見出し画像

映画「ノマドランド」

(これは2022年11月にエッセイの会に投稿した記事です)
 ミニマリストについて書いているうちに、ミニマリストというのはある種のノマドなのかもしれないと思うようになった。「ノマド」というのは、一か所に定住せずあちこちを放浪してあるく非定住民のことだ。バックパック一つでいつでも引っ越せる、あるいは、家には必要最低限のモノだけを置き、新しいモノは極力買わない。こうした暮らしは、いざというときすぐに移動できる身軽な生き方で、ミニマリストたちもまた(彼ら自身はそうは言わないが)潜在意識の中で常に「移動すること」を考えているのではないか、という気がする。つまり、彼らもまた非定住民に属するのではないか、と思うのだ。

 私は子どもの頃から、父の転勤で数年おきに引っ越しを繰り返してきたせいか、一か所に定住するということに違和感を覚える、あるいは、長く居続けると居心地が悪くなってくる、という習性がある。早くどこかに移動しなくちゃ、と焦りに似た気持ちを抱き始め、いつのまにかスーツケースを出して中身を点検したり、旅行に行く準備を始めたりしている。三つ子の魂百までとはよくいって、子どもの頃に摺りこまれた習性は大人になっても簡単には変えられないようだ。

 私もまたある種のノマドなのではないかと思うのだ。長らく同じ団地に住んでいて引っ越すあてはないものの、どこかで「そろそろ引っ越さねば」あるいは「どこかに行かなくちゃ」という焦りを感じている。コロナ禍でどこにも行けないので余計そう感じるのかもしれないが。そんな私にとって、この映画は衝撃的だった。

「ノマドランド」(2022年 クロエ・ジャオ監督 フランシス・マクドーマンド主演)

「ノマドランド」は2021年のハリウッドアカデミー賞三冠受賞(作品賞、脚本賞、主演女優賞)という快挙を成し遂げた映画である。監督は中国人のクロエ・ジャオ(38歳)、主演女優賞を受賞したのはフランシス・マクドーマンド。この二人の女性の出会いがこの傑作を生みだしたのだ。

 ベースとなったのはジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド:漂流する高齢労働者たち」。映画のストーリー自体はフィクションだが、ドキュメンタリータッチで描かれており、登場人物たちも実際のノマドたちを起用したという。

 ファーン(フランシス・マクドーマンド)はアメリカネバダ州にあるエンパイアという企業の城下町に夫と共に暮らしていたのだが、2008年のリーマンショックのあおりを受けて企業が倒産。その結果エンパイアの町そのものが消滅するという不運に見舞われる。しかも長年連れ添ってきた夫がガンで亡くなる。夫も家もなくし、ただ一人残されたファーンは、様々な土地で短期労働をしながら、キャンピングカーでアメリカを放浪して歩くことになる。

 アマゾンの倉庫で働いていたときに出会ったリンダ・メイが、アリゾナ州クォーツサイトでノマドの集会(RTR:Rubber Tramp Rendezvous)があるから来るといいと教えてくれる。ボブ・ウェルズという人が主催している(実際のボブ・ウェルズ本人が出演)。ファーンはここで様々なノマドたちと出会い親しい友人もできる。彼らは年に一度集まり、情報交換をしあい、助け合う。ノマド初心者の訓練所でもある。そして彼らは再び自らの放浪の旅に出るのだ。

ボブ・ウェルズは言う。

「我々はドルや市場という独裁者をあがめてきた。貨幣というくびきを自らに巻き付け、それを頼みに生きてきた。馬車の馬と同じだ。身を粉にして働き、老いたら野に放される・・もし社会が我々を野に放り出すなら、放り出された者たちで助け合うしかない・・」

 ノマドたちは60代、70代の高齢者が多く、季節労働者として各地で短期の仕事をして日銭を稼ぎ、また次の場所へと移動していく。年金はごくわずか(国が支給してくれる年金は550ドル)なので歳をとっても働かざるを得ない。しかし、一方で彼らは自由であり、自然と共に生きる人たちでもある。

