君と煙草
「簡単な気持ちで言ってるなら、やめなよって引き留めようかと思った。」
友達の友達と飲んで、酔っぱらって、その人の家に上がり込んだ。
眠り始めたり、小さくおしゃべりしたり、私だけひたすら水を飲んでいた。
君は私の隣に腰を下ろして「今日人が来るって思っていなかったから」と言った。そんなことないよ、きれいじゃんと私は返した。
君が煙草に火をつけた。吸い殻入れがヴィーナスの誕生の貝みたいな形をしていた。
酔っぱらっているのか彼は頭を私の肩に預けて、でも私は彼のことなんて全く知らなかった。「今日は昼の2時から飲んでるんだ」と笑うから、やばいね、と言った。でも私たちは互いに名前さえも知らなかった。
「俺、将来良いお父さんになりたいんだよね」
あー、そう。でも私、母子家庭だから良いお父さんってわかんないや。
「マジ?俺も母子家庭だわ」
私、今度地元の高校で教育実習あるんだよね。
「えー、俺も教員免許持ってるよ。部活がすごく楽しかった、みんな慕ってくれて」
うわー、私は不安ばっかり。
「俺、高校も大学も全部推薦で入ったんだよね」
私も同じ。あ、でも君は野球で入ったから同じじゃないか。
「うーん、同じじゃね?」
私、今大学三年でしょ。卒業したら大学院行こうと思うんだよね。
「へー、俺も行こうとした。学費高くてやめたけど」
そうなんだ。
私は研究したいことがあって。これで世界良くなるといいなあって思って。
「そんなこと考えるんだ。簡単な気持ちで言ってるなら、やめなよって引き留めようかと思った。」
もし私が適当な気持ちで「なんとなくだけど、院行くんだ~」とか言ったら名前も知らない私をちゃんと怒ってくれた?
本当に、やめた方がいいよって引き留めてくれた?
もし君が私を引き留めて、もし私がじゃあ辞めよって言ったら、君はどう思った?
崩れていた私の前髪をすっと撫でて整えて、笑う君の名前を私はまだ知らなかった。
ねえ、名前、知らない。
「俺も知らない。聞いとく?」
記念に、聞いとく。
「りょうた」
ふーん。
「そっちは」
りく。
「ふーん」
私がお手洗いに行って帰ってくると、君は新しい煙草に火をつけていた。
酔っていたのか、煙草のにおいはよくわからなかった。
ちょろい女子大生の川添理来です。