多数派と少数派(小論文コンテストに出した作品)

昨今ではコロナ禍にて各国において人種間の対立が激化したように感じざるを得ない。アメリカのブラック・ライブズ・マターなどの事例があり、小さな問題・出来事をカウントすると数え切れないだろう。


しかしながら、私の立場から見ると人種やジェンダー、民族など劣っているとか優劣はないと考える。


そもそも、人間の祖先をたどれば、一つの個体に行き着く。生物学的にいうと我々みんなが共通の祖先をもち、少なからず血のつながりを持つ。
さらに、SDGsでは多様性やダイバーシティ、差別・偏見の防止に関連するものが目標として抱えられているものの、そもそも極論をいうと私はマジョリティなど存在せず、みんながマイノリティだと考える。世界人口70億人を超える中で、70億の過半数を占めるとされる宗教や民族、国民、人種は存在せず、世界人口的な規模で見てみたら置かれる環境によっては必ずマイノリティになると言える。


私たちはついマジョリティだと感じることがたびたびあるものの、実はマイノリティだと気付くことで価値観の変化があると考える。
マイノリティだと気付くことでおごり高ぶることが減ると考えられうるし、また一人一人少しずつ個性や性格、特徴が違うので、全く同じ人間はいない。そう考えることが多様性への一歩であり、個人個人一人一人がマイノリティだと気付くことによりお互いの違いをお互いに尊重することにつながると思う。


世界でもマジョリティ、マイノリティという言葉が多用されている傾向にあるが、その言葉自体が対立を招く一つの要因なのかもしれないし、それが人々の中で「マジョリティVSマイノリティ」を無意識に社会構造として作ってしまっているのかもしれない。


もしかすると、みんながマイノリティという自覚をもつことで、自分一人では何もできない、マジョリティという構造を借りてラベリング化によって安心感を得ているのではないか、さらにはそのマジョリティという構造化から除外・阻害される人は劣等だという見方が存在するのではないか??

しかし、もし地球全人類がそのようなマジョリティがいい、マイノリティが悪いという形式的な構造や常識から抜け出し、一人一人が実はマイノリティになりうると考えたとしたら、それは「差別禁止」や「ダイバーシティ」を訴えかけることよりも有益だと私は考える。


ゆえに無意識に作られてしまった偏見・ステレオタイプに縛られることなく、一人一人の価値観、「マイノリティだという考え方」が本当の意味で多様性のある社会を構築することにつながると思う。


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・appendix

(この作品は提出後、他の組織等への提出ゆえに自身で少々添削・変更しています)

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