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僕たちはこの世界に、頭から登場した


命をふたつ産み落とすまでの話をしようと思う。


兆候があったのは11月15日の14時。
大部屋の一角で、同室の妊婦さんたちーひとりは無遠慮に仕切りのカーテンを開けてくる若い女性、ひとりは挨拶をしても返してこない不機嫌な女性、ひとりは声の大きくガサツな女性ーの意識の視線をひしひしと感じながら、規則的にやってくる陣痛のためナースコールを押した。


数日前、同じような順序を踏んで陣痛室までいったものの、結局お産までは進まず大部屋に逆戻りしたため、今回もその二の舞になるのではという懸念もあった。変な話、「あいつまた戻ってきたのか」と同室のひとたちに思われるのではないかという余計なプライドが心のどこかにあったのだろうと思う。


前提として、わたしは多胎妊娠で、切迫早産のため三ヶ月間の入院生活をしていた。もともと当然のように帝王切開で産む予定だったのを、予定日の一週間ほど前に「やっぱり自然分娩にチャレンジする」と急な方向転換をしたのだ。下から産むつもりはまったくなかったので、準備や心づもりなどは勿論しておらず、急いで呼吸法の下調べや会陰マッサージを始めたのだった。


兎にも角にも、数日前と同じように陣痛室まで連行され、窓から洩れる冬の陽光を感じながら、浅い陣痛を味わっていた。いつかツイッターで「お産の呼吸法には、腹の上のロウソクを吹き消すサンシャイン池崎になれ」という情報を見かけたので、背中を丸めてへその方を見ながら、必死に架空の灯火を消そうとしていた。



過去に、激しい生理痛のため駅のホームで倒れた経験が脳裏を過り、あれ以上に痛いんだろうか、失神してしまうんじゃなかろうかと恐れ慄きながら、スマホで夫や家族に実況LINEを送って気を紛らわせていた。
陣痛室では基本的に独りで過ごさねばならず、「お通じのような感覚が出てきたら、ナースコールで教えてください」と言い置いて去っていった助産師さんの言葉だけを指針に、徐々に大きくなる陣痛の波を堪え続ける。


時間が経ち、助産師さんが様子を確認しにきてくれた。至極情けない声で「これから無痛分娩に切り替えたりできないんですかぁ」「もうお腹を切って取り出してくださいぃ」と懇願するわたしを「そうですねえ、痛いですよねえ。そう思ってしまいますよねえ」と巧くいなしながら、円を描くように腰のあたりを撫でてくれる。その掌のぬくもりがとても心地よかった。


内診によって子宮口が開いてきているのがわかり、ついに分娩室まで運ばれた。
もうサンシャイン池崎どころではない。陣痛も本領発揮ゾーンに入り、「赤ちゃんの頭がしっかり下りてくるまではいきまないで。自然に入ってしまう力は仕方がないから、力を抜ける時はしっかり抜いて、吐けるだけ息を吐いて」と助産師さんたちに言われながら、舞台女優の底力を見せてやると全力の腹式呼吸を意識する。ただ、頭では理解していても、大きな痛みの波がくると自然と下腹部に力が入ってしまう。その時、あまりの痛みで身体がボンッ!と弾む(ベッドから一瞬浮く)のが不思議で、おもしろかった。

ありえないほど特大のうんちが出そうな感覚になって、「うわ、なんかきそうです」と息も絶え絶えに伝えると、もう頭が見えていますよ、もうすぐですという助産師さんの返事があった。「もういきんでいいですよ!いきみたくなったら、息をたくさん吸ってから止めて、いきんでください!」という助言を頼りに、うんちもおしっこも羊水も血も、下から出せるものはすべて垂れ流しながらいきむ。いきむのが苦しくなって、次のいきみのために一旦息を吐く時、村上ショージの「ドゥーーーーン!」みたいな声が思わず出てしまうのが我ながら可笑しかった。

正直、産む瞬間のことはあまり記憶にない。ただ、一人目が出てきて「おめでとうございまーす」と祝福を浴びた時、「まだあともう一人おる!!!」と叫んだことは憶えている。
助産師さんがわたしのお腹を上からぐっぐっと押して、一人目を産んだ10分後に二人目が産まれた。
お産を終え、開口一番に「ビール飲みてえ」と呟いたわたしに、助産師さんたちは優しく「お供させてください」と笑いかけてくれて、この病院で産んでよかったと心底感じた。

いろんな液体でドロドロの双子が、初めてわたしの胸の上に載せられる。意外と重いんだなぁと思いながら、おはよう、これからよろしくねと両手で頭を撫でた。本陣痛が始まって8時間、朝の9時30分のことだった。おそろしく美しい男の子ふたりが、わたしを母にしてくれた。



妊娠中から担当医としてお世話になっていた男性医師がやってきて、祝福と共にさまざまな説明をしてくれた。しかし、説明を終えた様子なのに彼はなかなか分娩室から出て行かず、なにか伝え忘れたことがあるのだろうかと様子を伺っていると、「今日は僕の誕生日でもあります」とぽつり呟いて去って行った。

11月16日は、双子と、双子を無事に産ませてくれた担当医である彼に、毎年祝盃をあげようと考えている。

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