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「エモい」、もったいなくない?

実は前回から投稿する際に写真もつけようと決意したのですが、良い写真がないと投稿できないことに気づいてしまったので写真は良いのがあればにします。

という、だれも知らない決意が頓挫したところで始めていこうと思います。


じわじわと周りが緑になってきましたね。

しかし気温はじわじわ暑くなってくれないみたいです。信じがたい暑さです。

もう春と秋がボーナスタイムのような存在になってますね。

某水道管工事兄弟のゲームだったらコインとりまくりですよ。

冗談はさておき。



暑いのは如何せんいけ好かないが、緑に生い茂った葉っぱたちは好きだ。

癒されるし、風で揺れるわしゃわしゃとした音も心地よい。

なにより生い茂りし木の下は日陰だ。寒をとれる。

暖をとるの反対としてあてずっぽうで寒をとるなどと言ったが、正解は「涼をとる」らしい。

反対語あるんだという思いと、ここでは適応されない「寒暖」のもどかしさを歯を食いしばり振り切りつつ、話を戻そう。

木の下は、涼しく音が心地よいことの他に「木漏れ日」が好きだ。

視界を覆い隠すほどの葉のすき間から通り抜けてくる光。

葉が風に揺れれば、絶え間なくその光は表情を変える。

涼みながらこんなにも至れり尽くせりの癒しを提供してくれる木すごい。

なにより無料だし。環境にも良いし。最高。

しかも「木漏れ日」て。言葉までおしゃれ。

生い茂る葉からさし込む光に名前ついてるって。

昔の人いとをかし。

あまりの趣で現代語ネイティブなのに古語を引き出されてしまった。

最悪なくても良いけど、あったら便利な言葉ってこの世にいくつあるのだろう。

昔の人は「なんかエモい!」となったら、それをそのままにせず現象に名前をつけていたのだろうか。

しかも、しっかりその美しさをアウトプットできている気もする。

俳句など限られた文字数のなかで楽しむための工夫だったり?

現代ではもう現象に名前はつけきっているのだろうか。

新たな現象があったとしても、それを名付けたのが海外だった場合カタカナそのままで伝えられている気がする。

グローバル化が進んでいる影響なのだろうか。

なんかちょっと寂しい。

もしくは「エモい」が誕生したことで、思考を停止してしまっているのだろうか。

「なんか良い!」をエモいの一言で片づけず、新たに名前をつけていくのも楽しいかもしれない。

なんか国語の教科書みたいなことを考え始めてしまった。

今回はこの辺でお暇します。

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