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私を救った音楽

10月31日。

世間はハロウィンの話題を占めている。

だが私の心を占めているのは、あるギタリストの事だ。

そのギタリストは、ヴィジュアル系バンド“Raphael”のコンセプトリーダーだった華月。

彼は、20年前の今日、亡くなった。

わずか19歳だった。

19歳という短い生涯の中で彼は沢山の楽曲を遺した。

私がRaphaelの曲をきちんと聴くようになったのは、華月が亡くなってから一年後くらいの頃だった。

Raphaelファンの人と知り合いになり、“症状3.×××症”の歌詞が凄く良いとすすめられたのがきっかけになる。

その時まで私はRaphaelの事を知らないと思っていたがそれは間違いで、もしかしたら生前、“HEY!HEY!HEY!”に出演していたのを見ていたあの彼が華月だったのかな?と記憶が甦ってきた。

私の記憶違いでなければ、華月は整形をカミングアウトして、ダウンタウンにいじられていた事を思い出す。

その後、ヴィジュアル系バンドのメンバーが亡くなった事をニュースで知っていたが、あの時の華月だとは私は分かっていなかったと思う。

私は、知人に教えてもらった“症状3.×××症”の歌詞の一部を聞いただけで、衝撃を受けた。

そして当時、販売されていたRaphaelのCDを全部購入し、どっぷりRaphaelの世界にハマっていった。

華月の書く歌詞は、メッセージ性の強いものがとても多かった。それらは心情に訴えかけてくるものでありながらストレートに届くので私の心に響きまくっていた。

“症状3.×××症”に、私は何度助けられた事だろう。

この曲は彼のダウン症である叔父さんが街を歩いている時などに皆が、振り返って見て来たり笑ったりしている事から華月が感じた事を歌にしたものなのだが、これが見事に当時の私の状況にリンクしていた。

当時、私は醜形恐怖に苦しめられていたのだが、この歌詞を読んで本当に勇気を貰った。

世の中には沢山の楽曲があるけれど、これほどストレートに心に響き、助けてくれる歌詞もそうなかった。

時代の流れとともに私の醜形恐怖はすっかり治って立ち直れた事は本当に奇跡だったと思うが、立ち直る原点は間違いなく華月の歌詞にあった。

醜形恐怖。本当はそれ程ではないのに自分の身体的特徴がコンプレックスに感じ、その度が越えてしまうもの。

これは酷いと朝、起きて一番に感じる事が自分である事に気付かされる事への落胆。

つまり、自分自身さえも否定してしまうもの。

私は、公共の場で身体的特徴を複数回、全く知らない集団の子供達に嘲笑われた事が原因だった。

私は度を越えすぎてリストカットまでしていたし、過去の写真の一部を捨ててしまったり自殺願望も半端なかった。

だから華月が整形をしているとカミングアウトしていた事は、凄く心の支えになっていた気がする。

醜形恐怖から立ち直れたのも時代の流れというより正確に言えばその時代の流行による人々の価値観の変異から来るものも大きな影響があった。そんな不透明であやふやなものに苦しめられていた事がおぞましい。

あれから20年経ち、華月が願った差別のない世界になれたのだろうか?

音楽に時間は関係ない。

20年以上前に作られた曲が今日、明日知る人の傷を癒す事も出来る。

助けられた曲に出逢えたら、またそれを人にすすめて広がって傷が癒える人が増えて欲しい。

どうか、華月の願った世界になれるように私も願ってやまない。




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