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再臨

 こうして手紙を書くのは生まれて初めてです。いつもだったらラインで済ませてたから、ちゃんとした手紙を書ける自信がありません。電話もお互いあんまりしなかったもんね。私たち、中学から付き合ってるのにね。心配しているかもしれないけど、私は元気です。お母さんたちにもそう伝えてください。あと、大学を勝手に辞めてしまったことをとても謝りたいと私が思っていることも。

 私がそのサークルに出会ったのは去年の年末頃でした。我ながら変な時期だったと思うし、よく考えてみれば校内のサークルじゃなくて、何処か別の団体だったんだと思います。大学三年目で、就活をしなくちゃいけないって思ってもうまくいかない時で、私はとても精神的に不安定になっていました。あなたともずっと会えていなかったし。だから「自信を持って! あなたはきっとなれます!」と書かれているチラシを受け取った時にあやしんだりしなかったんだと思います。構内の掲示板にも宗教勧誘してくるサークルのことが書いてあったのに。

 私はチラシを配っていた人たちに話しかけてしまいました。黒っぽい服で統一されている人達は、なんだかみんな顔がよく似ていました。同じ人にそれぞれ似顔絵を描いてもらって、それを貼っているような感じでした。どんなことをしているのか具体的に聞いてみました。その中の一人、たぶん女の人が説明してくれた。その人達は色々な奉仕活動をしていて、月に一度か二度、地方の静かな場所にあるロッジでミーティングしているとのことでした。ボランティアは図書館での読み聞かせだったり、公共施設の清掃だったり。教えてくれたその人は精肉工場で勤務していると言っていました。
 とても酷くて、性格の悪いことですが、奉仕活動は就職活動に使えると思いました。それに、最近のSDGsやヴィーガン活動について関心があった私は卒論をそうしたテーマにしように決めていました。だから私はこの人達の活動に少しだけ参加させてもらおうと思いしました。本当に失礼だけれど「ひと月だけ参加させて欲しい」とお願いしました。サークルの人達は喜んで了解してくれました。

 参加することになった週から奉仕活動を、土日や講義の少ない平日、バイトが始まるまでの、ほんの数時間だけお願いされました。最初は「なんて楽なんだ」と思いました。手軽に経験できて、就活でもアピールポイントで使えて、必ず卒論では必要になる意見の収集もできる。でもそう思っていられたのは本当に最初のうちだけでした。一時間だけ、二時間だけ、そんな短い時間だけしか参加しない私をサークルの人達が詰ることはありませんでした。私が勝手に良心の呵責に陥っているだけです。みんな一生懸命になってボランティアをしているのに、私だけ大したこともしないですぐに帰ってしまう。それが段々耐えられなくなっていきました。
 私が自業自得で苦しんでいることを、サークルの人に相談しました。サークルの人は優しく慰めてくれました。「少し息抜きに、ミーティングに参加しませんか?」と誘ってもくれました。だから私は「参加します」と答えました。

夜のゴルフ場


 ミーティングをするのに使っているロッジがあるのは驚いたことに首都圏でした。でも確かに静かで、寂れたところでした。夜になると真っ暗になるようなところでした。月がよく見えました。
 ロッジはぽつんと一立っている一軒家でした。昼間は独居老人宅の掃除や食事の介助をして、夜になるとお酒を飲む人は殆どいなくて、自分の興味のある話をしたり、映画やドラマの紹介をして見たりしました。本の話もしました。あなたのことも話しました。みんなが「素敵な人なんだね」「とっても好きなんだね」と言うから、私はとても恥ずかしくなってしまったのを覚えています。

 全員が入浴を済ませた後で、一番広い和室に呼ばれました。奥に大きな仏壇があったので、恐らく仏間なんだと思います。仏壇の扉は閉まっていました。サークルの人はそこに全員いました。みんな座っていたので私も同じように畳の上に座りました。隣にいた人に何が始まるのかを聞くと「最後にやることだよ」と教えられました。それを聞いて、私は「帰りの会」とか「終礼」とかっていう、そういうものかなと思っていました。
 一人が立ち上がって全員を見渡しました。それから「それでは始めます」と言って、仏壇の扉を開きました。そこには、遺影と同じくらいの大きさに引き延ばされた写真がありました。インスタントカメラで撮ったような、全体的に少し滲んでいるような写真が。

