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Yeah! 常夏エターナルバケーション!

 今朝はとうとう仕事が嫌になって有給申請もしていないのに会社を休んだ。支給されている社用スマートフォンの電源を落としてテーブルに置いたままにして、俺は鞄を掴んで外に出た。外は相変わらずの冬の寒空。寒さに悴む指で、俺は自分のスマートフォンで旅行サイトを検索する。とにかく何処かへ行きたかった。できれば暖かい場所へ。


 案外探せばあるもので、俺はその日の夕方前には飛行機に乗っていた。行き先は国内最南端の島。飛行機に酷く揺られながら、会社のことや将来のことをつい考えてしまっていた。けれど小さな機内の窓から南国の海が見えた時はその不安感をあっさり忘れてしまった。
 綺麗な色の、テレビでしか見たことがない海。砂浜に打ち寄せる波の模様。空と雲をオレンジ色に染める大きな太陽が沈んでいく。そんな風景に思わず口から気の抜けた声が出た。
 空港に着いて、荷物は殆ど持ってきていない着の身着のままの俺はロビーを出た。潮の匂いがする。これからどうするか、と空をぼんやりと見上げる。何も考えずに飛行機のチケットを取ったのだから当然と言えば当然だった。
 そうして立ち尽くしているところに、背後から誰かに声を掛けられた。
「お兄さんどうかした~?」
 振り返るとギャルがいた。ギャルがいたというか、金髪で、付け睫毛が凄くて、ピアスがめちゃくちゃ付いてて、肌が小麦色で、派手なロゴのタンクトップとジーンズ生地のホットパンツから伸びる手足が細くて長くて、とてつもなく高いヒールのサンダルを履いた、物凄く可愛い大学生くらいの女の子が立っていた。手首や指を飾るアクセサリーや長い付け爪に付いたラインストーンが夕陽を反射させる。そのせいで女の子自身が光って見えた。
「ん? なんか具合悪いカンジ? だいじょーぶ?」
「あっえぁっ、お、俺?」
「おれおれ。ね、ホントにだいじょぶ?」
 今まで生きてきた中で会話はおろかほぼ遭遇しない生物「めっちゃ可愛くて優しいギャル」の出現に俺は挙動不審になった。どうにか「ダイジョブデス」「タダノリョコウデス」と伝える。彼女はパッと顔を輝かせて「よかった~!」と言った。
「お兄さん観光のお客さんなんだ。てか今日平日じゃね? ゆーきゅー?」
「あー・・・・・・全然考え無しにチケット取ったんですよ。本当ならこの時間帯は会社にいるんですけど・・・・・・仕事、嫌になっちゃって」
「仕事サボってんのヤバ~。もしかしてアレ? 社畜?」
「そうかな・・・・・・そうかも・・・・・・」
 年下の若い女の子に俺は何を喋ってんだ、と自嘲する俺に、彼女は「じゃあさ」と笑いかけてくれた。
「アタシと観光しない? こっからまた車と船で移動しなきゃだけど、アタシん家がある辺り穴場なんだよね。ご飯おいしーし、砂浜がね、マジで真っ白なの。泊まれるトコはアタシの親戚が民泊やっててさ。金ねーのに去年リフォームしてさ~」
「・・・・・・い、良いですね~」
 そう言ってきゃらきゃらと笑う女の子の勢いに俺は押された。強制するつもりは無いらしい彼女が「どう?」と眉尻を下げて首を傾げる。その顔も凄い可愛かった。だから「お願いします」と頷いた。