 延々と続く荒野と砂漠。彼方に見える山脈やそこに沈む夕日など、風景はまるで別の惑星にいるようだ。

 75歳のスワンキーは肺がんの手術をしており医者に余命7~8カ月と宣告されている。それでも彼女は一人で放浪の旅を続ける。

「カヤックをこいで美しいものをたくさん見てきたわ。ヘラジカの家族に出会ったり、大きな真っ白なペリカンが目の前に降り立ったり、カーブを曲がると崖一面に何百というツバメの巣があって、無数のツバメが舞ってたり。私もツバメと一緒に飛んでる気がした・・あれをもう一度見たい・・」

 そう言って彼女は再び旅に出るのだ。

 彼らは一様に人生のなかで哀しみや喪失を味わっている。伴侶や家族をなくし、心の中に癒されない痛みを抱えている。しかし、彼らはちっとも暗くない。日々を精一杯生きて、命の限り生き尽くして死んでいく。その姿は気高く潔い。

 一方で、アメリカの多くの企業はこうした季節労働者を必要としている。多くは高齢者で、低賃金で過酷な労働を強いられ、何の保証もなく、使えなくなれば放り出される。

 アメリカという国の非情な現実を描くと同時に、覚悟を決めた人たちの凛とした生き方を描いた映画でもある。人間というのはどんな状況でも気高く生きていける、ということを教えてくれる。歳をとった人々に勇気を与え、人間の尊厳を伝え、また叱咤激励してくれる。

 ファーンは、姉から一緒に住まないかと提案される。またノマド仲間のデイブからも(彼は息子の家に同居することになる)一緒に住まないかという申し出を受けるのだが、両方とも辞退し、再び一人で放浪の旅を続ける。

 RTRに行けば仲間たちがいる。ボブやリンダ・メイに再会できる。ボブはファーンにこう言う。

「この生き方が好きなのは、最後の『さよなら』がないんだ。何百人と出会ったが、一度も『さよなら』はいわない。いつも『またどこかで(See you down the road.)』。実際そうなる。一か月後か一年後かわからんが、また会える・・」

ファーンは、ノマドになることにより、夫の死を乗り越えて解放されていく。その過程を描いた映画であるともいえるだろう。

 クロエ・ジャオ監督は中国で生まれ、イギリスで教育を受け、アメリカで仕事をしている。「これまでの人生で常にアウトサイダーだったと感じてきた」と彼女はいう。「だから、自然と、「主流でない暮らしをしている人々に引き寄せられるのだと思う」

 私もまたアウトサイダーたちに惹かれる。というのも、人生で二度逃亡を経験しているからだ。

 一度目は21歳の時、両親のいる家から。スーツケース一つで逃げ出し、二度と実家には戻らなかった。
 二度目は39歳の時、夫のいる家から。二人の子どもたちを連れて逃げ出し、二度と夫の元へは戻らなかった。 

 もちろんそれなりの理由があってのことで、あの判断は間違っていなかったと今も確信しているが、もしかすると私の中にあるノマド性がそれを促したのかもしれない、とも思う。

 逃げ出さずにすむ人生、転々と居場所や仕事を変えなくてもすむ人生を送ってきた人にとっては、想像外のことであるかもしれない。でも、二度の逃亡を経験した私には、今いる場所が「安全安心」である保障は何もないと感じられるし、明日はどうなるか全くわからない、とも時に思う(特に3・11の直後には強く感じた)。だから、ファーンのような人たちに惹かれるのだろう。だからといってファーンたちのように暮らせるか、といったらそれはまた別の話なのだけれど。

 75歳で病気を抱えながらたった一人で放浪の旅を続けたスワンキーは、最後に憧れだったツバメたちの巣を再び訪れ、ヒナの巣立ちを見ることができた。

 さよならはいわない。またどこかで会おう、というのはとてもいい別れの言葉だと思う。


 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?