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空を飛ぶ人のゆめ②

 大学に通いながらWスクールで英会話とパソコンの専門学校に通っていたおれは(学費はバイト代で稼いだ。スゴイ!)新しいゆめを見つけてまた学校に通うことを決める。航空会社への就職は自力ではどうやら難しいらしい。

 元客室乗務員(CA)の方々が講師で、メイクの仕方や立ち居振る舞い、航空業界についての座学、英会話、履歴書の添削、プロのカメラマンによる写真撮影などなど多岐に渡って航空会社への就職をサポート! これは絶対になれる。書く仕事はいつか叶えるゆめで、そこに向かうまでの仕事としてはすごくいいように思えた。こちらの学費は兄の助けもあり、父に頼み込んで出してもらった。
「途中でやめんなよ」
もちろんだよ、あきらめないよ。CAになると言ったら教師がゆめの時より父が嬉しそうだった気がする。

 ところが就職活動って大変だよね。結局おれは2社しか受けず終了にしたわけだけど、変なのって思いながらリクルートスーツ着て古いメイクしてさ。自己分析とかいっても、本当に思ってることとかはあまり言っちゃいけなくて正解の回答の中から選ぶみたいな感じも嫌だった。個性なんてそこで出す必要ないって今なら分かるんだけど、その時はそんな模範回答ばっか答えて選ばれて嬉しいのか? もっと自分を出していいのでは? なんていう若さがひどく邪魔をしていた。

 ので、ここの口紅を買え、アイラインはこんな感じでと勧められてもちょっと違うのを選んで注意されたりして。CAになりたくて学費も払ってるくせに全く言うことを聞かない生徒に。なりたいんだよね? 言うこと聞いてればいいのに。せっかく添削してもらった書類もアレンジしちゃったりして。それでも書類は受かって本社面接に呼ばれた。父はそれだけで大喜び。まだ一次面接なのに。

 面接会場の最寄駅を降りたところから面接は始まっていると思え、と学校では教えられていた。なので、ただの学生みたいな態度はNG、知り合いに会っても、あーー!!! なんて走って駆け寄ったり大声ではしゃぐなんて言語道断、姿勢を正して軽く会釈するに留めるべし。   

 当日のおれはモノレールに乗るところからガッチガチに面接は始まっていて、近くのビジネスホテルに前泊したことを学長に怒られたり(なぜ?)、それでしょんぼりしてホテル近くで買ったお弁当を音なしの部屋でリラックスも全くできずに食べてチューハイももちろん飲まずに眠ったりの影響もあってかとにかくガッチガチ。あんなに憧れた東京、修学旅行とアルフィーの武道館ライブにしか来たことがない東京なのに、モノレールなんて初めて見たし乗ったのに。もちろん面接だって全く楽しめなかった。あれだけダメと言われていたのに、モノレールを降りた瞬間に他社の面接で会った人と目が合って、わー! と駆け寄ってしまうおれ。終わりだ。そしてその子からの質問が止まらないものだから邪険にもできず、駅からの道ずっとおしゃべりして向かってしまった。ごめんなさい。

 本当はそんなことが原因ではきっとないのだけれど、おれの就職活動はそこで終わった。一次面接が終わって父にほくほく電話を入れると、そのテンションとは合わない感じで父が言った。
「お父さん入院することになった」
え、そうなの。何も知らなかった。
「しばらく前からなんかお腹痛くてよ」
ごめん、面接近かったから気にしてくれたのかな。言ってくれればよかったのに。

 まずは検査入院ということだったけれど、入院日はおれの教育実習が始まる一週間前。教育実習中はもちろん実家に帰るつもりだったし、その間の送り迎えだって期待していた。
「ばあちゃんちから通うんだなわ」
隣町のばあちゃんちからの通い。母の入院中もそんなことあったっけ、なんかなぁ、まぁしょうがないか。

 そして始まる教育実習。いろいろあって最終日、おれの22歳の誕生日。1年1組のみんなが手紙をくれて、おめでとう! ありがとう! と送られる。たった2週間、もっとみんなのゆめの話とか聞きたかったよ、でも睡眠時間も短くて2週間以上続けるのは無理だったよ。
「こんなたくさんの人に祝ってもらえる誕生日は初めて。本当に嬉しい。今までの誕生日のなかで一番幸せです。ありがとう!!!」
 そう1年1組のみんなの前で挨拶して、その夜ヒノ(彼氏)に誕生日プレゼントを貰ってお寿司を食べてこの後別のお店で飲み放題しよう! とはしゃいでいる間に父は突然発作が起きていて、呼ばれて病院に着いた時には汗だくの医師に心臓マッサージされている状態だった。
 数十分もこの状態でもう難しい、ダメだと思っているけれども家族が止めていいと言うまで心臓マッサージを止められない、もう止めてもいいか、とポタポタ大粒で垂れるほど汗をかいた医師に問われた。仕事中の兄もまだ来ない、田舎から相乗りで向かっている親戚たちもまだまだ来ない。おれがそれ決めるの? 
「これ以上続けても意味はないんですか」
「そうですね、難しいです(ポタポタ)」
もうお父さん死んでるんだ、そう思った。検査入院中で、さっきまで病衣も着ずに半ズボンで勝手にローソンに行って注意されたりしてたらしいのに、急にいなくなってしまった。なんで。

 何年も闘病していた母の時とは違って、なんだか事故みたいに急にいなくなってしまったので誰も何の準備もできていなかった。父が一番びっくりしたはずだ。

「途中でやめんなよ」
もちろんだよ! と思った空を飛ぶ人へのゆめは、次の面接に呼ばれず、講師の先生たちには外資系も含めて他社もあるしCAだけでなくGH(グランドホステス)も視野に入れなさいと何度も言われたけれど、また言うことをきかずにそこで就職活動を止めてしまった。やめないと言ったのに、CAになるための専門学校へも行かなくなってしまった。大学にも、自動車学校にも行けなくなってしまった。おれはゆめを見るどころかごはんも食べず、泣いて飲むだけの人になってしまった。

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