「敬語じゃなくてよくない?」
「そ、そう?」
「いいよいいよ」
 暗い海の中を俺とギャルを乗せた船は駆けていく。月と星の光に照らされた女の子は現実じゃないみたいに綺麗だった。
 空港のタクシー乗り場に連れて行かれ、ギャルに言われるがまま乗り、彼女の顔を見た運転手は行き先を言っていないのに車を発進させ、何故か支払いはしなくても良くて、あっと言う間に漁港に連れて行かれた。太陽が沈み切った夜の海は不思議と穏やかだった。星が凄く綺麗で、「船乗るよ~」と彼女に呼ばれるまで俺はまた空を見上げて呆けてしまった。
 小さな漁船に乗った俺達に船長であろう老人は気の良い人で、「ほうか観光かぁ~」「良い飯食わせてもらえよ~」とニコニコしていた。ギャルにはいつまでも俺が敬語なことを不満げにしていたが、彼女の地元だという島の、屋外灯に照らされる船着き場が見えると「あれあれ!」と嬉しそうに指差して見せた。煌々とした灯りの中に、ぽつぽつと人の姿があった。
 船は無事に着いて、彼女に助けられて降りた俺はその島の住人らしい人達に歓迎された。
「お~よう来たな~」
 恰幅の良い老人もニコニコして俺の肩を叩いた。
「宿はこっちでね、今日の夕飯は豪華だよぉ~。ウチの人がさっき黒鯛釣って帰ってきたんだ」
 声の大きなおばさんは民宿の女将さんだった。他にもかなり年を取っているように見えるお爺ちゃんやお婆ちゃん、赤ちゃんを連れた若い夫婦と色々な人が俺を迎えて挨拶してくれた。
 島民達と別れた後、ギャルと二人で女将さんに着いていくと防風林の中に二階建ての小さな旅館があった。建物自体は古そうに見えたが、外壁は綺麗に塗り直されていた。中に入ってそのまま食堂へと連れて行かれる。台所では元板前だと言う旦那さんが大きな鯛を捌いていた。
 ビールを出してもらって、新鮮なお刺身や蛸の唐揚げ、酒盗から海藻の和え物と、随分と美味しい料理を御馳走になった。女将さんも旦那さんも話し好きな人だけど俺のことを詮索するようなことはしなかった。
「ほーら飲んで飲んで!」
「うわ待って待って、一気に注いだら全部泡になっちゃうって!」
 ギャルにお酌してもらうのは嬉しいけど八割くらい泡になった。女将さん達はそれを見て笑っていた。こんなにも楽しい夕飯は久し振りだった。
 夕飯が終わった後は普通の家にあるようなものよりは少し大きくて広いお風呂に使って、二階の和室に通された。羽毛布団は分厚くて少し重くて、潜り込めばすぐに睡魔に襲われた。


 ペタペタという足音が遠くから聞こえて、和室の引き戸が勢い良く開けられる音で意識がはっきりとした。
「お兄さんおはよー!」
 ギャルの声は高らかに、俺の頭上に響き渡る。俺が「おはよう」を返す前に彼女は俺の掛け布団を剥ぎ取った。
「なになになになに!? 朝からどうした!?」
「遊びに行こー! 何やりたい? 海釣りとか?」
「・・・・・・・・・・・・ノープランだなぁ・・・・・・」
 取り敢えず朝飯と身支度を済ませてから今日のことを決めることにした。顔を洗って寝癖を直して、髭を剃って一階に降りていけば女将さんが台所に立って手早く料理を出してくれた。「湯気の立つ白いご飯と味噌汁を、朝に食べるのって久し振りだなぁ」と俺は感動しながらタコさんウィンナーを箸で摘まんだ。金色のだし巻き玉子も、こんがりと焼かれた鰺の開きも、懐かしくてホッとするものだった。「美味しいです」と言うと女将さんは「息子が帰ってきたみたいで嬉しいよぉ」と目元の皺を深くして笑った。
 朝飯を食べ終わったら、ギャルは俺をまずは浜辺へと連れ出した。抜けるような青空と、明るい色をした海。白い砂浜。
「ね、お兄さん見て見て。この砂浜ってね、全部小さな骨なんだよ」
「骨?」
 打ち寄せる波の傍にしゃがみ込んだ彼女が砂を掬い上げる。しゃらしゃらと音を立てるそれはとても小さな破片の集合体だった。
「何の骨なの?」
 同じようにしゃがみ込んだ俺が訊ねると、ギャルはにっと笑った。長い金髪の先が波に遊んでいた。
「魚とかぁ、貝とか? 海で死んだ小さい生き物のものが多いみたい。たまに大きな生き物の骨も混じるよ。鮫の歯もね」
 俺は感心して頷く。そして彼女の髪を掬い上げた。
「気を付けないと濡れちゃうよ」
「ありがと~」
 華奢な手から骨の欠片達がパラパラと落ちていった。立ち上がったギャルは、今度は山の中を案内すると言った。何でも売っている島の雑貨屋では観光客や住民のために自転車を貸し出ししているから、それを借りてサイクリングに行こうと。浜辺から少し歩いたところにある雑貨屋は昭和で時間が停まっているような見た目をしているのに置いてあるのはクロスバイクだった。
 ギャップを感じつつ、俺はギャルと自転車を走らせた。山、と言ってもそこまで標高が高いものではなく、緩やかな傾斜の舗装された道路を走った。山の中は木漏れ日と街路樹じゃない大きな木々の繁らせる葉が輝いていた。風が気持ち良い。運動不足のせいでぜえぜえ言っている俺を見てギャルは笑っていた。
 辿り着いた山頂は開けていて、島を一望することができた。俺は溜息が出るほど、その風景に感動してしまった。本当に綺麗だった。
「どう? メッチャ眺め良いっしょ?」
「・・・・・・・・・・・・ちょっと泣きそうなくらい感動してる・・・・・・」
「カンジュセーやば~」
 ふと気付いて振り向くと、鳥居と祠があった。どちらもそれとは分かるが、見たことの無い形をしていた。彼女にこの祠について聞こうと思ったら、ギャルは「行こ~」と道を降りていくところだった。
 それから俺は、俺達は島の海岸線を自転車で走って、一旦民宿に戻って昼飯を食べて、また海へ行った。昼飯は天ぷらと蕎麦だった。海ではギャルと釣りをした。ギャルは釣りが上手かった。餌の見た目がヤバイ虫を器用に針に刺して、海に向かって投げ入れて、少し待てば大きな魚が連れた。蛸も烏賊も釣っていた。俺はてんで駄目だった。
「お兄さんボウズ過ぎてウケんね」
 見かねたギャルは釣りを止めて岩場の潮溜まりに俺を連れて行った。小さい蟹を捕まえたりナマコにビビったりしていると、彼女にメチャクチャ笑われた。日が暮れるまでそんな風に遊んで、太陽が沈んで星が瞬く頃になって民宿に戻った。
 ギャルが釣った魚や俺が獲った蟹をお土産にして民宿に戻ると、女将さん達に夕飯はバーベキューにしようと誘われた。島の中央にある神社の境内で月に一度は島民達で集まって宴会みたいなバーベキューをするらしい。飲み会は好きじゃない。でも、参加しても良いと思った。女将さんと旦那さんは良い人達だし、最初に会った島民の人達も俺を詮索したり変な目で見たりしなかった。「行きたいです」と答えたら二人は喜んでくれた。

