過去語りと氣の迷い

先に注意書きとして警告しておきます。
今回の話は、暗い気持ちと攻撃的な言葉が並んでいるので、ネガティブに引っ張られるかもしれません。でも、自分で自分を責めるクセがある人には、ヒントになるかもしれない記事です。
そして、私の迷走の記事でもあります。

神の絵、本当に効いているんだろうか、っていう疑いの気持ちや、
ぜんぜん効果を肌で、数字で感じられていないな、という焦りから、
方法の間違いを指摘されて、正しい道も示されているのに、私はかつて、カタカムナ始める前の時のように、

なんでこんな事も出来ないんだ!
いつも間違いの道を選んで正解の道を取れた試しがない!
私は何も成し得ない!
他の人の道を信じて進んだ方が正解なんだ、出来損ない!
別れた奴も言ってた、「私のやること全てが間違いで常識知らずで空っぽだから精神科に行け、お前はおかしい」って!
なんでこんな簡単なことも出来ないんだ!
こんな間違いだらけの奴、誰からも愛されない!
死んだほうがましだ!
生まれてこなければよかった!

もう虎は居ないのに、自分で自分の人格否定の言葉を心の中で繰り返し浴びせました。
せっかく癒やされて来ているのに、また自分で心に穴を開けました。

帰ってきて、必死にカタカムナを読むと、10句くらいでボロボロと涙と後悔が零れ落ちて、読み終わる頃には暗い気持ちはどこへやら。
心はシィンと凪いでいます。
あんなに激しく自分を責め立てた言葉は湧いてこなくなりました。

今まで、この年まで、とても自分の感情に振り回されてきた自覚があります。
失敗があるたびに、方法を間違う度に、誰かに言われた訳でも無いのに、ひとりになって心を閉じて、心の内側で自分を責め立てました。
それでボロボロ泣いては親を、特に母親を心配させました。

私は世間から見たなら、たぶん変な子です。
一人が好きで、たいてい本を読んだり絵を描いたりして、そうしてるかと思えば突然声もあげずにポロポロ涙を流す子でした。
心のなかでは嵐が巻き起こってボロボロなのに、誰にも言わずにしまい込んで、唯一話すのは母親くらいなものでした。

質問が怖かった。
責められてるように聞こえた。
小学校1年生の頃に引っ越しして、がらっと新しい環境になったとき。
同じクラスの子たちに机を囲まれて質問攻めにあった時が、最初に心に刻まれた恐怖でした。
立てばクラスで一、二くらいの体格の私でも、椅子に座っていて、クラスの子達は私を取り囲むように立っていれば、相対的に皆のほうが背が高く見えます。
前も後ろもなく囲まれて、逃げられないような檻に見えました。
みんな好奇の目で質問してくるのですが、答えるスキなく投げかけられる質問の山。
どこからきたのどうして転校してきたのなにであそぶのがすきどうやったらそんなに大きい体になるのと、どうして?なんで?と自分の頭の上から尋ねられる度に、自分は悪いことでもしたんだろうかと嫌な気持ちになって、怖さが加速して、転校したてだからもあって友達もなくて、どうしようもなく一人ぼっちで孤立無援でした。
私を取り囲んだ誰も、とめようとも、やめようともしなくて(小学生1年生で、初めての転校生だったでしょうし、純粋に好奇心だったのでしょう)。

で、私はどうしたらいいか分からなくなって、下敷きを割ったんです。蛍光イエローのクリア素材が好きだった下敷きを。
取り囲んでいた子達は蜘蛛の巣を散らすように離れたり騒いだりして、あぁやっと助かったと思いました。

幼稚園のクラスの発表なんて、率先して目立つポジションを取りに行くほどの、自信に溢れている子でした。
でも、その取り囲み質問の嵐事件のあとから、人の目が怖くなって、大勢の前に立つのが怖くなりました。
でも、何故かクラスの推薦で評議委員とか、賞をとって全校生徒の前で賞状もらうとか、同和教育だったかで書いた文を全校生徒の前で音読とか、みんなの前に立たされ続けました。そういう機会が来るたびに「何の罰なんだろうこれ……」と悲しかったなぁ。




でも、カタカムナで心が凪いだ時に思ったんです。

「今まで、こうやってひとり反省会で自分を攻撃し続けてきたけど、それで事態が好転すること、自分が高まる事ってあったか?ないよな…。
もしかして、自分反省会や自己批判って、持たなくて良い無駄な行為だったんじゃない…?」

例え正解の道を選べたとしても、「間違わなかった」と胸をなでおろすだけ。
間違ったらまた自分を責め続ける。
それは、マイナスなところに常に居続ける心。
自分の失敗を責める生き方は、自分の感情や心が上がる隙がないんです。

いい気分さんとひろのさんの会話で、示された図がありました。
エイブラハム・感情の22段階という図でした。

これを見ると、自己卑下は下から2番目の低い波動。
自己批判や自己卑下の下は無気力・恐れ・苦悩・憂鬱…。生きるのが辛そうな文言が並んでいます。

自分反省会は、自ら自分の波動を下げる、言い換えれば自分のテンションを下げる行為。下げポヨ⤵️⤵️。

これ、どうやら神の絵を描く時の込める気持ち・エネルギーも投影されているようで、

ひろのさん自身もこう発現しちゃうほど。
成功させている・失敗している要因は、エネルギーを込めている本人の気持ちを素直に反映させている。

手っ取り早く波動をプラマイゼロにしたいなら、なにはともあれカタカムナ音読!これで、自分が抱えているマイナスな感情を30~40分でごっそりなくなります。

「義務感ではなく、わくわくの心で書きましょう」とひろのさんの神の絵の発表で書かれています。先程の感情の図だと、希望なら上から6、ポジティブな期待で上から4、感謝や感動を共にするなら最幸の波動です。どれも、ニュートラル(ランクならば上から7番目、感情的にはプラマイゼロの地点)より高い波動ばかり。ポジティブな感情です。





