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#095 子どもたちの記憶に大切な言葉と態度とは?

こんにちは。
三連休を過ぎて
一気に寒くなってきましたね。
みなさんは体調いかがでしょうか?

わたしは今年一番の家族イベントが終わって
知恵熱なのか
週明けからお仕事をお休みさせてもらって
ひとり四連休となりました。

いまは復活して
今日も明日もお仕事です!

さてさて、
タイトルにもしている
子どもたちへの関わり方についてです。

この週末、
義家族との家族旅行へ行きました。
とっても素敵な旅行だったのですが
その時に自分の欠点?について
少し考えることがありました。

わたしは思い出をあまり覚えていられません。
悪いことはいいんですが、
いい思い出もあんまり記憶に残らなくて。
その分「いまを全力で生きる」って形になっているのですが。

今回も旅行の思い出を話す機会があって。
みんな過去の思い出や
亡くなった家族の思い出などを話していて
素敵だなって思ったのですが
わたしはどちらかというと
「これからもお願いします」的な
未来の話になっちゃっいました。

その理由を思い返したときに
絶対に忘れられない2つのトラウマ的記憶があります。

一つは小学校6年生の発表会。
好きなグループに分かれて発表会をしたのですが、
わたし選んだのはミュージカルで
シンデレラをやりました。

みんなで衣装や音楽も考えて、
歌詞にダンスもつけて。
本当に楽しかった。

なのにそのとき、
大好きだった先生たちが
わたしが頑張って歌やダンスの練習をしていた際に
笑って「そこまでする?」っと言っていました。
それがものすごく恥ずかしくて。

それから「誰かの前で頑張ることは恥ずかしいこと」、
「頑張っているところを見られてはいけない」という思いになりました。

そして二つ目が、
小学校4年生くらいだったかな?
妹が鼓膜の手術を受けたのですが、
そのときの思いを作文にしたとき
「大袈裟だな」って笑われたことがありました。

先生にとっては鼓膜の手術なんて小さなことだったのかもしれませんが、
わたしにとっては家族の手術。
大きな病院に何度か検査に行き、
手術の日も様子見として入院していました。
その体験が「大袈裟」という言葉で片付けられたことがショックだったのと
やはり自分の表現が笑って否定されたことが
その後の自分に大きく影響しているような気がします。

その記憶がまた蘇ってきたとき、
自分の子どもたち、
いまお預かりしているレッスンのお友だちには
決してこうした態度で接したくないなと思いました。

子どもたちもその一瞬一瞬を全力で生きています。
「大人」という秤で、
そのこと子たちを測ってはいけない。

大人からの一言、その態度で
子どもたちの可能性は
どうにでもなるんだってことを
自分の体験を通して再認識しました。

思い出を記憶できないことと
大人からのトラウマ体験が関係しているかどうかは
わかりません。

それでもわたしは思い出を記憶することが苦手なのは確かで、
そのときの感動を表現することも苦手です。

でもその分、未来を全力で楽しみにできます!

これからも思い出のことで悩むかもしれませんが、
未来を見て、いまの幸せを感じて
全力で生きていこう!っと思っています。

今日も素敵な一日を。

Natsumi

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