おにく


 「これはあなたの誕生日の時に撮った写真です」と誰かが言いました。私に向かってです。王冠みたいなものを被っていて、私のイニシャルの「S」をペンダントにしている写真は、男物らしい服を着ていました。そして顔が、皮膚が剥がれたように真っ赤でした。私じゃないとすぐに言いました。私じゃありません。でもサークルの人達は「うんうん」と、頷くだけでした。その素振りがまるで、子供の妄想を聞く親や先生のような。「忘れてるだけだよ」と言われました。そんなことありません。そんなはずありません。本当に。でもみんなは繰り返すだけでした。「忘れてるだけで、これはあなたの写真だよ」と。
 私が泣きそうな顔をしていると、「心配しないで」と隣にいた人が言いました。「みんな初めはそうだったけど、すぐに思い出すよ」と。意味が分からなくて固まっていると、その人は自分の顔に手を当てて、爪を立ててばりばりと引き裂いてしまいました。その下から赤い肉が現れました。写真と同じでした。私は、本当に怖い時には声が出ないものなのだと初めて知りました。人間の顔の皮が、お菓子の包み紙のように破けるはずはないと思っていました。
 全員の顔が赤い肉に変わりました。私は腰が抜けてしまって、立つことも動くこともできませんでした。「あなたはすぐに思い出せます」と全員に言われました。私はとにかく逃げたくて仕方ありませんでした。何を思い出せば良いのか分かりませんでした。助けてくださいと言いました。すると全員が頷いて「きっと助けてあげられる」と言いました。一番私に近い誰かが、「何もないあなたにアイデンティティがあることを思い出させることができます」と言いました。「あなたは空っぽで何もない。薄っぺらい今時の話題と恋人しか貴方を支えるものがない」とも言いました。急に、唐突に、私のことを評価してきて、私は息が止まりそうでした。本当のことでした。
 全員が立ち上がって、私を見下ろしながら歌うように言いました。「さあ思い出して。あなたの本当の姿を。あなたが何であるのかを」と、私に向かって言い続けました。輪唱、という言葉を思い出しました。私は考えました。本当の姿とは何かを。私は日本人で、人間で、女で、異性愛者で、大学生で、成人していて、それで、それで。

 必死に考えて、私はやっと思い出しました。私はただの肉です。肉塊です。外面を取りつくろうだけの肉袋です。みんなと同じです。みんなにお祝いしてもらった誕生日がとても楽しかったことも思い出しました。ばりばりと、私の顔は何もしないままだったのに剥がれました。すっきりしました。みんなが嬉しそうに拍手してくれました。その内の一人が、仏壇の写真を持ってきて私に差し出しました。私はそれを受け取り、留め具を外して額から写真を外しました。私達に見えていた写真の裏面は、明るくて幸せそうな私の写真でした。私はその写真を自分の顔に押し付けました。私は私の顔を、正しいものを思い出すことができました。これからはそれを守るために、仮の顔を貼るのです。
 此処にいる全員と自分が同じであるということが、これからの私の支えになるのだと直感しました。あのチラシの「自信を持って! あなたはきっとなれます!」という言葉の意味を真に理解しました。私もなれました。自分を真に理解した肉に。

 今、私はとても幸せで元気です。他人と比べなくても良いし、不安なく生きています。来年になったら精肉工場で働くことになっています。サークルの人の紹介です。美しいとか醜いとか、元気そうとか根暗そうとか、そんな価値観から解放された中で生きています。気分がとても楽になりました。

 来月に一度、実家に帰ろうと思います。本当に心配させちゃったし、あなたにも会いたい。会って、私が本当の自分が思い出したのと同じように、貴方にも思い出して欲しい。本当は自分が肉なんだってことを。肉塊なんだってことを。肉袋なんだってことを。他の人達と同化することの安心感を。

 また手紙を書きます。


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終幕





Each one of them is Jesus in disguise.
人はみな変装したイエス様なのです。

Mother Teresa
マザー・テレサ



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