…そう、カタカムにゃんこの方々、とても波動がポジティブで、自分が抱えている影を思うと、息苦しく感じてきました。
無理して明るく前向きな言葉を頑張って発信しましたが、なんかどうもしっくりこない。
今後もっとカタカムナを読み込めば、もっと私自身の波動が上がって、ネガティブなことにチャンネルも合わせられなくなって、高みへ行けるのかもしれません。それが正解で、最短の、幸せへの道なのでしょう。

でも、カタカムナで心の迷いやネガティブな感情がきれいさっぱりなくなって、感動もしたけど、怖くなったんです。
「そんなカンタンに捨てて、失くしてしまっていい物なのか?私が感じている感情は」って。
神様視点ならば、それは正解なんだろうと思いますよ。ネガティブな感情があるから、迷うし、振り回されて疲弊して、低いところを彷徨っている。
それを救いたくて、こうして方法論を説いてくれている訳ですから。

でも、私が目指していたのは、正解で、理路整然とした、間違いのない、美しさだけで構成された景色だったっけ?って思ってしまって。
私は、自分の中のネガティブを全て捨ててしまったら、私の創作ができなくなってしまうよなぁ、と思ってます。
ポジティブな創作より、毒がやや入った物を生み出すことの方が得意なので。じろり目の神様しかり。

「目の前に宝箱がある!この崖を上るだけだ!さぁ!」
と、されているように思えてきたんです。
本当にその崖を上るしかないのかな。
遠回りでも道はあるんじゃないの?って思っちゃった。

単に、叱られることが多くて嫌になった部分もないとは言いません。
今後、神の絵が全く効かなくなるかもしれません。効果があったとしても最低ランクかもしれない。
今まで必死に導こうとしてくれていて、本来なら金銭が発生するレベルのありがたい忠告も受けておきながら、この神と共にコースを捨てるのか!?恩を仇で返すのか!と叱責されるかもしれません。

でも、このまま自分で考えずに、神様の言葉だからと疑わずについて行ってたどり着く場所は、私が心から、魂からたどり着きたかった場所で合っているのか、という不安は出てきました。

ゲーム脳かもしれませんが、アトラス作品、こと女神転生シリーズの大軸です。迷ってこそ人たりえる。
悪魔にくみすると、弱肉強食で自然淘汰。強きがかならず弱きを食らう世界になる。
天使に従うと、天界の世界。でもそこは、神の傀儡になった人たちにとっては楽園でも、そうじゃない人には地獄となる。
日本の神コースにすすむものも、あったりします。

正直、迷ってます。
面倒くさいな、という気持ちだけではないです。
ひろのさんの言葉の端々に、正しさとか、正しい道へ、という表現が頻出しているのも、ちょっと自分のなかで引っかかってます。
「正しいことを正しく行うことは、本当に正しいことなのだろうか」
私が好きなゲームの言葉です。
現実にある正しさのボーダーに引っかかって落ちてしまった人を肯定する言葉だと。
正義の・正しさの剣で引き裂かれたような気持ちになってしまっていたので、すごく染みました。

私は、正しい道を迷いなく歩みたい人ではないんです。
ラクできる道があるなら乗っかろうかなっていう努力が好きじゃない楽観者で怠け者です。心が非常にウェットでさんざん迷いまくる人です。
X(旧twitter)に生息している以上、あれです。結局あのよどみ方がわりと好きなんです。
私の星を見ていてもね、清らかさだけじゃなく、淀みや毒とか、陰の部分を見つめるお役目とか裏人生テーマ・アンチテーゼがありそうなんです。
宇宙意思とかの勉強してても、光の中にも小さく影があるんです。陰が大きくても、光は失われないように。陰陽の図。両方あって、回っています。 
だから、担当するなら影部分。清濁両方飲み込まないと、ヒーロー物って描けないですから。
光を見るのも好きです。でも、惹かれる闇もあります。
闇があるから、光はもっとうんと美しく見えるものなので。
花火も星も蛍も、闇夜あってこその光のありがたさだと思うから。
光の世界には不要なものかもしれない。でもその世界に不要なものが、でも私には必要なものだったりするんですよ。
すべてがない世界は、打ち消しあう対岸があるから、ない。+3とー3が出会えば零になるように、無というのは逆にいえば全てそろっている世界だそうです。

カタカムにゃんこは光であってほしい。
私が一番足を引っ張るだろうから、マイナスな気ばかり出してしまうだろうから、SNSでのリムーブ(フォロー外して離れる)やブロックはご自由にどうぞ。

カタカムナと神の絵、方法としては続けてみます。異常値を出す方が多くて恐縮ですが、最低でもこれくらいは出せるよっていうMIN数値担当かもしれません(笑)
最短距離をホップステップジャンプ!ではなく、のんびり私のペースで進むかんながらの道となりそうです。
これだけ意欲が低迷してるので、神様が期待していたほどの導き手としての効果はなくなるかも?まだ未知数ですが。
ダメダメな生徒で申し訳ないですが、中流や下流で泥遊びしながら、その末席で学ばせていただく気持ちでいます。
…私のこの方向転換?ペースダウン?すら、神様の計画通り、掌の上かもしれませんけどね!!

2024.0726


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