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musicianのゆめ

 音感があるから絶対習った方がいい! と保育園の先生に言われて4歳からピアノを習い、でもなんとなく楽しく弾けなくなってきて週1回のピアノ教室に行くのが苦痛になってきた中学生の頃。
 部活で帰り時間が遅くなっているにも関わらず、ピアノを弾いていいのは21:00までというお父さんルールと、湿気でやられて戻りが悪くなった鍵盤を理由になんだか練習しなくなるも、音楽は別方向からゆめとなる。

 ニコこれ好きだと思う、そうお兄ちゃんが言って見せてくれた音楽番組でおれは出会う。THE ALFEE。その時13歳、38歳の3人が創るものに夢中になる。恋に近いものだったような気がする。同級生で聞いている人はいないちょっと上の世代に人気があるだろうアルフィーの話は、なんとなく周りの友達には言いづらくそれもまた秘めた恋に似ていた。

 アルフィーの歌詞をノートに書き写してみたり、それに飽き足らずすぐにそれっぽい歌詞を書くようになった。歌詞、というより詩、ポエム。恋とか愛とかまだぼんやりとしか分からない、大人ってこんな感じかもの想像で書く詩。生きるとか夢とか離別とか、なんかやたらドラマチック。したためたノートが発掘されないのを祈るばかり。

 そしておれのゆめは、アルフィー の近く、同じ感覚で、近さで、同じステージに立てる人になることに。いい声なわけでもない、音感がどうとか言われたけれどピアノがすごく楽しかったわけでもない。それなのにmusician。

 musicianとして書きたいことが歌詞の文字数では足りなくなった頃、我が家にワープロがやってくる。パチパチ文字を打つことが楽しくて、何か打ちたくてたまらない。そうなると恋とか愛とかじゃ足りない、もっと何か文字を打ちたい。例えば新聞とか、雑誌のインタビューとか。ありものの文章を打ってみるももっと面白いのは頭の中を言葉にして吐き出すことだとここで知る。

 学校にいる時ももう文字が打ちたくてたまらない。授業の内容をローマ字入力している気分でありもしないワープロをカタカタしてみたり。エアワープロ。そのうち実際にはカタカタ手を動かさずに頭の中でパチパチしたり。やばめ。

 高校生になった頃にはパチパチしたいがばっかりに日々のことをエッセイっぽく書き綴るように。田舎の中学からバスで1時間の高校に通うようになり、田舎のニコがそこでは通用しないこと知る。周りのイケてる風のムードに飲まれて言いたいことが言えなかったり。そんなモヤモヤをちょっとした読み物に消化するようになる(10章くらいあった気がする)。アルフィー のスクープ記事を書いて、そこに自分を登場させたみたりする遊びも(しかもそれお父さんに読まれた)。すっかりやばい。 

 え、ゆめってmusicianじゃなかったの?
 
 おれの夢はかわると分かる。


花の都へのゆめにつづく


#ぷりはなさんありがとう

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