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2023 獅子座の言葉 中上健次┃唯一無二として「ここに在る」、他者の中からすっくと屹立する自分を探す

占星術における12サインは、12か月の季節の移り変わりに照応し、その時期に感じやすい心のテーマがあります。心理占星術家nico (ニコ)が、古今東西の著名人の言葉から12サインそれぞれの象徴を見出し、心理的葛藤と成長を考察したエッセイ。

2023年獅子座期は、芥川賞作家の中上健次に注目。出生地である紀伊半島/熊野を舞台に実体験に基づいた数々の作品を発表。その作品の言葉と圧倒的に濃い人生、足早に駆け抜けた生き様から、壮大な獅子座の太陽活動の力を見出します。

獅子座の言葉

われわれ、例えば高速道路をつけようとしている、あるいは空港を設けようという、それは政治や経済のスローガンですよ。ところが、政治というか皆さん方は、高速道路をつけることが自己目的、目的化してしまう。あるいは空港をつけることが、目的である、本当は、そんなことは目的でも何でもないんです。高速道路をつけて、人間は、例えば経済的に豊かになりたい豊かになるんだけど、豊かになって、それで何をするのかというと、本当は、本当のことっていうと、魂が、生きて良かった、われわれ人生に生を享(う)けて良かった、この陽の光を浴びて良かった、自分達の子供が良く生きてくれる、そのことを、本当はやりたいわけなんです。それが目的なんです。魂の昂(たか)ぶり、魂がこう、本当にこう浄(きよ)らかになって、そうすることが本当の目的なんです。決して高速道路をつけるというのは、その高速道路によって、そういうものに至ることができるんじゃないかという、ところが、いまの政治や経済の人々は高速道路がくることによって、お金持ちになる、金儲(もう)けできるんじゃないか、せいぜいその位で止まってしまうんです。

(中略)

 いま、皆、本当のことを忘れている。熊野という、とっても大事な所に生きているのに、本当のことを忘れて、お金、金勘定(かんじょう)ぱっかりしてるんじゃないか。そんなことを、言いたいんですよ、ぼくは。そうじゃない。

「紀南新聞」昭和63年1月10日号掲載 中上健次 熊野で「魂」を語る より


 今回の獅子座の言葉は、当初、バーグルエン賞を受賞した柄谷行人を取り上げる予定だったのだけれど、受賞作となった「力と交換様式」を消化したとは言えないまま書くというのはなんとも情けなく、こんなに獅子座らしい活動を60年もやっている人を表面的に扱いたくないと悩みに悩み、今回は彼の著書のあちこちに幾度となく登場する親友・中上健次にしてみようかと何十年ぶりかで小説を読み直してみたところ、「いい獅子座だ、これぞ獅子座だ」と思い入る箇所をいくつも見つけたので、今回は中上健次の言葉を取り上げることにした。

 圧倒的に濃い人生を生き、足早に駆け抜けた人だ。獅子座的な純度も高いに決まっている。「文學界」昭和49年8月号に掲載された短編小説「黄金比の朝」からこんな言葉を紹介したい

この実際的な世界の、実際的な場所、それは端的に言えば、金のうけわたしの場所であるが、そこでは、妙に自分が萎えちぢみ、ちいさくなってしまうのだ。コーヒー百二十円。定食二百円。すばやく、自分が一ヶ月にアルバイトでかせぐ金といまポケットに入っている金と、支払わなくてはいけない金をたし算したりひき算したりする。おおらかさがないし、精神が五十円玉にあいたちいさな穴をくぐりぬけた分量しか、この世界には有効でないことをみせつけられるようでいらだたしくなる。五十円玉の穴をくぐりぬけた精神の分量なんかたかだか知れているではないか。

 占星術では、実際的な世界、知覚され、実感される世界を地エレメントで表現することがある。ユングのタイプ論でいうと感覚タイプというものだ。
 その真反対の性質として精神的な世界、情熱的で純粋な魂の世界は火エレメントが担当している。ユングのタイプ論でいうところの直観タイプとなる。支配星を太陽に持つ獅子座は火エレメントの王様なわけだから、実際的な世界から最も遠く離れ、いわゆる「霞を食って生きる」ことが最もふさわしいサインということになるかもしれない。

