見出し画像

第2章〜転機と決意と10年計画〜

当時世界大会に位置付けられていたNDDLの優勝を機に、国内での講習会や幼稚園などでのダブルダッチ指導をする機会が増えました。


その内の一つに年間で生徒にチームで指導する案件があり、当時大学3年生になったばかりの自分は、そこでの指導を通して、ダブルダッチの教育的可能性について考え始めました。


運動を通して、子ども達自身が考え、動き、発見していく様を見ているうちに、ある日の指導の際に転機が訪れます。そこで子ども達の自分の想像を超えた「自主的に動く力」の成長を目の当たりにした瞬間、僕は「これは今後教育として追求していくべきものだ」と確信しました。


ではダブルダッチを教育として追求するためにはどうするか?


大学院?社会人?教員?どれも正解だと思うがどれも自分のイメージには合いません。色々と考えた結果、「どれも制約があるなら自分で創るしかないっしょ!」という結論に至り、ダブルダッチ教育を事業とした会社を立ち上げることに決めました。


ただ、学生起業したとしても知識も経験も資金もない、気持ちと勢いだけある、この状態じゃ起業してもすぐに潰れると思い、ここから誰にも内緒の「自分だけのダブルダッチ教育家10年計画」を立て始めました。


計画の通り10年後の30歳に起業することを決意し、それまでに自分には何が足りないか、全ての子ども達に新しい教育を提供するには何が必要か、当時の頭で自己分析し、自問自答しました。


考え抜いた末、決めた2つの力、「店舗経営力」と「指導力」。10年でこの二つを納得いくまで獲得しよう。そう心に決めました。


そうと決まればやることは見えてきます。まずは「店舗経営力」。ここは卒業後3年である程度の基礎まで獲得したかったので、短期間で沢山現場経験ができる上場企業への就職。就活は子ども関係の店舗勤務が主体の上場企業13社に絞りました。とにかく徹底的に分析して準備を進めます。


しかし、やはりそう甘くないのが就活。1次は通るが次々と2次、3次でお祈り申し上げられる。ついに12社まで全敗。残り1社、ここで祈られたら就職浪人で10年計画が始まらない。こっちが祈る思いで連絡を待っていると、バイト中に内定の電話。奇跡的に就職倍率2000分の1の株式会社ナ◯コに新卒入社決定!


就職先も決まった4年生の1年間はダブルダッチで仕事をするために将来的な繋がり作りのために、関東圏内の各サークルや高校の部活など積極的に顔を出し、繋がりを作りに勤しむ。


そして卒業、ついにダブルダッチ教育家10年計画始動です。

第3章〜ダブルダッチ教育家計画1年目、社会人の洗礼〜に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?