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「梨泰院クラス」のミニ文学講座

大人気のNetflixドラマ! 父と子をテーマにし、巌窟王(モンテクリスト伯)を下敷きにした復讐劇ですが、ふたりのヒロインにもモデルがいること、お気づきになりましたでしょうか?

ドラマの面白さについては今さら語るまでもありませんね。2020年の大ヒット韓国ドラマ「梨泰院クラス」。日本でもリメイク版が2022年7月から放送予定だそうです。

<注意>本記事はネタバレありです。

主人公と父親、敵役となるチャン会長とその息子を軸に、元刑事さんやギニアからお父さんを探しに来たトニーなどこのドラマには父と子のモチーフがたくさん登場します。また外食産業での成功を目指す主人公にとって偉大な先駆者であるチャン会長は超えなくてはならない父的な存在でもあります。

主人公が何年も刑務所に入り復習を計画するというストーリーは、モンテクリスト伯っぽいなと感じた方が多いでしょう。

ヒロイン1 チョ・イソ

第4話、キム・ダミさん演じるチョ・イソが自室で母親と話すシーン。これ見よがしにくるみ割り人形が飾ってあります。

梨泰院クラス第4話より

3つも並べちゃって。何だろう?と違和感を感じつつも、先の展開が気になり、続きを観ていくと、

ヒロイン2 オ・スア

第6話の、スアの回想シーンで、道端に唐突に真っ赤な椿が登場。

梨泰院クラス第6話より

ここで、ピンときましたよー。モンテクリスト伯の作者デュマの息子が書いた小説「椿姫」です。スアは椿姫をモデルにしたキャラクタなのですね。

くるみ割り人形のほうはドイツのホフマンが書いた童話なのですが、フランス語版の翻案をデュマ父子で合作したそうです。

ちなみにデュマ父子は名前がふたりともアレクサンドル・デュマでややこしいので通称、パパは大デュマ、息子は小デュマと呼ばれます。

<まとめ>
◆ パク・セロイは大デュマ「モンテクリスト伯」がモデル
◆ スアは小デュマ「椿姫」がモデル
◆ イソはデュマ父子で翻案を合作した「くるみ割り人形」がモデル

ドラマの内容だけでなく、主人公たちのモデルになった物語にも父と子というテーマが隠されていたんですね。

<注意>以下、本の紹介のあと「モンテクリスト伯」「椿姫」「くるみ割り人形」も内容に言及します。未読の方はご注意ください。


<本の紹介>
ドラマにハマったけれど、これらの小説はまだ読んだことないという方は是非これを機会に読んでみることをお勧めします。
より深くドラマが楽しめるはずです。

・モンテクリスト伯は岩波文庫で全7冊と長いので、しんどい方は岩波少年文庫全3冊がおすすめです。
・くるみ割り人形はいろいろありますが、宮崎駿監督もおすすめの、岩波少年文庫「クルミわりとネズミの王さま」を推しておきます。
・椿姫は恋愛小説で難解な所もなく、読みやすいです。

ご参考までにamazonのリンク貼っておきます。

それではここからは、ふたりのヒロインの持っているテーマについて、考えてみます。


ふたりのヒロイン

まずモンテクリスト伯には、主人公のロマンス相手としてふたりのヒロインが用意されています。騙されて敵と結婚した元婚約者と、奴隷の身分から救ったことで彼を崇拝する若い娘です。

パク・セロイとスア、イソも、まあ、だいたいそんな感じの関係ですよね。

このドラマの魅力のひとつは、二人のヒロインにもそれぞれの物語を持たせて、ただの相手役に終わらない人物像の厚みをつけているところです。

スアは椿姫のヒロインである高級娼婦のマルグリットを元にしたキャラですが、赤い椿ということは、本ドラマでは客を取らない(娼婦ではない)ことを示唆しているのでしょう。ただ生活のため、チャン会長から金銭援助を受け、チャンガに就職しています。
とすると恋人とその父親のあいだで葛藤するというのが主なテーマとなります。
椿姫のあらすじを知っている人は、スアは最終的にパク・セロイを選ばないんだろうな、となんとなく予測ができてしまいますね。
椿姫はウィキペディアのあらすじだと、愛する恋人のために自己犠牲的に身を引いたように取れるかもしれません。しかし本を読むとニュアンスはだいぶ違います。
自分に打算のない愛をささげる若者。こちらを選べば人並みにし愛される幸せが手に入ります。
でも何も持たず弱い立場で身一つで暮らしを立てている彼女は、それよりも自尊心を選択します。
ドラマの第1話のエピソードでも描かれるように、心に決めたことはひとりでやり遂げる人物です。葛藤しつつも、セロイの父との約束を守ることが最大の目標になります。

くるみ割り人形のヒロインの少女マリーは、傷ついたくるみ割り人形に心を寄せ、夢の中で彼がネズミ王と戦うときにスリッパを投げて窮地を救う役どころです。
12話でトニーの祖母の別荘についていったイソが、セロイに電話で言った「夢で会いましょう」というセリフは、ロマンチックなだけではなく、ネズミの王様(チャン会長)がいる世界を「夢」と表現し、いっしょに戦いましょうという意味にも取れて、カッコいいと思いました。

ふたりのマリー

「椿姫」と「くるみ割り人形」には共通点があります。
両作品ともヒロインには実在のモデルとなる人物がいて、名前はマリー
ふたりとも早逝しています。

「くるみ割り人形」は友人の7歳の娘へのクリスマスプレゼントとして書かれ、その6年後に少女は亡くなりました。しかし作者のホフマンは少女が長生きできないことを予期していたようです。物語も大人になってから読むと、病気がちの子のために書いたのかな、と思うところがあります。(物語の中でマリーが冒険するのは夢の中だけで、現実では病気で寝ていたり、気を失って倒れたりしています)

ドラマは生きるのが面倒で地球が滅びればいいと思っていたイソの視点から始まります。
そして仲間たちと生きていく場所を得てハッピーエンドとなります。

くるみ割り人形の作者が少女に楽しく生きられる世界を持ってほしいと願って描いたファンタジー世界と、イソや登場人物たちが生きていく梨泰院をオーバーラップさせて、うまくまとまったエンディングだと思いました。

マリーは、いまでも、キラキラかがやいているクリスマスの森や、すきとおったマジパン城など、つまり、世にもすばらしいふしぎなものが、それを見る目がありさえすれば、いたるところに見られる国のお后さまだということです。

「クルミわりとネズミの王さま」ホフマン作上田真而子訳(岩波少年文庫)より

梨泰院を「世にもすばらしいふしぎなものが、それを見る目がありさえすれば、いたるところに見られる」場所として、映像的に表現しているのもこのドラマの魅力的な点だと思います。

ただし椿姫もくるみ割り人形も、若く亡くなった女性をモデルに並みならぬ思いで男性作家が書いた小説であるため(しかも19世紀)、現代女性から見ると共感しにくいヒロイン像となっています。
とくに、傷だらけの年上の男にいっぽうてきに好意を持ち、献身するイソ。ソシオパスだから、というよくわからない設定にして誤魔化した感はあります。

そのあたりは古典の名作小説がもとになっているストーリーであることを理解したうえでみると、また違った視点でおもしろく見ることができるかもしれません。


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