆虫を研究対象とする科学者になったということであり、この発見に至るまでは、実際的な研究過程の上で、蝉の解体という「作業」を繰り返し行う必要がある。なので、この場合の恐怖は、描かれた17年前の思い出の蝉の解体描写、だけではなく、物語に描かれていない、繰り返された研究としての蝉の解体のことも含まれるのではないか、と思ったりした。
(20210823追記)この話を読みながら、ニホンミツバチの研究会に参加した時のことを思い出した。ニホンミツバチにアカリンダニという寄生虫が流行り、かなり個体数が減り、業界(農家では趣味的にもニホンミツバチを飼って、蜂蜜を採取する人が少なからずいる。西洋ミツバチと違って東アジア自生の蜂なので生態が異なり、養蜂方法も異なる)ではかなり困っていた。原因を追求するために、アカリンダニが寄生しているニホンミツバチを解体して、顕微鏡で見て調べる実験を公開していた。アカリンダニは蜜蜂の胸部の気管や気門近くに寄生していることが多いためだ。「研究過程の上で、解体という「作業」を繰り返し」について補足。
参考文献:ニホンミツバチのアカリンダニ症の発生事例

キーワード:子ども、男の子、17年蝉、ブルードX、バクテリア、錬金術

『境界のない、自在な』
 この作品は冒頭子どもの肌を剥ぐ手術をするグロテスクでショッキングなシーンから始まっている。肌の色を人工的に変化させる設定のもの。加えて、この作品は未来の子育てと介護もテーマにしている。未来の家族の日常(永遠に続きそうな日常)は、複数のテーマを全く混線させずに読みやすい文章で語られる。
 子育てと介護の両方を担う語り手の不安が、物語に終始漂っている。語り手は子ども、母、祖母、曽祖母と同じでおそらく女性。男性がいない世界。意思を持ち子どもを持つと決めたけれど、それ以降子育ては常にマニュアルを参照して対策を立てるようにして行われる。反対に介護は認知症の曽祖母の自然で奔放な行為に任されるしかない。生きることをやめることは(母や祖母のように)意思を持って眠るか、(祖母のように)寿命が尽きるまで。子育てと介護の真ん中の年齢である語り手は、その二つが終われば自分も眠ろうと思っている。語り手は悩んでいるが、受け身で観察的な家族関係を過ごす。意思を持って好んで行うことは、料理を作ること。だけど料理は自分が無心になるためのもので、他人との関係性に意思を持つことはしない。永遠の時間にも長さがあって、語り手はより長い永遠を生きているんじゃないかと思える。だけどエピソードは未来の架空の話だけれど、語り手の感情は全く未来の話だとも思えない。

キーワード:人工皮膚、子育て、介護、認知症、日常生活、女の子、科学技術、家族


【B面】
『スウィーティーパイ』

 (8.20加筆修正)この物語の世界に入るのはとても難しかったけれど、一回入れると、とても大好きな作品になった。ニァグは絵師で、その絵はニァグの仕事である卵を孵す時に作用するような世界に生きている。
 芸術家のニァグがスランプに陥り、偶然ヘンリーの描く作品に出会うことによって、自らの芸術を取り戻す話…。だと最初私は思っていたけれど、違っていた。そうなのだけれど、それだけでは全然なかった。ニァグが何か視線を感じていると言っている。その視線はニァグを描くヘンリーの視線だ。
 先にこの作品について、「ヘンリー・ダーガーだ」というコメントを読んだ。実際に読んでみると、本当にヘンリー・ダーガーだった。作風やエピソードがそのままヘンリー・ダーガーのものが登場する。(ヘンリー・ダーガーのWikipediaを見たら詳しい)そのヘンリー・ダーガーは蛾なのか蝶なのか、ニァグの容姿の描写のようなものを自身の絵の中に登場させている。一方で、ニァグもヘンリーを見ている。最初、このニァグのヘンリーへの視線は、孤高の芸術家、他人ではなく自分のためだけの芸術を実践する者への羨望なのかと思っていたけれど、それだけではなくて、ニァグの世界とヘンリーの世界の交流の話だった。それがとてもおもしろい。
 壺は内側も外側も同じ一枚の面で出てきている。

