ある日の寝坊の記録と午前3時の思考回路。




起きたら、出勤時間を15分ほど過ぎていた。



やってしまったなと思いながら、午前休みの旨をメールで会社に連絡した。午前中に片付けたかった仕事が一つだけあったので、在宅で行うことにした。

幸い簡単な作業だったので、10分ほどで終えて、社内の担当者にそっと個人チャットで報告をした。表向きは体調不良ということになっている。

起きたら電車の発車時刻だった、ということは過去にもあったが、こんなにがっつりと寝坊したのは今の職場では初めてのことだった。

昨日は3時過ぎまで眠れなかった。なのに今日も、もうすぐ3時半になろうとしている。ただこれは学習しないというよりかは、3時4時まで寝付けず、かつ(なんとかぎりぎり)寝坊しなかった経験が何度もあることが大きく影響している。良くない方向に成功体験を積み上げてしまっているのである。

作業を終えて、ため息を吐きながら再びベッドに横になる。自分への失望とやるせなさが思考を停止させるのと同時に、果たして午後から出社できるのかという不安がそこはかとなく漂う。
充電用のケーブルに繋いだままのスマートフォンで、午後出社の場合のデッドラインを検索する。私は最悪何時に家を出れば良いのか、と。


音声配信を聞いたりSNSをザッピングしたりしながら時間が流れていく。家を出る時間が刻一刻と迫り、鬱屈とした気持ちが体の中に充満していく。


ふと、時刻表を再確認したら、出発の時間を1時間ほど勘違いしていたことに気づいた。

そしてそれが分かった途端、全身の緊張が緩むのを感じ、私はこんなに会社に行きたくなかったのかと認識した。

3時や4時に起きていると、自分が規格外であると感じる。社会規範を守れていないように思う。24時に寝て6時や7時に起きる生活の方が“正しく”、そうあるべきだという意識にがっちりと絡め取られる。

タイムラインも動かない、そんな時間に眠れないでいる自分を情けなく思う。
大半の人ができることが出来ないときの、自分に対するいたたまれなさは、何年経っても変わらない。


こんな風に日常的に寝付けない人が自分以外にもたくさんいるらしいということが、ネットの海をさまよっていると分かる。
それはそれとして「私だけじゃないんだな」と思うと同時に、それでも孤独を感じたりする。人には人の孤独があり、それぞれの地獄がある。



今日もまた夜が来る。布団と諦念を纏ってベッドに横たわる。
日曜日の深夜は、特に眠れない。

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