 それがこまごまと金勘定をしながら生活しなければならないのだとしたら、「精神が五十円玉にあいたちいさな穴をくぐりぬけた分量しか、この世界には有効でないことをみせつけられるようでいらだたしくなる」のは当然のことだろう。

 けれど、そんなことを言っていても人は食っていかなければならない。家賃を支払わなくてはならないし、家族を養っていかなければならない。

 じゃあ、どうしたらいいというのか?

 恐らく多くの獅子座タイプの人は、以上のような葛藤を感じ続けているに違いない。こういった葛藤を解消するために、柄谷行人は「ニュー・アソシエーショニスト宣言*」をし「交換様式D**」といった思想を追い求め続けているにちがいないが、この話題は別の機会に委ねるにして、とにかく獅子座は、世知辛い世界――処世術を駆使し、世俗的な価値観に埋もれた場所から遠く離れ、自分にとっての理想を追い求め続けるべきなのではないだろうか。

*ニュー・アソシエーショニスト宣言: 倫理的ー経済的な運動、 資本と国家への対抗運動を組織する、トランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動のこと。

**交換様式D: 世界史という極マクロな実験室で観察した交換様式のひとつ。柄谷はそれらを4つに分類し、A=互酬、B=服従と保護、C=商品交換、D=Aの高次元での回復としている。

 そして、個々人の太陽を生きるというのは、本来そういう生き方を目指すべきであり、

本当は、本当のことっていうと、魂が、生きて良かった、われわれ人生に生を享(う)けて良かった、この陽の光を浴びて良かった、自分達の子供が良く生きてくれる、そのことを、本当はやりたいわけなんです。それが目的なんです。魂の昂(たか)ぶり、魂がこう、本当にこう浄(きよ)らかになって、そうすることが本当の目的なんです。

 こう言い切れる人生をまっとうするべきなのではないだろうか。

 これがいわゆるwell-beingであり、本性を生きるということであり、自己実現と言えるものだろう。

 彼は、短編集「岬」の終わりにこんな言葉を残している。 

 「黄金比の朝」は一年半前に書いた。
 吹きこぼれるように、物を書きたい。いや、在りたい。ランボーの言う混乱の振幅を広げ、せめて私は、他者の中から、すっくと屹立する自分をさがす。だが、死んだ者、生きている者に、声は、届くだろうか? 読んで下さる方に、声は、届くだろうか?

中上健次著「岬」より

 火エレメントは、自己の存在を強く感じること「在る」という活動に身を投じることが一つの「善」となると考える。つまり、獅子座=太陽は、唯一無二として「ここに在る」こと、つまり「他者の中から、すっくと屹立する自分をさがす」ことでこそ、我が生が実感されるということでもある。

 中上健次の言葉を通して、私自身、もう一度自分の太陽活動について考えてみたい。

 世俗の価値観の中に埋もれ、自分自身を息苦しくさせていないだろうか。人の欲望の中で、自分自身が翻弄されていないだろうか。人生の時々に「魂が、生きて良かった、この陽の光を浴びて良かった」「魂の昂(たか)ぶり」を感じることができているだろうか。

五十円玉の穴をくぐりぬけた精神の分量なんかたかだか知れている

そんなもので私の精神を量らせないように、今日からまた自分の理想を握りしめて生きていきたい、そして「他者の中から、すっくと屹立」できる自分でいたいと思う。


中上 健次(なかがみ けんじ)
1946年8月2日、和歌山県生まれ。太陽、水星、冥王星を獅子座に持つ。

作家・批評家・詩人。
『灰色のコカコーラ』でデビュー。73年、『十九歳の地図』が第69回芥川賞候補となる。76年『岬』で第74回芥川賞を受賞。ウィリアム・フォークナーに影響を受け、土俗的な手法で紀州熊野を舞台に「紀州サーガ」とよばれる小説群を執筆。92年没。


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