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人生の笑顔の半分は明石家さんまさんでできている
今日まで私が生きてこられたのは、大げさではなく本当に明石家さんまさんのおかげです。
さんまさんがいない世界では私は生きてこられなかったと思います。
さんまさんは私の恩人であり父親です。
感謝の思いをさんまさんに届けられたらいいのですが、直接伝える機会は一生来なさそうなので、せめてnoteに書き記しておこうと思います。
私は小学校3年生の頃に両親が離婚しましたが、それよりずっと前から冷戦状態で家庭には会話も笑顔も全くありませんでした。
両親が一緒に食事することも少なく、生活に必要な最小限の会話以外、聞いた記憶がないです。
今になって振り返ると殺伐とした家庭だったと思うのですが、自分としてはその環境しか知らなかったので、特に疑問を感じることなくどこの家もそんな感じだと思っていました。
当時はまだ離婚も珍しく、母はとても真面目な人だったので、これから一人で子供を育てていかなければいけないという不安・プレッシャーで必死だったと思います。
私が高校卒業するくらいまで、母の笑顔はめったに見たことがありませんでした。
そんな『笑わない女』が唯一大笑いしていたのが、さんまさんの番組を見ている時でした。
子供ながらに、お母さんが笑っているというのはとても嬉しかったんだと思います。
(あれ、お母さんが笑ってるなんて珍しい、何見てるんだろう…!)
そう思って部屋をひょっこり覗いたのを覚えています。
さんまさんの番組を見て楽しそうに笑う母の姿がありました。
それでさんまさんが大好きになって、そこからずーっとさんまさんのファン。
その後も何度さんまさんに笑わせてもらったことか。
※小学校の頃、『SUPER MILD』というシャンプーのおまけでついていたシール。私のさんまさん好きはクラスで有名だったので担任の先生も協力してくれて集めていました。今でも宝物。
私がこれまでの人生で笑った回数が100回だとしたら(そんなわけはないけど)、そのうちの50回はさんまさんが巻き起こした笑いなんじゃないかと思います。
父親とは18歳以降は一度も会っておらず、今は生きているのか死んでいるのかも知りません。血のつながった父よりも私を支えてくれたのはさんまさんです。
最近は老害扱いされることもあるようですが、私はさんまさんが楽しそうにしている姿を見続けられるだけで幸せです。
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