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ピエロ

4歳のにこ

にこはピエロだった。ずっと。
「ピエロ」だったり、時には「いない子」だったり。(スケープゴートとか、なんかアレコレあったけど思い出せないやつです)

そんなピエロにならざるを得なかったのには理由があって。
気付いてしまったから。いだいてしまったから。私はこの家族に入れてもらえていない、必要じゃないのかもしれないという疑念を。

こどもは大人が思う程「こども」じゃない

誰しも感じた事がないでしょうか。
こども扱いしてくる大人に対して、「自分はそこまでコドモじゃないけどな」って。もっと、周りをよく見ていたし、気付いて、いなかったろうか。

こどもは大人が思う程「こども」じゃないし
そして周りが思う程「成熟」していない大人が一定数いるということ。(別途記事を書きたい)

パートナーがとても繊細で優しいひとなので、胸を痛めるだろうと迷ったあげく、書く事にしました。

わらっていた家族

とある夏の、海水浴の帰り道。
あれはどこかのサービスエリアだったのかな、お手洗いへ行った。もう4歳だから、父の運転する車がどこにあるかも認識できていました。

戻ろうとしたところ、車が発進しました。
ほんの4〜5mだったと思います。
今ならイタズラ(悪質さはあれ)だと判る。「ちょっとぉーやめてよね!」とそれなりに突っ込むこともできる。
でも4歳の私はそんなこと知らない、理解できない訳で。

その一瞬でよぎったのは、
「まわりの大人のひとに言わなくちゃ」
「おばあちゃんちの電話番号は何番だったっけ」
「どうしよう、捨てられるんだ」

車のドアが開いて、戻ったら、面白がってわらっていた両親がいました。弟もいた。
わらっていたんです。

インナーチャイルドワークを数年前にガイドしてもらった所、嗚咽が止まらなかった。
にこちゃんにどうしてあげたいか、とガイドに聴かれた私は「誘拐します」と言った。
「お姉ちゃんと行こう、お姉ちゃんが絶対守るから、一緒に暮らそうと言います」と。

払拭できない疑念

私はその後必死にピエロを務めた。こどもながらに周りを笑わせた。笑われるようにしたのかもしれない。家族に、親戚に捨てられないために。

そうしながらもあの日の出来事は鮮明で、けれども何故だか誰にも、言えなかった。
私は要らない子だってことがハッキリしそうで怖かった。そうやって18歳まで実家で過ごした。『いっそ捨ててくれればよかったのに、』と、これまた数年前に虐待防止イベントにてスピーチをしたのだけど。

小学2年生の頃、帰り道に町内会の友達にこう尋ねた。
「わたしがしんだらおそうしきにきてくれる?」
彼女が何と応答したか覚えていないけれど、確かに私はそう尋ねた。7歳だった。

8歳からは読み手の方々にダメージを与えそうな内容なので、閲覧注意と書いて別記事としましょう(苦笑)


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