 神社の境内は石畳が敷かれていた。此処の鳥居も見たことがない形をしていた。境内の真ん中がわざと円形に浅く窪ませてあった。直径は俺が寝ても頭と爪先がすっぽり入ってしまう程度。どうしてそんな風になっているのかは、ひと目見ただけでは分からなかった。
 集まった島民の数はそこまで多くは無く、窪みの横に置かれた二台の焼き台で十分だった。大きな笑い声を立てながら旦那さんや漁師らしいおじさんがビールを飲み始める。クーラーボックスから出してきた烏賊を処理する時もビール片手だった。ブランド豚とかブランド牛とかも出てきた。
「はいお客さんは此処ね~」
 民宿に卵や野菜を卸しているというおばさんが窪地の真ん中に木の椅子を置いた。椅子は簡単な造りで座り心地はお世辞にも良いものには思えなかった。
「えっいや悪いですよ、俺も何かさせてくださいって」
 俺が遠慮すると、島民の人達は一斉に口を開いた。
「いーのいーの!」
「お客さんなんだから座ってぇよ。はいビール!」
「せっかく来てくれたんだからなぁ! おもてなししなくっちゃよ!」
 恐縮する俺の肩を、「良いじゃん座っちゃいなって」と言いながらギャルは叩いた。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて・・・・・・」
 椅子に座るとやっぱり座り心地は悪かった。冷たい缶ビールを貰って、紙皿にはどんどん焼いた肉やら魚介やらが置かれる。みんな思い思いに会話をしていて、たまに俺のことを気に掛けてくれる。仕事の話はしない。自分達の昔の馬鹿話をして、たまに俺のことを聞いてくる。「島は気に入ったか」とか、「飯は美味かったか」とか。俺は全部に頷いた。楽しかった。
 彼女が俺の前に立った。星空を背負って、外灯に照らされて、やっぱり輝いて見えた。
「お兄さん、楽しい? 幸せ?」
 ギャルに聞かれて、俺は「幸せだよ」と答えた。
「連れてきてくれてありがとう。本当に、凄く良いところで楽しかった」
「良かった~!」
 安心したように彼女は胸を撫で下ろして、「じゃ、お願い」と俺の背後に視線を向けた。たしか女将さん達がいたはずだった。振り向こうとした俺の頭に何かが掛けられた。バシャバシャと勢い良く。すぐに全身がずぶ濡れになった。刺激臭がした。灯油だと思った。
 なに、と聞こうとして、目の前が突然明るくなった。投げ付けられた煙草に引火して、俺の全身が瞬く間に燃え上がったからだった。
 悲鳴を上げて転げ回る俺は火かき棒や、銛みたいなもので殴られて、窪地の中を転げ回った。
「こんなモンで良いんですかねぇ、神様」
「いーよいーよ! 全然オッケー! アタシも楽しいし、灯油味好きだし」
 ギャルの声が聞こえていたけれど、俺の悲鳴が煩くてあまりよく聞こえなかった。






終わり

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