燃え殻ナイト
帰り際、後輩がとある書類を作っていた。
これまでの経過を書きながら、自分なりの考えも含めた内容にしなければならないもの。
先輩に「終わったら私に見せてね〜」と言われていた。それはよくあること。
後輩が書類を提出し、
先輩「ここの経過はもっとざっくりでよくて、逆にここを詳しく書いたほうがいいんじゃない?」
これもよくあること。
そして、
先輩「てかこの部分(後輩自身の考えの部分)いらないよね。消してさ、〜〜〜って直して。」
これ、"あるある"ではあるのだが、
いかがなものか、と思った。
今まで、自分が後輩という立場ばかりであまり気づかなかったんだ。と気づいた。
例えば、
同じ料理を食べて、美味しいと思う人もいれば普通と思う人もいる。感想は何通りもある。
私が言いたいことはほぼそれであって、
考えたことが先輩と違うのは「間違い」なのか?ということ
たしかに、書かなければいけない内容の筋があったとして、それからずれていたら直す必要があると思うし、
きっと上の立場としても、いい書類にしなければいけない役割があるから型に入れたいのだろうなとも思う。
ただ、良い方に導くのと、型に入れるのは違う。
少し思い返してみると、
私が新人の頃、提出した作文に入っていた赤ペンは、「この理由は?」「具体的に」「順番を変える」などなど、導いてくれるタイプのものだった。
今思えば、否定せず考えさせるプロだったのだなと思う。
あれ、、もしかして
よくいう「指導する」とか「確認する」とか「添削する」って今まで散々してもらってきたけど、
いつかは自分もする立場になるのか、、?と。
苦手とか嫌って言ってられなくなるな、、と。
まだまだ先のことだと分かりながらも少し焦りが。
"ものの伝え方ひとつで、相手が深く考えるか、浅く考えるかが変わるし、
自分も頑張る&相手も深く考えてくれたら、その分職場のレベルが上がって、楽に働ける"
この考え方をしてる人は多分指導が上手だし、信頼も厚いような気がする。
実際、私はまだ目の前のことで精一杯で、やりたいことに集中したいのが正直なところ。時が来たら思い出せるように頭の隅に入れておこうと思う。
写真は燃え殻さんの本、これはただの夏
去年の夏、好きな街の好きな本屋でこれを買って、
いつもの喫茶店で読もうと思ったら臨時休業で、
雨の中走って入った知らない喫茶店で読んだ。
読んだといっても、そこでは歯がないおじいたちが煙草をふかして競馬の話をしていて、耐えきれなくて数ページだけ読んで、コーヒーを急いで飲んで出た。これもただの夏。
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