キーワード:芸術家、スランプ、孤高、変わり者、アウトサイダー・アート、生殖、

『オシロイバナより』
 物理モノ。宇宙探査機。肝心の理論的なところが、物理の知識と理解力がなくて、ここで迂闊に作品については語れないけれど、SFコンテストらしくこういう作品が残っていて評価されているのがいいなと思う。「」の並びで話が進む箇所が繰り返し出てくる。スイングバイ、ハビタブルゾーン、といった知らない単語を調べるのが面白い。
 この作品もまた再読。多分私よりももっと感想が上手な人が他にいると思う。

キーワード:宇宙モノ、物理、はやぶさ、


『ヒュー/マニアック』
宇宙人を相手にパーソナルカラーを提案する仕事をしている主人公の元にやってきたのは、透明だった。課題の色を「透明」に持ってくるところがおもしろい。透明人間はSFの古くからのテーマなのに、すっかりやられた。でもこの宇宙人は透明だけど、「限りなく透明に近い色」で(この表現もなかなか)、主人公の仕事と接客の起点の利かせ方がとても絶妙。とても明るく(正直に)悩みを一緒に解決してくれる。商売も上手。だけど、この主人公の生態にも特徴があって、眼球がない、という最後のもうひと展開は宇宙人ものならでは。色を視覚としての色ではなく、体感覚で知覚する。自分には見えない色という知覚なのに、色の儚さへの憧れや、色合いのもたらす他者や世界との関わり方への愛情が、とてもかっこいい言葉で綴られている。

キーワード:透明、透明人間、宇宙人、仕事、パーソナルカラー、 


『アザラシの子どもは生まれてから三日間へその緒をつけたまま泳ぐ』
 気になるタイトルは象徴のようなもので、本編とあまり関係がないのかな、と最初思ったけど、よく考えると薬で生態が変化した主人公たちはアザラシに変化して泳いで行ったんだろうし、その変身を変化ではなく「誕生」と捉えているのだとすると、ほんと上手いタイトルの付け方だな、と思った。
 本編は人体実験をする貧困ビジネスの話。塗り薬や目薬を自ら投与する被験者は形態が変化するにつれて、家族に拒否されるという件は、切なさという感情の一言では済まされない、現代の労働に対する社会構造への批評性や人間の本質が表されている。だけど、切ないと言ってもいいのが小説で、現代社会と異なる点だ、とも思うのは、そういった問題を短いこの文章の中でこういったファンタジーめいた書き方に落とし込んでいる点にある。全部読んだ時に返ってくる。題材と書き方が突き抜けていた。

キーワード:貧困ビジネス、人体実験、生態変化、薬、海、家族、社会、

ボーナストラック!
『二八蕎麦怒鳴る』

 圧倒的コメディ。この作品の収録場所を考えた時に、ボーナストラックにするか、それともやはり本編に堂々と組み込むべきか、組み込むとしたらどの場所がいいか、最初や最後だと全体に意味を持たせ過ぎてしまう気もするし、と試行錯誤するのが楽しい。
 「蕎麦」が金髪にする。それをみた「私」が怒り、それに対して蕎麦が逆ギレするところから始まる。一見めちゃくちゃのような話だけど、AIに人工意識を搭載させ、生物・無生物を問わず様々な新しい主観を研究する、という理論がきちんとしてるからこそ、何倍も余計におもしろい。蕎麦も私もずっと喧嘩腰だし、だけどお互い真剣に怒っていて、その観点が全部おもしろい。助手のヤマモトは優し過ぎて、周りの状況を受け入れ、さらに蕎麦や私をフォローしてるけど、周りを受け入れ過ぎている。物語の大筋、ちゃんと蕎麦の新しい意思がどのように発見されるかの過程が示されているのもさすがだったし、「私」の怒りの納め方も納得でおもしろかった。
 擬人化と違う新しい擬人化表現の探求でもある気がする。

キーワード:AI、人工意識、研究室、蕎麦、無生物の主観、コメディ

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